6話 入部
「お、いたいた。おーい
授業後、帰ろうとしたところで吉原先生に声をかけられたのは、私と白川さんが食卓を囲んでから1週間後だった。
一緒にご飯を食べた時に白川さんと連絡先を交換していたが、特に話すこともなくお礼の連絡以来何も話していなかった。
「あ、先生。何か用ですか?」
「あぁ、まぁな。これから時間あるか?ちょっと着いてきて欲しいところがあるんだが」
先生はそういうと、いつも通りジャージをシャカシャカ言わせながら、自分の背後の方を親指で指していた。表情からは、いつもの怒気や呆れは感じられない。
今日はそのまま帰って作業でもしようかと思っていたが、吉原先生が説教以外で私に用があるのも珍しくて、私はついて行くことにした。
「そういえば新曲、聞いたぞ。良かった」
「いつもありがとうございます」
吉原先生がなかなか嫌いになれない理由はここにある。金曜の夕方に発表した曲を聞いてくれて、毎回感想を言ってくれるのだ。活動を公開していない身からすると、身近に感想を言ってくれる存在は本当にありがたい。
先生と新曲の感想を話しながら北館へと移動していた。北館には3年生の教室と、文化部の部室がある。
「先生、どこまで行くんですか?」
「そろそろ着く」
先生はそれだけ言うと、北館の階段を上がっていく。後ろから私も追っていくと、3年の教室のある階を通り過ぎ、文化部の部室が集まる所までやってきた。
写真部、文芸部、落語研究会、将棋・囲碁部……そんな部活もあったのかと驚くものもある。
先生について行きそのまま歩いて行くと、「演劇部」と書かれた、一際古い札のある教室の前で止まった。吉原先生は躊躇なく、ノックも無しにその教室のドアを開けた。
「おーい、連れてきたぞー」
「あ先生、ありがとうございます……って、あら?」
中は部室というよりも、使われていない教室というイメージが強かった。手前には黒板と、その前に教卓が置かれている。しかし生徒用の机や椅子は散乱している。
その教室のど真ん中で机を運んでいたのは、つい一週間前シチューを一緒に食べた白川さん。セーラー服に身を包んだ彼女は私と先生を見るやこちらへと駆け寄ってきた。その表情には「なぜ?」と言わんばかりの懐疑心や歓喜が含まれている。
「叶夢。久しぶりね」
「白川さん?どうしてここにいるんですか?」
「なんだ、お前ら知り合いなのか」
私と白川さんの様子を見て驚く顔を浮かべる吉原先生。学校で知り合いがいないことを先生は知っているため、そんな顔をする気持ちにも納得がいく。
「ええ。この前叶夢の家で夜ご飯を一緒に食べました」
「は!?夜飯を?あの叶夢が他人を家に連れ込んで一緒にご飯を食べるなんて……」
「私だってそれくらいしますから!私のことなんだと思ってるんですか」
「ははっ、すまん。そうだよな。だが、やっぱり俺の見立ては間違ってなかった。」
俺と白川さんを交互に見て大きくうなずく先生。白川さんのほうを見てみると、私の方を見ながら心配そうな顔をしている。
「まさか先生、『適任』って叶夢のことですか?」
「その通りだ」
「……え、ええっ!?」
先生の一言でようやく、私がどうしてここに連れてこられたか理解できた。
この学校の部活は自由参加だから私は所属していないし、配信活動に力を入れているため今後も無所属でやっていく予定だ。部活なんて入る余裕はない。
「先生、もしかして……呼び出された理由って」
「お?ああ、白川が今度演劇部立ち上げるっていうからな。部員候補としてお間を紹介しようと思ってな」
え、ええっ!私が演劇……?
「む、無理です無理無理!人前で満足に話せもしないのに」
「先生、引っ込み思案な叶夢にはちょっと……難しいんじゃないかしら」
「うう……その調子で言ってあげてください!」
白川さんも私が演劇部に入るのは反対らしい。演劇に向いていないことは私自身痛いほど自覚しているが、こうして友達に直接言われるのも心が痛む。白川さんの表情から申し訳なさが感じられるのも加えて泣きそうだった。
二人の反発の言葉を正面から受けながらも、先生は自信ありげな笑みを絶やさない。
「まあ落ち着け。今は全部活が仮入部期間だ。それは2年生にとっても同じだ。ここから2週間は試してみて、本当に向いてないと思うならその時はやめていいから。それまでは頑張ってやってみてみないか?」
「ええ……でもなあ。私もやらないといけないことが……」
「この2週間頑張ったら、今までの遅刻を全部なかったことにしてやる」
「やります!雑用でもなんでも!」
我ながらちょろいもんだ。遅刻一つで手のひら返すなんて。
私の返事を聞くと「そうか」と短く言ってから、後頭部をポリポリかきながら言った。
「まぁ、夢月にとっていい経験になるから。まずはチャレンジしてみろ。それに、お前の弱点を克服できるかもしれないぞ?」
「……」
吉原先生は私と白川さんを部室へ残していった。部屋には私と白川さんの2人が残った。窓から差し込む日光か部室内の埃を照らしてキラキラと輝いている。
「……まったく。演劇部を立ち上げるって吉原先生に話をしたら、『適任がいる』って。あなた、演劇の経験があるの?」
「は、初めてなんですけど……」
沈黙が肌にチクチクと刺さる。白川さんの表情が見えないからどんな感情なのか、想像もつかなかった。せめて何か言葉を発して……!!
「……まぁいいわ!高校演劇は初心者も多いし、それに頭数も必要だもの」
白川さんは深呼吸をして気合いを入れ直した。上げた口角からは活力と自信が見て取れる。
「そういえば、叶夢、2年生だったのね。ずっと敬語使ってなくてごめんなさい」
「いえいえ!とんでもない……逆に私が敬語使うべきで」
そんな事を言いながら、まずは一緒に部室を整理するところから始めた。部室内に散乱している机たちを1箇所にまとめ、空いたスペースに教壇を置いて舞台を作るそうだ。
「さっきは叶夢には難しいかもって感じたかも知らないけれど、そんな事ないから」
「いや、私は人と話すことはすごく苦手で……本当に、私には無理なんですよ」
「そんなこと言わずに、片付け終わったらやってみましょうよ。台本も持ってきてるし」
「げっ」
机を運ぶ速度を少しずつ落として、なんとか下校時刻まで時間を稼ごうとする。しかしそんな抵抗も虚しく部室も数十分で整い、早速稽古が始まるのだった。
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