5話 食卓を囲む

「すっごい美味しい!」 

「へ、へへ……それほどでも……市販のシチューの素使ってるので、誰でも作れる、と思いますけど」

「献立通りに作るのって相当難しいのよねー。私、いっつも料理焦がしちゃうし」


 満足そうに頬を緩ませる美女を前に浮かれながらも、私がおかれている状況に理解が追い付いていなかった。


「ごめんなさいね。ご飯が食べたいだなんて」

「い、いえ!作りすぎちゃったので」


 一つ頼まれてくれない?そう言うと彼女はおなかを抑えてその場にへたり込んでしまった。体調が悪いのか、と一瞬心配したが「お腹すいたー!」と叫んだ。気が付いたら私の家にいて、昨日作りすぎたシチューを食べさせていた。


「これは何杯でも食べられちゃうわ……ごめんなさい、お代わりもらえるかしら」


 そんなことを言いながら作りすぎたシチューをパクパクと食べ進める。彼女……そういえば、私はまだこの子の名前すら聞いていないことに気が付く。こういう時どう尋ねるのが正解だろう。お名前を教えてくれませんか?それとも、名前はなんていうの?とか?


「……」

「ん?どうしたの?私の顔に何かついてる?」

「いえ!何でもありません!!」


 木製のスプーンを持つ手を止めて、

 名前なんて聞きたいけれど、聞けない。どんな言葉を使おうかとか、言い方が間違ってないか、なんて考えているといつもタイミングを逃してしまった。


 そのまま彼女はシチューを2度お代わりした後に、ようやくスプーンを置いたのだった。


「ふう、ご馳走様……本当に美味しかったわ」

「い、いえ!お礼なので」

「ふふ、そうだったわね。拾うの手伝っただけなのに大袈裟よ」


 可笑しそうにフフっと軽やかに笑った。そして「あっ」と小さく呟くと、小さく謝りながら話し始めた。


「名乗るのが遅れたわね。私の名前は白川真鈴っていうの。よろしくね」


「あぁ、白川真鈴さん……白川真鈴!?子役の!?」

「あぁ……元よ、元。今は普通の高校生」


 彼女、白川さんの素性を聞いた後だと、彼女の背後から光のようなオーラが見え出したような気がする。やはり名前というのは人の見る目を変えさせるのかも知れない。


 しかも、名乗られた後でもう一度彼女を見ると、なんとなく昔の、小役時代の面影が残されていることがわかる。


 幼さの中にもクールさを演出していた主張の強すぎない吊り目や高い鼻など、顔のパーツや並びはほとんど変わっていない。多少顔立ちに年齢を感じるが、彼女のクールさをより押し出す形で活かされてる。


「あの……そんなにジロジロみないで欲しいのだけど……」

「あ、ああ。すいません。」

「いいのよ。私のことを知ってる人達も貴方と同じような反応をするし。それより、貴方の名前も教えてよ」

「あ、はい!夢月、叶夢かなむです」

「……夢月?」

「どうかしました?」

「あぁ、いえ。よろしくね、叶夢」


 急に名前呼び!さすがコミュ力高いな……


「そろそろ叶夢の御両親も帰ってくる頃かしら?時間も時間だし、私はそろそろお暇するわね」


 時計を見ると、もう18時を回っている。外も暗くなり始めている。


「あ、あの」

「ん?どうかしたの?」

「私、父親とは別居してて、母ももう、亡くなっちゃってて……」


 家庭のことなんて、今まで担任の先生や吉原先生、育美さんくらいにしか話してこなかった。他の人に聞かせたところで状況が変わるわけではなかったし、そもそも話す知り合いすらいなかったからだ。

 

 だから、どうして今私は、初対面の人にこんなディープな話をしていたか分からなかった。ただ彼女は「聞いてくれる」と直感的に思ったからかも知れない。


「……へぇ、そうなの。」

「あ、はい……だ、だからえっと。残った分のシチューも、白川さんにあげます」


 こんなことを話していると、段々と自分がいかに惨めな存在かを露呈させているようにしか思えなかった。心がずしりと重くなって、視線が下に下がっていくのを感じる。


「……えへへ、ごめんなさい!こんな話聞いたところでなんだよ!って感じですよね!すいません、本当」


 自分から話しておいて空気の重みに耐えられなくなった。キッチンへと歩いていき、鍋に残ったお玉3杯分くらいあるシチューを、大きめのタッパーに移していく。もし断られても、このまま冷蔵庫で保存してしまおう。


 背後からは私を残して玄関へ向かう足音もしなければ、私は声をかける気配もしなかった。

 はぁ、やってしまった……こんな重い話するんじゃなかった。そんなふうに考えていると、白川さんは徐に話し始めた。


「シチュー、持っては帰らないわ」

「……そ、そうですよね!わかりました」

「その代わり……ここでもう一杯貰ってもいい?お代わり」

「え?」


 揺れる視界の先には、白川さんがもう一度テーブルに座りながらこちらを見ているのがわかった。


「もう少し聞かせてちょうだい、その話」

「……ズッ……いやいや、こんなしょうもない話聞いたところで」

「私も今1人なのよ。だから一緒」


 椅子に座り、こちらに向けてにっこりと笑う彼女は、どこかのドラマのワンシーンにありそうな程に絵になっていた。


 その後は、夜ご飯を食べてなかった私も白川さんと一緒に食卓を囲んだ。自然とお互い、家族の話は深くは話さなかった。

 その代わり、趣味の話とか、小役時代の話とか、白川さんがたまに話しかけて、私が答えていった。

 母の事やVtuberの事は、また話が重くなっても嫌だから言えなかった。でも、いつから打ち明けたいと思うくらいには親密になれた。


「ふぅ、存外沢山食べちゃったわ。時間も時間だし、今度は本当にお暇するわ」


 白川さんは私にそう言うと、バッグを手に持って席を立ち上がった。久しぶりに人とゆっくり話せて楽しかったこともあり、少し名残惜しい気持ちになりながら白川さんを玄関まで送った。


「私、全然料理できないから、今度またご飯食べにきてもいいかしら?今度は材料費も払うから」

「うん、もちろん!いつでも来てください」


 嬉しそうに微笑む白川さん。シチューを頬張った時と同じ満足そうな笑顔。でもふと、何となく気になった事が口に出た。


「ごめんなさい……私、悲しい気持ちにさせちゃいましたか?」


「え?どうしたの急に」

「いえ、何となく白川さんが悲しんでる顔をしているように見えて」

「……そんなわけないじゃない。いい友達ができてすごく嬉しいわ、それじゃあ、おやすみなさい」


 白川さんはそう言い残し帰って行った。家には再び沈黙が降りる。彼女の最後の言葉は果たして嘘か本当か分からなかった。

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