8話 私は

「濃いめ、硬め、多めで!!」

「はいよ!そっち嬢ちゃんは?」

「……何がですか?」

「私と同じのもう一つで!」


 頭にねじり鉢巻を巻いた男性はもう一度「はいよ!」と元気な声を出しながら、私たちの食券と共に奥へと引っ込んでいった。

 現在16時半時。私は白川さんに連れられラーメン屋にやって来た。しかも、コテコテの家系。店の中は閑散としていて、私たち以外にはお客さんはいなかった。


「私、初めて来ました」

「そうなの?私はたまに来るのよねー」


 店は一本の通路に沿う形でカウンターの席が並んでいる。私たちは入り口近くのカウンター席に腰をかけた。白川さんが汲んできてくれたお水をちびちびと飲みながら、なんとなく視線をあちこちへとやっていた。

 白川さんの顔には先ほどまでの強張りはなく、「ラーメン楽しみー」と、微笑みを浮かべながら小さく呟いている。


「そういえば叶夢、今更だけど2年生だったのね。てっきり1年生だと思ってたわ」

「い、言うタイミングなくなっちゃって今日まで来ちゃって……すいません」

「全然、気にしないでちょうだい。それに、なんで叶夢の方が敬語使ってるのよ。呼び方も苗字にさん付けとか、堅すぎるのよ」


 違うんです。コミュ症は仲の良し悪し関係無く敬語で接するんです。


「おまちどぉー!ラーメン濃いめ固め多めねー!」

「ありがとうございまーす!」


 私たちの会話を遮るようにして、食券を持っていった小太りのおじさんが注文の品を持ってきた。会話をやめ、白川さんがすぐに麺を啜り出したので私もそれに倣って麺をいただく。


 醤油のコクが乗ったスープと、弾力のある太麺。変な汗をかいた後で塩分が不足しているからかはわからないが、特にこのスープは官能的な味に仕上がっていた。スープをもう一口飲む。飲み干したいくらい美味しいのだが、一口飲んだだけで一杯が致死量だと思わせる。


「美味しい?」


 ふと横を見ると、白川さんが私の顔を覗き込むように見ていた。自分の器に手を添えながらこちらを見つめる微笑み美少女はとても絵になっていた。


「はい、おいしいです」

「ならよかった」


 それだけ言うと、しばらく私たちの間で会話はなかった。目の間にある濃厚ラーメンを食べ切ろうと、この太麺を啜る音だけが二人だけの店内を満たしていた。

 私は麺を啜りながら今日のことを振り返っていた。突如として大所帯となった演劇部。

 だが白川真鈴の想像以上の知名度を考えれば、私は当然と思った。

 白川さんも自分が何者かを少しはわきまえていると思っていたため、もう少し冷静な対応をするとは思っていたが……


「今日のあいつ、マジでむかついた」


 白川さんはぽつんと言葉を漏らした。麺をほとんど食べ切った器に視線を送る彼女の顔を一瞥すると、表情から冷静さや反省が伺える。


「あいつの言ってたこと、有り体に言えば私の知名度に乗っかりたいってことでしょ?演技がしたい気持ちなんて微塵も感じられなかった。あんな奴、部活になんか入れたくない」


 しかし、話していると段々と眉間にしわが寄ってきて、スープを弄っていたレンゲに力が籠っていく。私も当事者であるはずだが、

 私はそれを見て、彼女の底というか、彼女を透かして見られたような気分になった。


「演技が好きなんですね」

「ええ!演技が好きで、芸能界にも居座り続けたもの。まぁ、今となっては全く仕事が取れないけれどね」

「……あんなに演技が上手で、知名度もあるのに、どうして今はテレビ出てないんですか?」

「……私にも分からないわ。今でも、あそこに戻りたいもの。」


 記憶を1人で辿る白川さん。はぁっと一息ため息をつくと、残った麺の端をレンゲに乗せて、スープと一緒に一口で食べた。


「ここから1週間で、演劇部を作るわ。全国で勝てる劇団を作る。やるわよ叶夢!」


「わ、私は……」


 私はどうしたいんだろう。自分自身に問いかける。

 吉原先生に連れられてこの部活にやってきて、白川さんの隣で訳も分からず演劇を続けるのか。続けられるのか。

 今、白川さんの目は前を向いている。さっき言っていた目標は、彼女にとって達成できないものではないだろう。あの中から逸材を掴み取って、きっと全国に名前を轟かせる部活を作れる。


 じゃあ、私は?碌に人前で話せやしない私なんかが、彼女と一緒にやっていけるのか……

 そう考えると、自ずと答えがするりと出てきた。


「私、裏方やります」


 そう、演劇は役者だけで成り立っているわけではない。大道具や小道具、音響や照明が影で舞台を支えている。白川さんも、仮入部員にそんな説明していた。


「……私、実はネットで配信活動もしてるので。音響とか向いてるかもって思ってたんです!部室にいくつか機材もあったし、弄ってみようかな」


 それを聞いた白川さんは何かを訴えかけるように私の目をじっと見ていたが、やがて「そう」とだけ言って口を閉じた。それはラーメン屋を出てからも変わらなかった。


「じゃあ、また部活で」


 さらりと別れの言葉を告げ、私達は別の方向へと歩き出した。私たちが出合ったあの住宅街。人はまばらだった。

 はあっとため息が漏れた。オレンジ色の光が、時折住宅の間を縫って私の目に入ってきて目を細めた。

 4月も後半に差し掛かって、気温もどんどん上がっていくのを肌で感じる。熱いのは嫌い。毛量が多く、汗でべた付くから。というのもあるけれど、お母さんの命日が夏なのだ。夏がもっと嫌いになったきっかけ。


「今年で5年か……」


 お母さんが亡くなってから5年が経つ。一家が入ると説明されたお墓には、母の命日以外行っていない。母が亡くなったという事実を、いつまでたっても受け入れられない自分がいる。

 それにお父さんやおじいちゃん、おばあちゃんも、あまりお墓参りには行かない。命日に墓参りをちょっとするくらいで、それ以外の日にはそこに定期的に通っていると言う話は聞かなかった。

 5年も経つなら、そろそろ受け入れなければとも思う。お父さんだって、新しいパートナーと一緒に新しい人生に向かって頑張っている。私も、今のVtuberの活動や部活だって頑張らないと……


家に帰りつき、リビングのソファーに制服のまま腰を下ろした。ふわふわとした抵抗が背中から膝あたりまでを優しく包み込んでくれる。ふーっと、無意識のうちに溜息を吐き出す。


「そういえば、今日は大変だったもん……」


入部希望者は58人。ネット上の数字としてみれば少数なのに、教室に並べてみるととてつもない数であるように感じた。私は普段、この何万倍以上の人が応援してくれているという優越感や若干の恐怖を覚えながらソファーに体重をかけていた。


prrrr、prrrrr……

ふと、リビングにおいてあった固定電話が、無機質な着信音と同時に光った。このだだっ広い部屋の中ではただそれだけが鳴っていて、不気味さを助長させた。


「もしもし?」

『もしもしこちら、夢月叶夢様の電話でお間違いないですか?』

「はい」

『こちら〇〇病院ですが、今お時間よろしいですか?』


 〇〇病院は、確か母の実家の地域の総合病院だ。


「はい、大丈夫です」

『ありがとうございます』


『夢月奏様の検査の結果が出たので、一度ご来院いただきたいですが……』



 

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