2話 買い物と出会い

 1人きりの部屋の中で、マイクに向かって一心不乱に声を出していた。4畳ほどの狭い部屋にパソコンにモニター、マイクを置けばもう歩き回れないような部屋だ。一軒家の一室だが、壁には黒い防音材を敷き詰め防音対策は完璧に行っている。配信用と録音用、両方の用途で使う部屋だ。


 今日は日曜日。学校も休みで、朝から晩まで収録することができた。先日納品されたばかりの新曲を確認し、録音。確認した後はいつも依頼しているMIX師に音源を調節して貰うのがいつもの流れだ。YouTubeに動画をアップロードする曲だからイラストレーターへの依頼出し、完成したイラストをもとに動画を編集しなければならない。

 こんな作業をこなしていくと、歌っているよりも机に座って編集する時間のほうが長くなる。活動を始めた当初は既存の曲をカバーした音源をそのままアップロードするだけだったが、人気が出れば出るほど動画の質や体裁を見られるようになった気がする。広告収入も見込めるようになってからは、下手に人気曲をアップロードするわけにもいかなくなっていた。

 それでも夢月は続けている。歌手であった母の背中を見て、その背中を追い続けている。


「……わっ、もうこんな時間」


 録音データを転送し終え時計を確認した私は、慌てて椅子から立ち上がると、収録部屋から外へ出る。途端、LED電球の真っ白な光とは違う、暖色混じりの光が廊下へと差し込んでいた。


「何食べようかな」


 階段を降りながらひとりごつ。一階に降りるが、どこからも私以外誰の気配も感じられない。母が亡くなってからは1人で暮らしているため当たり前なことだったが、夕暮れの差し込むリビングを見るとどうしようもなく胸が詰まる瞬間がある。私はそんなリビングを横目に見ながらキッチンへと向かった。

 自炊する日もあれば、宅配してしまう日もある。収録や配信で疲れた日にはキッチンに入る気すら起きないが、今日は自然と足がキッチンへと向いていた。冷蔵庫を開けるがめぼしい食材は見当たらない。私ははあっとため息をついてみるが、綺麗なオレンジ色の光が私を外へと向かわせた。


 閑静な住宅街を1人で歩く。コンクリートが温められた匂いが鼻をさし、家々からは時折つけっぱなしのテレビの音が聞こえてくる。トートバックを片手にぼーっと歩いていると、バックの中に入れていたスマホが振動していた。


「もしもし」

『もしもし。毎週毎週ごめんな』

「ううん。大丈夫」


 毎週日曜日の夕方、この時間に父は私に電話をかけてくれた。大した話題はない。ただ最近あったことや、私の配信の進捗をいつも話している。何気ない時間だったが、週に一度の家族団欒の時間だ。毎週とても楽しみにしている。

 しかし、いつもは楽しそうに私の話を聞いてくれるお父さんだったが、今日は何を話してもああ、とか、そうか、とか。生返事しか返ってこない。


『……叶夢かなむ。あのさ』

「ん?どうしたの?」

『お父さん、結婚しようと思うんだ』


 急な告白に私はむせてしまった。


「ええっ!?そうなんだ?里穂さんだよね?」

『ああ。もう付き合って3年になるし、そろそろタイミングかなと思ってな』

「そっか……おめでとう」


 高校に入学したタイミングで、お父さんが里穂さんという女性とお付き合いをしていることは教えてもらっていた。実際に里穂さんとも顔を合わせたが、優しそうな雰囲気を持った女性だった。もっとも、私にそれを伝えた理由が、お父さんがその里穂さんと同居するから、私が一人暮らしになることを伝えるためではあったが。

 私が中学2年生の時からお父さんたちは付き合っていたらしいから、結婚はあまりよくわからないけれど、交際期間としては十分なのではないだろうか。

 それに、お母さんが亡くなって一番気持ちが沈んでいたのが父だったから、もうそろそろ幸せになってほしいというのも私の本音ではある。

 

 その後の電話の内容は、結婚式の話とか、籍を入れた後の話をされた。私とは無関係な話ばかりで、今度は私が生返事を返す番だった。お父さんたちとこれからも一緒に暮らさないのであれば、私の生活は高校入学時と何一つ変わらない。

 

『それじゃあ、また来週電話するから』

「うん。またね」


 電話を切ると、改めて住宅地の静けさが周囲に落ちた。新婚さんたちの邪魔は極力したくはないから、これから自立し続けないとなあとか考えていると、すぐに行きつけのスーパーへと辿り着いた。

 春先で風も強くなり、寒気を感じた。なんとなく胃袋が温かいものを求めるようになり、自分の料理の腕前でもできそうなシチューの具材をレジカートに放り込んでいく。問題はその後だった。

 私はレジに並ぶのが嫌いだ。レジに並ぶのというか、あまり知らない人と話すのが嫌だ。セルフレジがあればそちらに並ぶのだが、今日は全てのレジに「調整中」の張り紙が。


「いらっしゃっせー」

 レジを打っていた店員さんはロン毛のバンドマン風の男だ。だるそうに

「……」

「袋いりますかー?」

 バンドマンの顔を見ずに素早くトートバックを掲げる。バンドマンはそれを察したようで「うっす」と小さく返事をしながら続ける。

「お会計2360円でーす」

「……」

 財布からお金を取ろうとするが、小銭がなかなか取り出せない。早くこの場から立ち去りたいが、焦りからか手元が狂ってしまった。

「……きゃっ!!」


財布から飛び出した小銭たちはスーパーの硬い床に落ち、甲高い音が店内中に鳴り響いた。


「お客さん、大丈夫っすか?」

「〜〜〜!!大丈夫です!!すいませんでしたっっ!!!!レシートいらないですっ!!」


 お金を拾い上げて、その中からお釣りの出ないようにお金をトレーに並べると、バンドマンが通してくれた材料たちをひったくって即座に袋に詰め店の外に出た。やってしまった。自然とため息が出る。

 ジャガイモ、鶏胸肉、人参、ブロッコリー……冷蔵庫に何もなかった事を考えて保存用まで買ってしまった。そのため食材を全部買ってトートバックに詰めると流石に重い。

 しかも持ってきたバックが小さくて、全て詰めようとすると少し溢れて、ブロッコリーの緑がバックから覗く形になっていた。新しい袋をもらうのも面倒だったため、諦めて肩の肉に食い込んでくる食材たちと一緒に、重い足取りで家へと帰る。

 

 行き道とは違って、仕事終わりの社会人や部活終わりの学生が少し暗い住宅地を歩いていた。疲れを湛えた表情を浮かべているであろう彼らの顔は薄暗くて見えないが、共に勤めを果たした仲間として、私もトートバックを抱え直そうとした時。


 トートバックの手持ち紐が千切れ、中に入っていたブロッコリーや人参が道路に散らばった。

 ああ、今日はなんかついてないなぁ……

 私は道端にしゃがみ込み、ジャガイモから一つ一つ拾い上げる。材料を拾うためにしゃがんだ私の脇を社会人や学生が通り過ぎていく。立ち止まる人は誰一人としていないが、止まられても申し訳なかったため、このまま一人で拾いきってしまいたい。そんなことを考えていた。


「大丈夫?」

 

 隣から声がして、真っ白な手が伸びてきたのはそれとほぼ同時だった。私のささやかな望みは打ち砕かれ、私は全身をこわばらせながら手の主に感謝しようと隣を見上げる。不自然と思われないように、普通に見えるようにしないと。


「あ、ありがとうございます……」

「いえ、いいのよ。災難だったね」


 凛とした様子で私の向かいにしゃがみ込む女性は、私がジャガイモを拾う手がいったん止めて彼女に見入ってしまうくらいに、彼女は美しい顔立ちをしていた。

 私と同じくらいの年齢の少女だが、ぱっちりと大きな目、高い鼻などのパーツがバランスよく並べられている。加えてうっすらと塗られているチークやアイラインが私にはない女性を一層引き立てていた。肩口まで伸びた黒い髪も街灯の光を受けて艶やかに輝いていて、すぐ隣にいる私の心臓がドキッと跳ねる。

 まるでドラマのワンシーンを演じる女優を、主人公視点で見ている気分になった。


「うん?どうかしたの?」

「あ、いえ!何でもないですごめんなさいっ」


 必死に拾っていた綺麗な顔がいきなりこちらを見てきて心臓が破裂しそうになる。気が付けばその女性がバックの中身をほとんど拾い終わっていて、私はただ詰め直すだけになっていた。

 じゃあ私はこれで、と言って、彼女は立ち上がる。通りすがりの女性はにこりと私に微笑みかけると、私が来た道を歩いていった。綺麗な黒髪が私の前で靡き、私の鼻腔をくすぐる、甘い香りがした。

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