第10話 70%のヒーロー


 再び車の中に戻ったとき、タイキはいくらか真剣な態度を取り戻した。アキラは腕を組んだ。

「お前、うちに雇われたいと言ったよな?」

「お、仕事があるのか」 タイキの声が弾んだ。

 案の定、食いついてきた。

「会社として雇うことは、IDが無いと無理だ。しかし個人としてなら……プライベートリサーチに協力してくるか」

「それはあの実験に関連すること?」

「そうだ。ただの被験者だと報酬は一度きりだが、プライベートリサーチャーになれば、契約期間中ずっと安定した収入が得られる。もちろん、被験者の報酬とは別だ」

「魅力的だけど、俺は単純肉体労働くらいしかできないぞ。リサーチャーとなれば……」

「十分だ。色々雑務があるから、やってくれる人が欲しい。実験に協力してもらいつつ、清掃やゴミの仕分けなどを任せようと思ってね」

「本当に? ありがとう!」


 タイキはアキラを覗き込み、サンタクロスを目の前にした子供のように瞳を輝かせている。そして、実験に参加した彼はいつか輝きが失われて、生気のない抜け殻となってしまうのかもしれない。そのことがアキラの脳裏を過ったとき、完璧に考案されたはずのセンテンスがぐちゃぐちゃになっていた。


「……ごめん、本当のことを言おう」


 しばらく沈黙したのち、どこか落ち着かない様子で、アキラが低い声で喋り出した。タイキは瞬きをし、変わらぬ純粋な視線を彼に向けている。


「これは凄く危険な実験だ。お前が見た白いフードの男……あれは、現在制作中のメタバース・オンラインゲームの開発用キャラクターだ。一般公開される予定はない。ハイパーリンクの作動をテストするために、被験者がプレイヤーになってもらうために用意したものだ」

「すっ、スゲェ……メタバース・オンラインゲームってどんな?!」

 タイキはすかさず感嘆を漏らした。話の気にするところを間違えているようだ。その無邪気なリアクションがかえってアキラを苦しめた。

「JJihad of Yddasill《ジハード・オブ・ヤダーシル》、通称『JOY《ジョイ》』という名前だ。仮想現実世界に接続したすべてのプレイヤーがオリジナルのキャラクターを持ち、交流したり、チームで対戦をしたり、それぞれのストーリーをクリアしたり、色々自由に遊べる」

「じゃあ、実験が成功して、ハイパーリンク機能が実装出来たら、架空世界でような体験ができるんだな?」

「そういうことだ、しかし……」


 アキラはしばらく考え込んでから口を開いた。

「ハイパーリンクの仕組みを素人にもわかるように説明すると、我々が普段目にしている人工角膜のVRは、TAKUMiが制御している。そこでTAKUMiの力を借り、“見えるもの”を“感じるもの”の情報に書き換えて送信してもらい、脳内のマイクロチップがそれを受信し、神経伝達回路に電気信号を流して幻覚を起こさせる仕組みだ」

「まるで催眠のようだな」

「そうとも言える。ハイパーリンクの実用性が確立したら、社会のあらゆる分野に大きな利益をもたらすことになる。だからTAKUMiも協力してくれている」

 そこまで言うと、アキラはため息をつき、表情を暗くした。


「ただ……実証実験がなかなかうなくいかないのだ。原因がまだわかっていないが、TAKUMiから送られた信号に、人間の脳が意図しない反応をしてしまう。熱さを寒さと間違えていたり、平衡感覚がおかしくなったり。完全なハイパーリンクはまだ成功できていない。それからしばし気分が悪くなる。大抵の場合は休めば治る。ただし重篤なケースとして、体の一部を動かせなくなったり、昏睡状態になったりする」

 タイキは俄かに青ざめた。

「つまり、人間もセントリオンの山本と同等以上にヤバいってことか……」

 アキラは視線を伏した。タイキがどんな表情をしているのか、見る勇気がなかった。

「残念ながら、そういうことだ。そんなこともあって、実験に使用されたあのキャラクターは、赤い呪い《レッドカース》と呼ばれている。関わるとろくなことがないから……」


 長い間を経てから、タイキが恐る恐る会話を再開した。

「その……重篤なケースって、どれくらいの確率で起きるの」

「被験者の3割くらい。酷い話だよなぁ、俺が言えることじゃないが……」


 また、長い沈黙が流れた。


「報酬は?」


 断られることを確信していたアキラがきょとんとタイキを見上げた。

「ハイパーリンクを初めて成功させたら、一生、食事に困らない生活ができるよ。それと、“真のシンギュラリティ”を最初に実現させた者として、人類文明の革命者になれる」

「つまり、70%の確率で、俺はお腹の空かないヒーローになれるのか」

「もしくは、30%の確率で廃人になる……なあ、冷静になるんだ」


 狼狽えるアキラに、タイキがカッと大きな笑顔を見せ、ガッツポーズをした。


「乗った」

「正気か⁈」 

「やってやる。30%だろ? ヒーローになる方が確率が高いって」


 アキラはあんぐりとタイキを見上げた。なんとも馬鹿で、衝動的で、大胆不敵な奴だ。近くにいると胸が痛くなるほどだった。


「レッドカースって言ったよな、そのキャラクター、俺のものにしてやる」

 平然を保とうとアキラは軽く咳払いをした。

「大した自信だなあ。俺がお前なら、死んでも嫌だが……」

「なに、ビビってんの。格好つけといて意外と小心者だな、君は」

 耳に突き刺さる言葉に憤然とするも、アキラに言い返す術はなかった。その様子をタイキは楽しんでいるようだ。

「まあ。俺には失うもんがないからな。廃人になって死ぬか、飢え死するか、はたまた犯罪に巻き込まれて死ぬか。スラムに暮らす透明人間にとってはどれも大して変わらん」


 タイキの姿から熱苦しいばかりのエネルギーが湧き出ている。その視線を避けるように、アキラはずっと俯いていた。良心の呵責に悔しさが混じり、苦々しい味が体の中で広がった。心の奥底で、彼はタイキのことが羨ましかったのかも知れない。


 車がゆっくりと動き出した。それから滑らかに加速し、雑多な街の中を巧みに縫って行く。車窓に流れる風景を楽しげに見つめるタイキ、彼とは対照的に、アキラからは重々しい空気が醸し出されていた。

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