第11話 入国


 車が国境を隔てるバリア壁に近づいたとき、タイキはアキラからボタン電池のような小さなデバイスを渡された。


 「これをチップの外側に着けておけ」


 言われたままこめかみに近づけると、それは忽ち吸着した。脳内マイクロチップが反応し、『プロフィール読込み中』の表示が視界の中に投影された。


 しばらくすると、『認証完了』に表示が変わり、それから『来訪者ID : KN-10679880 東陵都市国家へようこそ』とメッセージが浮かび上がった。


 タイキの胸が俄かに踊り出した。自分にずっと足りていなかったものがようやく手に入った、そんな錯覚がした。


「臨時通行証だ。宇宙からの来訪者に使うものだが、あげる。IDがない問題は当分、これで解決できる。でないと警備ドローンがお前を門前払いするだろう」

「宇宙からの来訪者って、宇宙人か?! 地球外生命体とのコンタクトが成立したのか?!」

 オーバーリアクション気味なタイキに、アキラからは空虚な冷笑が返ってきた。

「お前はいつの時代に生きてんだよ。来訪者とは、宇宙ステーションや火星植民地に居る人間たちのことだよ。地球に見切りをつけて宇宙に移住した、旧世界の支配階級だ」

 嫌々ながらも丁寧な説明にタイキは鼻を鳴らした。

「へ~。そんな奴ら、ここにきてもVIP扱いなのか」

「皆、住み心地が良すぎて帰りたくないようだ。まあ、セントリオンに悉く《ことごと》追い返されるけどな」

 話しを切り上げたアキラはすぐにレポート課題に集中した。一心不乱にタイピングする様は会話を避けているように見えた。


(つまらん奴。)


 タイキは視線を車窓の外に移した。移り変わっていく風景を楽しんでいるうちに、向かい側に居る不愛想な青年の存在を忘れていた。


 一同は程なくして国境の検問所に到着した。隙間なく立ち並ぶバリア壁を一本道が突き抜けている。壁の根本には巨大なコイル型構造体が囲んでいる。それらは強大な磁気バリアを形成する電磁機構で、国の認証なしに製造されたあらゆるデジタルデバイスをシャットアウトしている。

 

 検問所の入り口が壁面にぽつんと空いた穴のように見える。内部はカメラとセンサーが並ぶトンネルだった。そこに、タイキ達を乗せた高級セダンがゆっくりと進入した。周囲が暗転し、車体の艶やかな表面をレーザー光線が列を成して流れていく。


 蛇型の検問ドローンが天井から首を伸ばし、先端のセンサーで通過する車内の様子を記録している。程なくしてタイキたちの番だ。ドローンは俊敏な動きで乗員たちの頭部に照準を当て、チップの情報を素早く読み取っていた。


 スキャンが終わると、車内モニターに「通行許可」の通知が表示された。ほっと胸を撫で下ろしてから、タイキはすぐに顔を窓に押し当てた。検問所を抜けると視界が一気に開けた。


 セダンは平な舗装を滑るように加速し始めた。幅広い道路の両脇は整然と区画された住宅街だ。意匠を凝らした花壇や植木鉢に彩られ、のどやかで生活感が溢れていた。街中を歩く人々はこざっぱりとした身だしなみで、道を行く車両も土埃がなく洗ったようにピカピカだ。吸い殻やビニール袋など一つも見つからない道路脇で、自律清掃ロボットがせっせと動き回っている。


「すげぇ、ゴミがない……」タイキの吐息で窓ガラスが白く染まった。


 程なくして彼らは架橋高速に乗った。高性能な自動運転車は加速し、振動や騒音を少しも感じさせることなく、ぬるりと上がり坂を駆け上がっていく。滞りのない交通の流れに乗ってしばらくすると第一地区に入った。頭上を後退する電子表示板に、「ようこそ、美と和の都へ《Palace of Harmony 》」と大きなロゴが飛び出た。


 あたりの景色は林立する高層タワーに変わった。ガラス張りの壁面が切り取った青空の間を、鮮やかなホログラムがゆったりと浮遊している。ひとかけらの雲が太陽を通り過ぎ、屋上に敷き詰められたソーラーパネルがギラギラと輝いた。


 中心部に近づくにつれ交通量が増えたが、正確に制御された自律走行に渋滞という概念はない。排気口を持たない車たちが近づかず離れずの車間距離で列を作り、複雑に入り組んだジャンクションを均等な速度で流れていく。ドローンたちも同じように列を作り、見えない道路に導かれているように整然と飛び交っている。


「すげぇ、すげぇキレイ!」


 貧弱な語彙力を振り絞ってタイキが嘆く。高ぶる気持ちを抑えきれずにシートから尻を浮かした。窓を開けようと辺りを手探りしているが、ボタンらしい物が一つも見当たらない。


「楽しんでいるようですね」丸みのある女性の声がした。


 とても耳触りの良い響きにタイキは思わず当たりを見回したが、車の乗員に変化はなかった。アキラは何ともなかったように、黙然とレポート課題に取り掛かっていた。


 女性の声がクスクスと笑った。

「私は人間ではありません。今あなたが搭乗している自動車の制御AIです」


 タイキはようやく、声がスピーカーから流れているのに気付いた。


「うぁ……この車、喋れるのか!」

「はい。驚きましたか」

「やっぱ壁の内側から来たもんはレベルが違うなあ」

 声が弾むタイキに、忙しそうにしていたアキラから不機嫌な視線が返ってきた。タイキはまったく気に留めていない。

「制御AIさん、窓を開けれくれないか」

「かしこまりました」

 静かに降ろされた車窓から新鮮な空気が吹き込んできた。タイキは深呼吸をし、満足げに目を細めた。


「空気もきれいだ……」

 

 空中緑地で戯れる子供たちの笑い声、とこからとなく流れてくる音楽とナレーション、それらが都市の雑音と溶け合い、重厚な交響詩を織り成した。繁栄と調和のハーモニーに包まれ、鼓膜が洗われるような心地よい境地に浸った。

 

 ふっと、懐かしい気持ちで胸がいっぱいになる。すべてをそっと抱きしめていたい。まるで自分自身の一部のように。

 

 アキラは風に踊らされている前髪を手で押さえた。

「ミラ、窓を閉めて」

「はい、アキラ様。上級権限レベルにより、ゲスト様の指令を上書き致します」


 風を楽しんでいるタイキの目の前で車窓がゆっくりと上昇した。ムッとするのも束の間、彼の興味はすぐに別のことに移った。

「この車、名前があるんだな」

 すっかり感心してドアトリムを撫でていると、スピーカーからまた声が聞こえた。

「さようでございます。ミラと申します」

「すごっ! 人間みたいだ……」

「2048年、臨海区画のトミタ工場第三製造ラインから生まれました。皆さんの快適な移動のために尽力してまいります」

「へ〜、“お姉さん”、おしゃべりが上手いね」

「設定によっては、“お兄さん”にもなれますよ」

「ほぉ……じゃあ、お爺さんにもなれるの」

 すると、制御AIは忽然としゃがれ声になった。

「そうじゃ。わしの音声データには100種類ものサンプルがあるのじゃ。お好みに合わせて、いくらでも変更できるわい」

「すげぇ!」


 車載AIと戯れ始めるタイキはを横目にやり、アキラはミラのコントロールパネルを呼び出し、『世間話』の設定レベルをグッと下げた。

 急に静かになったミラにがっかりしたが、タイキはすぐに注意力を流れる景色に戻した。どこまでもクリーンで人工的で、秩序と華やかさが共存する壮大な景色を網膜に焼き付けた。


 無垢な瞳を輝かせ楽しそうにしている彼の様子をひと睨みし、アキラは積み残された課題レポートに向き直った。


「そういえば、俺たち、どこに行くんだっけ?」

 重苦しい沈黙を突き破ってタイキが尋ねる。

「プライベートリサーチ施設のあるところだ。俺の家でもある」

 そう話ながら、アキラの目線は彼自身にしか見えないレポート課題に向けたままだった。

「研究施設で暮らしてんの、?」

 無邪気に驚くスラムの青年とはまったく話が通じないことに気づき、アキラは短いため息をついた。

「俺がお前のような被験者に見えるか」

「いいや。そうだとしたら俺と同じくらい可哀そうかもなーって思った」

「……」


 “可哀そう”という言葉がチクりとアキラに刺さる。自分より圧倒的に悪い境遇にいる同い年に言われたら猶更だった。


「なんか変なこと言った?」

「変なこと言ってないよ、お前」アキラが少しばかり早口になった。「今から向かう場所は、社長が外部の干渉を避けて研究したいが故に、プライベートリサーチ施設として建てたものだよ。とても広い自宅の一部を改造してな」

「社長の自宅……君の家……根守……」


 タイキの頭の中で、点と点がようやく繋がった。彼は弾かれたように席から飛び上がった。護衛アンドロイドの大男たちがすかさずに身構える。


「君って、エレクトリック・ドリーム社のCEO、根守祥子ねもり しょうこの息子なのか?!」


「自己紹介、要らないと思ったんだけど」 


 冷ややかに言うと、アキラは大学の課題に注意力を戻した。静寂に取り残されたタイキは瞼を擦り、自分の耳を疑った。今この瞬間が非現実的すぎて、知らぬうちに仮想現実に入っているのではないかと思っていた。

 

 ミラはタイキとアキラを乗せ、東陵都市国家の中心部に入り込んでいく。日が沈み始め、当たりが薄暗くなるに合わせて車のライトが一斉に点灯した。遥か上空からハイテク大都市の全景を見下ろすと、まるで巨大な電子基板が地表に張り巡らされているようだった。高層ビルの群れは、小さなチップやコンデンサのように整然と並び、回路のパターンをなぞるように車道が通り抜けている。

 

 光の尾を引きながら規則正しく行き来する車やドローンたちの様子が、基盤を伝達する情報を可視化しているようだ。小さな灯りのひとつがタイキたちだ。大都市の景色に溶け込んみ流れゆくミラの尾灯が、これから起きることを物語っている。外界からきた未知のバイナリコードが、シームレスに動く巨大なメカニズムの内部に運ばれていく。


 タイキという存在が入国したことにより、人類とAI、両者の運命が大きく動き始めることに、誰も知る由がないだろう。


 



 

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