第9話 “良い”オファー
第三地区にある名の知れたレストランの一角、テーブルを埋め尽くすご馳走をタイキは全力で掻きこんだ。
出された料理は、すべて食材の原型が保たれていた。タイキが普段食べているのはジェル状やブロックタイプの合成栄養食だった。それに比べたら見た目も香りも段違いに良く、色とりどりの野菜やジューシーなカットフルーツの中には、写真でしかみたことがないものもあった。
切り揃えられたサイコロステーキを口の中に入れた瞬間、肉汁が爆弾のように弾けた。肉の繊維の柔らかい舌触りも感動的だった。野菜の炒め物は噛むたびにシャキシャキと鳴り響き、新鮮な旨味が舌の隅々まで広がった。焼いたジャガイモもホクホクとしていて香ばしい。
ありとあらゆるものが美味しすぎて、タイキは今日が人類最後の日であるように、無我夢中に貪っていた。時々喉を詰まらせ、慌ててオレンジジュースをがぶ飲みする。空になった皿はすぐにウェイトレスが下げに来て、無尽蔵の食欲に青ざめながらまた新しい料理を置いていった。
「ふぁ〜、うんめぇー! 生き返るわー」
一週間分の食事を一度に詰め込んだ気分で、タイキは席にのけ反って張り出した腹をさすった。
向かい側に座っているアキラは黙々とタイピングしている。といってもパソコンもキーボートもなく、それらは旧世界の遺物だ。すべての入力と出力は、アキラの人工角膜を通してでしか見えないVRのインターフェースで行われている。一心不乱に作業をしている様子にタイキは首を傾げた。
「何しているの?」
「レポート課題」
手を止めずにアキラが素っ気なく答えた。彼は何も食べておらず、水さえもを飲まなかった。
「へー、学業しながら会社の重役を任されているのか。すごいなぁ。俺も大学にいってみたいよ」
アキラはちらりとタイキを見た。
「つまらんからやめとけ。ただの労働力養成所」
「養成しなくても、俺は労働力になっているけど。ある意味、金持ちよりもコスパ良いじゃん?」
何気ない言葉が不意にアキラの胸に刺さる。ここに来るまでの道中、タイキは自分の経歴について少し話していた。孤児院で廃棄ドローンから電子部品の回収作業を毎日やらされていたこと、16歳になると孤児院から追い出され路上生活を始め、日雇いのバイトをしながら何とかやっていること。
アキラが親の金で自由快適な生活を送っている間、タイキは全く異なる世界を生き、様々な労働を通じて社会に貢献してきた。例えそれが彼が唯一できる単純肉体労働というささやかなものだとしても。
ホームレスといえば、スラムの路地に寝転がるアル中やヤク中たちのイメージしか無かったが、タイキは彼らとは少し違うようだ。貧相で薄汚れた格好をしていても、その両目には輝きがあった。生きる気力とより良い暮らしへの渇望があった。にも関わらず、社会はどこまでも不公平で残酷だった。
「手が止まっているよ。書き終えたのか」
話しかけられて、アキラは自分が物思いに更けていることに気づいた。
「そっちこそ、食べ終わったのか」
質問を質問で返されても、久々の満腹感に浸っているタイキは至って上機嫌だった。
「ご馳走さま。ところで、君は食べなくていいのか」
「俺は第三地区で食事をしない。ちゃんと除染されているか怪しいから」
「へぇー。贅沢」
この時代において、「贅沢」という言葉は良い意味を持たない。旧世界は贅沢しすぎた故に滅んだと、一般的に認識されている。
アキラはじろりとタイキを睨んだが、挑発に乗るつもりはないようだ。一心不乱にレポートを書く彼の様子に退屈したのか、タイキは再び話を切り出した。
「そういえばさあ、俺、死にかけていたときに、人の幻影を見たんだ。カッコいいなー、あいつ。御社の新作に出てくるゲームキャラクターなのか」
世間話をするつもりはなかったが、ゲームキャラクターという単語がアキラの気を引いた。
「そうかもな。うちのアートデザイナーは優秀だから」
「でもなんで知らないはずキャラクターがVRで見えるようになるんだ? 俺、ゲームできるアカウントなんて持ってないのに」
レポート作成に忙しいというのに、タイキは全く気にすることなく話しかけてくる。アキラはため息をついた。
「広告か何かで見ただろう。その記憶をチップが勝手に引用したんだ」
「変だな……見覚え無いんだけど。あの白いフードと鮮やかな赤い髪、一度見たら絶対に忘れないくらい格好いいのに」
「え?」
アキラは目を丸くして硬直している。それは今まで彼がタイキに見せた最も大きな感情変化だった。タイキもギョッとして彼を見つめ返した。
「……俺、なんかまずいこと言ったか?」
「いや、それはー」
ちょうどそのとき、着信音が鳴った。アキラはレポートの作成画面を閉じ、すっくと席を立った。
――
煌めく近未来都市のスカイビル群を背景に、スーツ姿の女性の背中が見えた。息子が着信を承諾したとき、艶やかな唇が反り返った。声に年季が入ったが、真っすぐに伸びた背筋とくびれのある輪郭が、凛々しくて精力に満ち溢れている。
「おしゃべりもいいところね。そろそろ彼に教えてちょうだい、実験の詳細を」
――
車に戻ったアキラは車窓越しにレストランを覗き込んだ。ちょうど窓側に座っているタイキが皿に残った料理を呑気に口に運んでいる。アキラは声のトーンを落とした。
「……母さん、俺たちの会話を盗み聞きしていたの?」
「盗み聞きじゃない、監督だよ。これは業務時間中だということを忘れないで」
「はぁ……」
再び話し出す前に、アキラはマイクに拾われないように弱いため息をついた。
「実験の参加について、あいつに承諾してもらった。これ以上のことは説明する必要あるのか」
「もちろん。ちゃんと教えて、彼に自身の希少価値を分からせるの」
「……」
黙り込む息子に母親は遠慮なく畳みかけた。
「彼は赤い
「そうは言っても、あの実験は……」
言いかけた言葉を飲み込み、アキラはしばし考えた。
「まさか、彼のような社会から弾き出された者が返って好都合、ということなのか」
「そう」イヤホンの向こうから含み笑いが聞こえた。「賢くなったじゃない」
「しかし、もし失敗したら、あいつは……」
「IDのない“透明人間”は、どうなっても誰も気にしないでしょう。全知全能とされているTAKUMiでさえも、ね。彼もきっと、そのことを覚悟したうえで実験の参加を承諾している。莫大の報酬と良い暮らしのために、背負わざるを得ないリスクよ」
「そうだとしても……!」
言葉がアキラの喉につっかえて出てこない。これから自分の言動に良心をズタズタにされるのが忍ばない。タイキに実験の参加を促したことで、アキラは今日すでに一度、自分の良心を痛めつけた。一生懸命に感情を隠しても、胸の痛みまでは消せない。もう一度良心に背いたら、今度こそメンタルがもたない気がした。
彼の気持ちを見透かしたように母親が追い打ちをかける。
「いい? この実験が成功すれば、私たちは世界を変えられるのよ。それくらい重大なこと。人類が進化する。大きな前進は犠牲をなくして出来ない。それなのに綺麗事を並べて逃避するのは、軟弱者の取る行動だ。情けないあんたの父親と一緒」
アキラは苦虫を噛み潰した顔で黙り込んだ。叱られるとき、母はいつも居なくなった父のことを引っ張り出す。それが効果できめんだとわかっていたからだ。
「……わかった。説明すればいいんだろ?」
言葉が口から出た途端、胸の中がズキッと痛んだ。そんなアキラに母親は更なる追い撃ちをかけた。
「それだけではない。こっそり
アキラの頬から血の色が引いた。
「正気か?! ホームレスだぞ。何週間も風呂に入ってなさそうだよ……」
「正気よ。上手く言いくるめてくれるよね? 交渉力は人を動かす上で重要なスキルだ。頼んだよ、次期CEO」
通話が切れた。「次期CEO」という単語が肩に重くのしかかる。本当に、日本屈指の大企業をリードできるほどの力が自分にはあるのか、アキラは少し不安になってきた。
再びレストランに戻るとアキラは素早く会計を済ませた。テーブルに向かう途中、あらかじめ用意した言い訳を何度も頭の中で繰り返した。高い報酬と上質な暮らし、それから安定雇用。話を進めるうえで使える要素を幾つか並べていた。
(そうだ、あいつは道中、雇ってくれないかって懇願していたな。社長が直々に雇い入れるプライベートリサーチャーということで、うまく聞こえるように胡麻化そう。我が社への憧れも利用するんだ)
突然、アキラは自分の考えに反吐がでそうになった。自分自身がずる賢くて醜い人間のように思えて仕方がない。しかし、彼は湧き上がる苦々しい感情を弱音として押し殺した。人類の文明をリードする巨大企業の後継ぎとして生まれたのなら、それくらいの罪悪感を背負う覚悟ができている。そう自分に言い聞かせ続けていた。
アキラはタイキのいるテーブルの前に立った。
「よし。腹を満たしたのなら、ついて来い。お前に《良い》オファーがある」
妙に力の籠った言い方にタイキは訝しそうに唸ったが、すぐにまた姿勢を崩し、満腹の余韻に浸った。アキラはボディーガードたちに合図した。エスコートしてきた護衛アンドロイドの威圧感に負け、タイキは渋々とレストランを後にした。
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