第8話 条件と見返り
翌日、タイキが退院するタイミングに合わせて、アキラが再び訪れた。今度はボディーガードらしき黒スーツの男型アンドロイドを2体連れてきた。
セントリオンと違って、それらはすぐに機械だと見分けがつく。サングラスで隠していても、点滅するセンサーのライトが透けて、瞳はカメラのレンズだと分かる。皮膚の質感も何だかゴムっぽく、目を凝らすと繋ぎ目が見える。
アンドロイドとセントリオンは似て非なる存在だ。セントリオンは東陵都市国家の創造主であり統治者でもある中枢AI-『TAKUMi』が作ったのに対し、アンドロイドは人間がTAKUMiの定める『機械構造体ガイドライン』に抵触しない範囲内で作ったものだ。セントリオンは自律的で拡張可能な思考と行動意思を持つが、アンドロイドは予め設計されたプロトコルに沿ってしか動かない。つまるところ、アンドロイドはただのロボットだ。セントリオンのように“生命体”と名乗るのには程遠い。
医療費の支払いはアキラがとっくに済ませており、タイキはただ機械の大男たちに挟まれ、脇見一つできずについて行くだけだった。
胸騒ぎをしながら、タイキは昨日のことを思い出した。これからどこに連れていかれ、何をされるのかについて、悪い妄想しか浮かんでこない。もし失礼な態度をとったことについて恨まれているのなら、今から必死に謝るつもりだった。
病院のエントランス先に、見慣れないセダン型の四輪車が止まっていた。角の取れたスリークなシルエットで、ピアノブラックの塗装がやけにつやつやとしている。第三地区で一般的に見かけるマイクロカーより、一回り大きくてどっしりとしている。整備された区画の広い道での走行を前提で設計されているようだ。
人が近づくと自動的に扉が開き、ステップに『Welcome』の英文字が投影された。アキラが乗り込むのに続いて、タイキは護衛アンドロイドに促されるまま半ば強制的に乗せられた。
完全自動運転の車に運転席もハンドルもなかった。広々とした車内空間に、ソファータイプのシートが対になって配置されている。ドアパネルに収納されていたテーブルが、気の利いたようにすっと出てきた。
アキラはポケットの中からカードのようなものを取り出して、テーブルの上で滑らせた。名刺だった。資源節約が叫ばれている世の中で、紙の名刺を持つなど、とんだ贅沢だ。それに書かれているものと、対面に座っている青年の顔を交互に見つめ、タイキは目の前の光景がVRではないことを幾度なく確認した。
「え、えええええええ?!」
ビーガンレザーのシートに尻を沈めたばかりのタイキが咄嗟に飛び上がった。恐る恐る名刺を取ると手から俄かに冷や汗が滲み出し、厚紙の艶やかな表面にぼんやりと跡をつけた。
高級感のある箔押しの印字に、
アキラはいつものポーカーフェイスを保ち、タイキが再び喋り出すことを静かに待っていた。
「俺、大ファンなんです! 貴社が出すコンテンツのすべてが! ゲームはもちろん、あの現実とリアルタイムにリンクしてをVRを映し出すやつとかは特に!」
興奮を抑えきれない言葉がタイキの口からどっと流れ出た。
「あ、でも俺、IDがないから正規アカウントが作れないんっすよね。いつもフリーメールアドレスをいつくも作って、体験できるコンテンツにだけ何度も申し込んで……」
そういうとタイキは空気の抜けた気球のように萎んでいった。黒ぶち眼鏡の向こうから白々しい視線を感じた。
アキラは鼻で笑った。
「まあ、そうあがらなくても。ところでお前、意外に敬語できるじゃないか。不躾な中坊かと思ったぞ」
「はっ、はい、そうでございますよ」はにかみながらタイキが答える。
「やっぱりやめろ、気持ち悪い」
「あ、そうか」タイキは申し訳なさそうに頭を掻いた。
嫌味の通じない相手にアキラがこれ以上雑談する気はない。
「それで、話の本題に入ろう」
アキラは腕を組み、ちゃんと聞けよ、と言わんばかりのオーラを出した。
「山本に誘拐監禁された件について、人に尋ねられたら、配達屋のバイトをしていたら重度な精神疾患者に絡まれた、とだけ言ってほしい」
「えっ、あいつ、セントリオンだぞ?」
「そのことについては、絶対に話すな」
先ほどまで嬉しさで舞い上がっていたタイキがころっと表情を変えた。それから探るようにアキラと、彼の両脇に陣取っている厳ついボデーガードを見回した。
「ふ~ん」
タイキは目を細めた。
「これって、口封じ? なんかやましいことでもしてんの」
「お前には関係無いことだ」アキラがキッパリと言い放つ。「もちろん、タダとは言わない。約束を守る見返りに、願いを一つ聞いてやる。ただし、約束を守らない場合、弊社の権益を侵害したとして、強硬手段に出る」
俄かに青ざめるタイキ。
「強硬手段って何…… 誘拐? 殺人? 臓器売買?」
「違うよ。入国できない犯罪者どもと一緒にすんな。訴訟だよ、訴訟。貧乏人はまず勝てないから、諦めろ」
一般人ならビビり出す所だが、タイキはゲラゲラと笑い出した。
「俺を訴訟した所で、何も得しないぜ。家なし、身分ID無し、家族も友人もいない、明日があるかもわからない身だ。一層のこと、騒ぎを起こして賭けをしようか?」
アキラの目がかすかに見開いた。
「お前…… 捨て子か」
「ああ、そうだとも。今はホームレスだけどな」
胸を張るタイキ。失うものが何一つない者こそ、この世で最強だ。
やたら食べ物に固執していたことも、マナーをわきまえない身振る舞いも、全てがアキラの中でガッテンした。これが本当の貧富差というものなのか。彼が仕事と学業などで頭を悩ます一方、日々を生き抜くだけで精一杯な同い年の青年が、こうして目の前に座っている。頭の中でマズローの欲求段階説が嫌でも浮かんでくる。自分は最上層で、タイキは文字通りの最下層だ。
「それを言うのなら、お前を今すぐ警察に突き出してもいいよ? どうせ不法入国者の子孫だろう。IDが無いやつは矯正収容施設に入れられる運命だぞ」
さっきまであったタイキの自信が霧散した。
「そ、それだけはやめてくれ!」
彼は深々と頭を下げて、両手をアキラの前に合わせた。
「お願いだ! 明日がない身って言ったけど、俺はやっぱりちゃんと生きたい。あの施設に入れられてから出てきた人なんて聞いたことないから……」
「じゃあ、俺の言った条件を飲むんだな」
一本、取られた。タイキは渋々と頷いた。
「わかったわかった。山本の件は誰にも言わない。誓約書に指紋をつけてもいいよ!」
「それだけではない」アキラの声が低くなった。「お前は山本に代わって、プロジェクトの新たな被験者になってもらう」
タイキはアキラの言葉を頭の中でしばらく反芻した。
「……はぁ?」
「エレクトリック・ドリーム社では、よりリアルな仮想現実体験を実現するために、『ハイパーリンク』と呼ばれる新しい機能を開発している。一言で説明すると、VRで見たり聞いたりすることが、実際に五感で感じるようになる機能だ。そのための大脳実験が今、行われている。山本はその被験者の一人だった」
「マジか…… あいつがイカれたのは、実験のせいなのか」
「その可能性はある。しかし、あれは人間に偽装したセントリオンだ。実験システムは人工知能生命体を対象に作られていないから、不測の事態が生ずるのも仕方がない。ガイドラインに違反した本人が悪い」
タイキは考え込んだ。矯正収容所を耳にした時よりもさらに顔色が悪い。アキラの言い分はブラック企業の顧客コールセンターに聞こえる。何があったら絶対に責任は取らないだろう。
しばらくして、彼はゆっくり頭を上げた。今すぐ車のドアをこじ開けて逃げ出したい気分だが、厳つい護衛アンドロイドたちのセンサーが、彼の一挙一動に張り付いている。選択肢は無いようだ。
「……わかった。じゃあ、飯おごってよ」
開き直ったような軽やかな口調でタイキが言った。
「飯、だと?」アキラが片方の眉を上げた。
「条件を飲むなら、願いを一つ叶えると言ったよな。俺は毎日、お腹いっぱいにうまい飯が食いたい。君からすれば、そんなに難しくないだろ?」
アキラは顎を引いた。
「この状況で、お前が気にするのは飯か」
「何やらヤバそうな実験だろうが、まあ、飢え死によりマシかなぁ」
そう言うと、タイキはあくびをした。
「ふぁ~、眠いな。ちょっと寝かせろ」
アキラの許可を待たずに、タイキは柔らかいシートに背中を沈めた。無遠慮に手足を伸ばして寝転がるホームレスの青年に、アキラはただ言葉を失っていた。
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