第7話 嫌な奴

 看護婦が病室を出てから十数分ほど経った頃、病室に一人の青年が入ってきた。標準的な体形に、清潔感あるすっきりとした着こなしをしている。ポロシャツの布地に高級感のある光沢が纏い、胸ポケットにされげなくブランドロゴが刺繍されている。

 

 タイキは彼が第三地区の人間では無いことをすぐに確信した。というのも、第三地区の人間は質の悪い食事で体形が崩れがちで、ファッションに至っては奇抜か全く気を遣わないかのどちらかだ。


 青年はタイキが寝ているベッドの側で立ち止まり、細く切れ上がった両目で彼を見下ろした。ショートレイヤの黒髪と彫りの浅い顔立ち、黄色い肌。間違いなくタイキと同じ東洋系だ。しかしそのことがもたらす微かな安心感も、青年の鋭い視線にかき消されてしまった。


「……誰だ?」


 タイキがつぶやくように尋ねると、青年は微かに眉頭を沈ませた。


「覚えていないのか。お前を押入れから引き摺り出して助けたのを」

「……あー!」


 配達先の男に暴行され監禁されていたこと、空腹と渇きで死にかけたこと、それらの記憶が走馬灯のようにタイキの中で蘇った。命の恩人であるこの青年も、ぼんやりだが思い出したような気がした。


「助けてくれてありがとう」

 

 細かいことを気にする暇はない。タイキは体を起こし、改まった態度でお礼を言った。少し考えてから、彼は先から疑問に思ったことを訪ねた。


「ところで、俺たちはいつから“連れ”になったんだ?」


 青年はタイキを頭のてっぺんから爪先までささっと見回した。表情を全く表さないところに妙な威圧感があった。


「お前、IDないんだろ?」


 タイキは一瞬固まり、それから目を泳がせた。幸い、青年は説明を求めていないようだ。


「怪し過ぎる身分はさておき、こっちも事情があって警察が深入りするのを避けたい。だから詮索を避けるために、お前を俺の連れと言うことで誤魔化した。病院の受付にもそう伝えた。そうしたら通してくれた」


「そうか……君の名前は何という」


「今は知る必要がない」アキラの声に皮肉が混じった。「ところで、年上に“君”は失礼だぞ。どこの中学校? 保護者に連絡して迎えに来て貰え」

「いやいや、俺、中学生じゃないし」


 慌て両手を振るタイキ。点滴のチューブが揺れてポールに当たり、看護婦の叱りが飛んできた。アキラは無表情のままだった。


「嘘つけ。親に黙って家出したんだろ」

「だから違うって。俺は20歳、成人してる」

「うそだろ……同じ年かよ」


 アキラは眉を潜め、もう一度タイキのことを見まわした。検問ドローンにスキャンされているような気がして、タイキは固唾を飲んだ。


「まあ、いいや」


 さらりと言い、アキラは手提げ袋を一つベッドの横に置いた。中には缶ジュースと菓子パンなどが入っていた。


「看護婦が飢饉に襲われた難民がいるって俺に言ってきたから、買ってきたよ」

「なっ、難民じゃねーよ」


 はにかみながら口答えするも、タイキは全否定できずにいた。飢え死にしそうだったのは確かだ。


「とりあえず食べな。金は要らんから」


 ありがとうの代わりに、タイキは苦笑を見せた。素直に感謝を伝えるべきだが、上から目線なところどうも気に食わない。


「随分と気前がいいんだなあ、君は」


 ポーカーフェイスな青年に微かな不快感が滲み出た。


 タイキは視線をアキラから食料品のバッグに移した。大したものでなくとも、彼にとって中はご馳走の山だった。一番体積の大きいメロンパンを手に取ると、胃袋がそれを今にも欲しがりそうに呻き出す。両手でパッケージを開けようとした時、何処からとなく看護婦が飛んできた。


「こらぁ、動かすな!」


 聞き分けの悪い子供に対処しているオカンのように、中年太りした看護婦は点滴が刺さっている細い腕を掴み、バンドで手際よくベッドサイドの柵に固定した。


「……ここの看護婦、すっげぇ怖いな〜」


 遠ざかるナース服の背中を横目にタイキがつぶやいた。


「第三地区のサービスに何を期待しているのさ」そう言い残し、アキラは踝を返した。

「ちょっと開けてよ? 片手が使えなくなちゃった」


 偉そうな裕福層野郎に、タイキは躊躇なくメロンパンを突き出した。それから、不機嫌を露わにして振り返るアキラの様子を心の中でほくそ笑んだ。第三地区の貧民に使われる貴族の青年は甚だ罰が悪そうだ。


「お前、誰に向かってその口を聞いている」

「さあ? どっかのお坊っちゃまだろう」

 

 「お坊っちゃま」という言葉がアキラの勘に触った。彼は顔をしかめ、声を低くした。


「自分でやれ」


 吐き捨てるように言い、また背を向けようとするアキラ。


「え〜、いじわる!」


 タイキは泣き出しそうな顔を作って見せ、わざと高い声を出した。見かけ上の幼さは、使いようによっては役に立つ。同じ病室で年寄りの見舞いに来ていた、中年女性のお節介な好奇心を引いた。


「まあまあ、そこのあんちゃん。子供相手に優しくしてあげて」


 アキラは顔をしかめたまま、ほとんど聞こえないように舌を鳴らした。


(意地の汚い奴め。これだから貧乏人とは関わりたくねぇ)


 これ以上面倒なことにしたくない。不意に絡んでしまった、身分不詳なやからとはさっさと会話を終わらせたいところだ。アキラは奪うようにしてメロンパンを取り上げて、パッケージを破るとベッドの上に放り投げた。


「ありがとう」


 愉快に礼を言い、タイキはメロンパンを拾い上げてむしゃむしゃと食べ始めた。一週間ぶりの糖分が舌に染みて、思わず涙がこぼれそうになった。アキラは不格好な食いっぷりに眉をひそめ、そそくさと立ち去ろうとした。


「ちょっと、行く前に説明してよ! あの山本ってセントリオンは結局、どうしちゃったの。君の知り合いだろ?」


 アキラは立ち止まり、メロンパンに頬を膨らませ、食べカスを散らかしている顔に振り向いた。


「その話はまた今度。退院したころにはまた、ここに来る」

 タイキは口の中のメロンパンを飲み込み、不味そうな表情を作ってみた。


「うわ〜、俺たちもう一回会うのかよ」

「俺がお前に会いたいとでも?」すかさずに嫌味を返すアキラ。「大人の事情だ。我慢しろ」


『バタン』と音を立てて病室のドアが閉まった。ドアガラスの向こうに消えていったアキラの背中を睨み、タイキはつぶやいた。


「嫌な奴……」

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