第6話 誤作動

 悪臭漂うリビングの中で、アキラは鼻を摘んで慎重に足を進めた。

 

 数ヶ月もカーテンを開けず、外出もしなかった男の末路を物語っているよう光景だ。至るどころにインスタンド食品のゴミが堆積し、そこらじゅうに放置された空き缶やペットボトルには吸い殻と飲み干しか排泄物かも分からない液体が入っていた。


 被験者がセントリオンだったことがすでに予想外だが、それ以上に食べたり飲んだりと、生身の人間と同じ活動をしていたのが驚きだった。驚愕と後悔の入り乱れた心情を宥めながら、アキラはタブレット型の測定装置を見つけようと懸命に見回した。護衛ドローンが気の利いたように詮索ライトをつけた。


 (まるで犯罪現場を捜査する警察じゃないか。いや、特殊清掃班か。いずれにしろ、とんだ場違いだなあ)


 置かれた状況に心の中で毒づきながらも、アキラは母親からの命令を真面目に執行していた。


 あのデバイスにはありとあらゆる企業機密が詰まっており、外部の手には絶対に触れさせたくない。それに、あれには分解されたり、ハッキングされたりした時に自壊するよう爆発装置がつけてあるので、怪我人や火災で世間を騒がせる最悪の事態を回避しなければならない。


 寝室にあるテーブルの一角にそれは置かれていた。埃に覆われ、電源はとっくに切れている。予備用のバッテリーに繋げ、指紋認証でシステムを立ち上げる。異常はなさそうだ。被験者との最後の通信は三ヶ月前で、大脳活動のモニタリングも同時に途切れている。実験成功の報告は、真っ赤な嘘だった。


「期待してたのも無駄か。所詮、イカれた野郎が金を詮索しようとしただけか」


 ため息をつき、アキラはデバイスをカバンにしまった。同時に、なぜ誰も、被験者がセントリオンであることを自分に告げなかったのか、訝しく思った。セントリオンの電子神経回路は人間とかなり違う。その動きをモニタリングしていたのなら、簡単に気づくはずだった。


 ただし今は深く考える必要がない。気分が悪くなる前に急いで外に出ようとしたその時だった。


 押入れの奥から物音がした。何かが擦れたような微かな音にアキラは思わず立ち止まった。


(きっとゴキブリか何かだろう。)


 心の中でそう自分に言い聞かせて、アキラは再び玄関先を目指した。ここに一秒たりとも長居したくなかった。


『バタン!』


 今度は大きな音が響いた。襖の奥で何かが動いているのは間違いない。それから息遣いも聞こえた。


 街の遠くからサイレンが近づいている。厄介なことに隣人が通報したのだろう。ここで迂闊に動けば犯罪に巻き込まれる危険性がある。今すぐこの場から立ち去るのが吉だが、アキラの体が動かない。襖を開けろ、という脅迫じみた声が頭の中で響き渡っている。


『バタン、バタン!』また音がして、襖が震えた。何かが必死にもがいているようだ。


「……うぅ」


 人の声だ。アキラは居ても立っても居られず、押入れの前に駆け寄った。襖を力いっぱいに開けた途端、中に閉じ込められていた少年と視線があった。少年は大変やつれてしまい、苦しそうにうめいでいた。


「おい、大丈夫か⁈」


 アキラは口封じのガムテープを急いで外した。


「うわぁ……」


 少年から弱々しい悲鳴が漏れた。生気を無くした顔は誰が見ても不憫に思えた。


「今すぐ助けるから!」


 そう慰めながら、アキラは少年を縛り付けているロープを急いで解いた。少年はぐったりと動かなくなった。見開いたままの眼球で人工角膜が絶えず点滅し、意識を失いながらも何かと通信しているようだ。


 アキラのカバンの中で、電源が切れているはずの実験デバイスが作動し、知らせのVRサインが飛び出た。


(誤作動にしてもありえないだろ?!)


 少年の容態を気にしながらも、慌てて取り出してモニターを確認する。神経活動マッピングが飛び出し、過剰に活発化した大脳全体が真っ赤にハイライトされた。しかし目の前の少年は、依然と気を失ったままだった。


 モニターと少年を交互に見つめ、アキラはその場にフリーズしていた。


――

 昏睡している間、タイキは不思議な夢を見ていた。自分は形のないものとなって異世界を旅している。正確的には、空間を自由自在に飛んでいるようだ。


 東洋古風の家屋にステンドグラスが色彩を添え、石畳の道をヴィクトリア調の街灯が飾っている。遠くには雲海に聳え立つ険しい山々と、山肌から迫り出した集落や寺院、それらをつなぐ細い階段道などが見える。和洋折衷の美しい街並みだ。現実にありそうでない、幻想的でありながら奇をてらっていない、華やかでありながらけばけばしくない。あらゆる要素が丁度良く組み合わさっている。

 

 頭上を轟音と共に飛空艇が掠め、大気を切る主翼の先が白い尾を引いた。足元では汽笛を鳴らして機関車が通り過ぎ、張り巡らされた鉄道が日を浴びてキラキラと光っている。この世界は美しいだけではなく、スチームパンク風のテクノロジーも進んでいるようだ。


 街を行く人々は活気にあふれ、洒落た衣服と精巧な装飾品を身に着けていた。市場には溢れんばかりの食品と生活用品が並べられ、周囲には客人たちが群がっていた。崩壊した貧窮な世の中で生まれ育ったタイキは、その光景を目玉が飛び出る勢いで見つめていた。


 異世界の中心には、天と地を繋げる巨大な幹が聳え立っている。万物を創造主、世界の根源と呼ばれる世界樹ヤダーシルだ。それに比べたら、山と街はジオラマのように小さく見えた。無数に分岐した枝は空を天井のように支えている。枝先から青空が生まれ、葉脈の裏から雲が生まれ、幹の中心に見える核から太陽のような光が溢れ出し、世界を暖かく包み込んでいた。


 (ここは、大きな樹に創られた世界なのか)


 神秘に満ちた非現実的な風景を目にしたとき、タイキはようやく、自分が夢の中にいることに気づいた。


――

 病床の上でタイキは目覚めた。


 シーツから石鹸と消毒液の匂いが漂ってくる。顔や体の所々にガーゼが当てられた、触れると少し痛んだ。腕がひんやりと冷たい。


 ここは病院だ。助かったことにほっとするのも束の間、タイキは起き上がってキョロキョロし始めた。すると、他の患者を手当てしていた看護婦が安静にするように言いつけてきた。豊満な体つきに浅黒い肌、おそらくインド系だろう。流暢に日本語をは話す外国人の姿は何も珍しく無い。ここは、世界各地からきた難民とその子孫で出来た社会だ。


「俺はどうしてここに?」


 すっきりしない頭を掻こうと腕を上げたところ、看護婦が急いで駆け寄って押さえつけた。


「危ない!」


 タイキはようやく自分が点滴に繋がれていることに気づいた。何が何だか分からずにぼんやりしていると、看護婦は察したように状況を説明した。


「あなたは重度な脱水症状と低血糖症で運ばれてきましたのよ。警察も来ていたもので、なんらかの事件に巻き込まれていたのでしょう」


 看護婦は「さも知りたくない」と言わんばかりに、タイキをそそくさとベッドに押し付けて布団を被せた。第三地区は人間が中心のエリアだ。人間の看護婦はセントリオンの看護婦ほど、優しくない。


「まずは点滴が終わるまで動かないで」


 布団の下から聞こえる胃の鳴る音にタイキは気まずそうな顔を見せた。


「あの……、何か食うものは無いですか」

「食うもの? 医療費も払えなさそうな人に食わせるものはないよ」

「うっそ―! 餓死する……」タイキは一瞬だけ起き上がり、それからまたベッドにへたり込んだ。

 看護婦はため息をついた。

「ちょっと待って。あんたの連れに連絡するわ」

「連れ?」タイキは目をパチクリさせた。


 

 

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