第5話 予想外の結果
国土の中心部は第一地区と呼ばれ、様々行政機関と企業が集まり、特権階層や裕福層の住処でもある。林立するスカイビルと空中緑地が織りなす美しい景色は他の区画から一線を画していた。そんな一等地にキャンパスを構える最難関大学-『東陵大学』の、立派な教学棟の一室にアキラは座っていた。
壇上で教授が行動経済学について熱心に授業をしている。使用する言語は英語だ。生徒たちは多種多様な人種で構成されている。特権階級を除き、ここに入学できるのは教育を専門とするAIが設計した、厳しい学力テストと道徳テストを両方クリアした人間のみだった。
教師はもちろん、セントリオンだ。人間の脳みそには到底入り切れない膨大な知識量を持ち、常に最適解を瞬時に判断できる。それに加えてロジカルで客観的、感情や偏った主観で生徒たちに不適切な指導をすることもない。人情味に欠けるという唯一の欠点があるが、生徒たちの心のケアを専門とするセントリオンは別に“居る”。それに、不確実な「情」は往々にして望まない事態を引き起こすことを、人々は歴史から学んでいた。だから機械と人工知能に教わることを抵抗なく受け入れていた。
経済・社会学の教授セントリオンは、見た目がどこかマルクスに似ていた。TAKUMiが人工知能生命体を設計するとき、過去の偉人に似せる傾向があるらしい。旧世界の資本主義制度が不合理なのかを饒舌に語っている。その原動力が人間の「欲」であり、それを絶えず刺激することでしか活動を維持ができない脆弱なシステムだと説いた。
アキラは片手で頬杖を立て、講義の内容をただ聞き流していた。講堂の一角に座る彼は少し浮いている存在に見えた。すうっと筋が通った凛々しい顔つきだが、いつも無表情で冷たさを帯びている。他の学生がパーカーやジーンズといったラフな格好に対し、高級感があり小綺麗な身なりがより一層、孤高な雰囲気を醸し出している。講堂の中はどこも混んでいるが、彼が座っている長机はすっかり空いていた。
少し離れたところに固まって座っている女子生徒のグループから、時々騒めきが聞こえ視線が飛んでくる。気にする素振りもなく、アキラは何も無いデスクに映し出されたVRタスクボードを指でなぞり、投影された電子参考書のページをパラパラとめくった。著者の駄洒落なのか、挿絵にあるカーネマンの肖像画がこちらに向けてにっこりとウィンクしてみせた。黒ぶち眼鏡の向こうで、能面のような切れ長な目が白けた。
(退屈だ。)
アキラは教授の見ていないところで大きなあくびをした。大学に入るまではそれなりに勉強を頑張ったものの、詰め込み教育にもそろそろ嫌気がさしてきた。そもそも、特権階級中の特権階級である彼の身分からすれば、入学試験を受ける必要もなかった。ただ母親が世間体を気にして、「コネで入ったお坊ちゃま」と陰で言われないように、彼にそうさせたのだ。
指を斜め上に振ると、VR教材はたちたち片側に縮小し、後ろに隠れたコンソールウィンドウを呼びだした。少しばかりの指の動きで、いま鋭意開発中のメタバースVRゲーム、『Jihad of Yddasill《ジハード・オブ・ヤダーシル》』、略称『JOY』の開発用プロンプトを立ち上げる。スタイリッシュでSFチックなインターフェイズがぬるりと動き、直感的に情報を引き出してくれる。アキラはキャラクターリストから、アサシンタイプの男性を一人選び出した。そのキャラクターは男の青年で、黒と青のコントラストがクールに映える軽装備を身にまとい、無駄のないしなやかなフォルムをしている。片側に流した銀色の前髪を払いのけ、若き暗殺者は真冬の晴天を想起させる冷たく澄んだ瞳でこちらを見据えている。
(外観はほぼ完成しているな。思ったより仕事が速い。あとは、中身だが……)
アキラはキャラクターをタップし、羅列した数字と円グラフを呼び出した。数値を詳しく見ようと覗き込んだ時、装着していたイヤホンの中で着信音が鳴った。
(授業中に電話をしてくるなと、会社の奴らには言ったはずだ)
アキラは顔をしかめ、タスクボードの端で点滅している着信表示を消そうと指を伸ばした。
(ん?この番号は⋯⋯)
指が近づくとすっと現れた応答インターフェイスの、受信ボタンをアキラは躊躇なく押した。それから腕をスワイプしてタスクボードを消し、急いで講堂を出た。教授は話を止め、アキラの背中を目で追ったが、特に咎めはしなかった。
廊下の端まで一気に駆け抜けながら、アキラは素早く受信承諾をした。
「はい、僕です。⋯⋯え? リンクが成立した⁈ 本当ですか⋯⋯はい、今すぐそちらに向かいます」
通話先との短い会話を終えてから、アキラは直ぐざま別の番号にかけた。
「もしもし、母さん?⋯⋯ああ、第三地区に行ってくるから、車一台と護衛用のドローンをよこしてくれないか。⋯⋯うん、さっき音信不通になった被験者から連絡があった。⋯⋯ああ、気をつける、ありがとう」
ーー
ぼんやりと、インターホンが聞こえる。
死の淵から呼び戻されたタイキは、朦朧としている意識のなかで耳をそばだてた。足音が部屋から遠ざかっていくのが分かる。それから人の話し声が聞こえてきたが、水中に沈んでいるかのようにうまく聞き取れない。ただし、誰かが狂ったセントリオンの家に訪れているのは確かだ
(助けてもらえるかもしれない!)
そう心の中で念じ、タイキは最後に残ったわずかな力を振り絞ってもがいた。
(頼む、気づいてくれ!)
――
扉が開くのをアキラは静かに待った。彼の両脇を、テザー銃を備えたドローンが耳障りな音を立ててホバリングしている。ドローンには高性能のカメラが備え付けられ、精巧なレンズが被験者山本の姿を映し出した。山本は扉の隙間から上半身を乗り出し、光を失った虚な目でアキラを見た。
「ここ三ヶ月間、どうしていたのですか。心配しておりましたよ」
アキラが切り出した。抑揚のない口調は心配しているようにはどうしても聞こえない。ただの社交辞令だ。
山本という名のセントリオンはモゴモゴと口を動かし、滅入りそうな声で「すみません」と答えた。それから少しばかり元気を取り戻した様子で、また何かを言おうとした。
アキラはその内容を見透かしており、予め用意していた言葉を素早く並べた。落ち着いた様子でつらつらと話す彼の姿はとても大学生に思えず、クレーム処理に慣れた営業マンと見間違う程だった。
「ハイパーリンクの実験に参加した報酬は、音信不通になってからの間、一時的にこちらで預かってもらいました。経過レポートと引き換えが条件なので。実験成功に関する追加報酬は、本社研究施設にお越しいただき、テストドライバーで確証を得てからの支払いとなります」
それからアキラは山本が体で隠そうとしている奥の様子を、いささか強引に覗き込んだ。薄暗く乱雑に散らかった室内に眉を顰めながらも、平穏な口調で続けた。
「まずは、テストユニットを回収させてください。上がってもよろしいですか」
「ダメだ!」山本は声を荒げ、玄関に張り付いた。「俺が持ってくる」
「素人に操作されては困りますよ。契約書に書いてあるはずです」
何かが怪しい。そう感づいたアキラは、大胆にも扉を閉めようとする男の間に割って入った。家の中からカビとゴミの臭気が鼻をつく。アキラは咄嗟に事態の深刻さを理解した。
山本は奇声をあげ、何かに取り憑かれた様子で暴れ出した。アキラは突き飛ばされ、廊下の地面に背中を打ちつけた。狼狽える時間さえ与えることなく、山本は彼の上にまたがり首を両手で締め始めた。ドローンの警告ランプが点滅する。次の瞬間、テザー銃の弾丸が勢いよく射出され、発狂するセントリオンの両肩に一発づつ命中させた。被弾部位から火花が吹き出し、その躯体はショートしたように痙攣し、やがて硬直した。
自分にのしかかる重い体を押し退け、アキラは青ざめた顔で起き上がった。横になって動かなくなった山本を見て、まだ苦しさの残る首元をさする。隣人の主婦らしき中年女性が玄関の隙間から顔を覗かせており、同じように見にきた子供の目を手で覆った。アキラと目が合うと、彼女は顔をしかめたままそそくさと家の中に引っ込んだ。素っ気ない民間人を横目にやり、アキラは立ち上がって衣服の埃を払い、歪んだ眼鏡を直した。
倒れている被験者の胸元にあるバーコードを見たとき、アキラは思わず息をのんだ。しかしぼうっとしている暇もなく、彼は家の奥から聞こえる不審な物音に気を取られた。
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