第4話 赤い男

 再び目が覚めた時、タイキはロープで全身を縛りつけられ、口をガムテームで封じられた状態で押し入れに監禁されていた。じんじんと疼く頭に眉を潜め、はっきりしない意識の中で襖の隙間に視線を凝らす。


 部屋の中央に自分を襲った男が立っており、何やらと聞き取れない独り言をつぶやきながら体を前後に揺らしている。顔に表情はなく、視線の焦点が定まらない様は、まるで生ける屍のようだった。時折、何かを追いかけるように部屋中を走り回り、それから癇癪を起して物を薙ぎ倒し、ゴミをまき散らしていた。その異様な行動にタイキは背筋が凍った。


 「ぐぅうーっ!うー!(ここから出して―!誰か助けて―!)」


 そう叫ぼうとしてくぐもったうめき声が鼻から漏れ出した。何とかロープを解こうと必死に体をよじさせていると、物音に気付いた男が押し入れを開け、殺意に満ちた表情で殴りかかってきた。


 拳がタイキの顔面に直撃する寸前、彼は間一髪で避けた。男の拳は重々しい音を立てて押し入れ内壁にぶつかった。砕けた木片に指関節が擦り切れ、オイル臭い透明な液体が滲み出た。


 驚いたタイキはもう一度、男の外貌を良く見た。ボタンの外れた襟元から鎖骨が見え、その中央にバーコードがあった。


 男は、人間ではない。セントリオンだった。


 タイキの思考が一瞬にして疑問に満たされた。


 セントリオンは、人類の救済者であり世話人でもある、人工知能生命体。『TAKUMi』が創り出したデジタルと物理世界の融合生態系から生まれた平和主義者たちだ。規律に反した人間を罰することはあっても、何の罪もない者にいきなり襲い掛かることなど決してないはずだ。それに、有機物の代謝を必要としない体の作りになっている。それなのに、酒を飲み、カップ麺を注文し、部屋を生活ゴミで満たしている。


「静かにしろ!」

 

 男の怒鳴り声にタイキは我に返った。相手が人間ではないと分かった途端、恐怖がさらに増幅した。頭の中にマイクロチップが埋め込まれている限り、人間の思考や感情はセントリオンに筒抜けだ。“彼ら”と最善の会話をするためには、正直になることが一番だ。


(カップ麺を盗もうなんて考えちゃって本当にごめんなさい!でも絶対にしませんから、どうか、見逃してください……)


 タイキは必至に念じた。残念ながら、その思いは届かなかった。


 男のセントリオンから更に殴りと蹴りが繰り出された。タイキは反射的に体を丸くして受け身を取った。それから、幾度か繰り返される暴行に創痕累々になった彼は、すっかり気力を失っていた。


 そのセントリオンは常にVRを観ていた。夜になって電気もつけず、寝ることもない。暗闇の中で、両目から青白い光を放っている不気味なシルエットが浮かび上っていた。


 魔物だ……


 タイキはそう思った。自分はこの狭い押し入れの中で、長い拷問の末にゆっくりと死んでいくのだと悟った。


 親に捨てあれ、社会に捨てられ、孤児院から児童労働力として搾取された後に捨てられ、何一つ嬉しいことがない人生を過ごした挙句、ここで声一つ上げることできずに死んでいく。こんな惨い運命、他にあるのだろうか。人々から救世主として崇められているセントリオンでさえ、彼を嫌っているようだ。


(何のために生まれてきたのだろう、俺は……)


 涙が瞼の奥からこみ上がり、ほろりほろりと頬を滑り落ちてタンスの木材にしみ込んだ。怒りや恨み、自分を虐げた者たちに復讐したい気持ちからの涙ではない。残酷な世界を憎しむのに、タイキは達観しすぎていた。


 身寄りのない孤児一人の感情など、世界を変えるのに取るに足りないものだった。思いつめて苦しむくらいなら、せめて一日でも、十分な食事と温かい家がある生活を過ごしたい。


 生命を維持するためにもがくだけの人生ではなく、好きなことや夢を追うことを思いっきりできる生き方をしてみたかった。


 ままならない現状と叶わない希望が、悔しくて悲しくて堪らなかった。


――

 水も食事も与えられずに何日もが過ぎようとした。遠のく意識の向こうで、タイキは懐かしい気配を感じた。きっと、ご先祖様が迎えがきたようだ。ようやく苦痛から解放されるとほっとしたところ、人工角膜が突然作動し、何かを投影した。


 視線の先に白い影が浮かんでくる。天使ではない、白いフードを被った一人の男だった。黒革の衣装を纏ったスリムな体形で、服飾の随所に金色の幾何学的な紋様が施されている。ちょっと風変りだが洗練された格好良さが滲み出る格好だ。


 男の虚像はタイキを見下ろし、頭を傾げた。立方体を模した精緻なイヤリングが揺らぐ。哀れな青年を捉えた虹色の光彩が微かに縮む。死にゆく者に敬意を示しているのか、男はゆっくりとフードを下げた。その下から溢れ出る、燃え盛る炎のように赤い髪の毛が視線を奪った。


 その姿から放つ鮮やかな色彩が暗闇と鮮やかなコントラストを成し、タイキの網膜に焼き付けられていた。VRだと知りながらも、タイキは吸い込まれるようにそれを見つめていた。


 (これは新作ゲームのキャラクターか? 死に際に、エレクトリック・ドリーム社がサービスしてくれたに違いないなあ)


 そんな可笑しなことが頭を過った。


 赤い男はタイキをしばらく見下ろしたのち、くるりと向きを変え、箪笥の襖をすうっと通り抜けていった。タイキは襖の隙間から彼の動きを追った。幻像は部屋の中を漂い、机にうつ伏せて停止しているセントリオンの背後に立ち止まると、魂が肉体にとり憑くかのようにその体と重なって消えた。


 しばらくしてから、セントリオンがむっくりと起き上がった。機械的な辺りを見回してから、セントリオンは誰かと通信を始めた。怒れ狂っていたときとはうって変わり、非常に改まった口調で喋りだした。


「……もしもし、山本です。……はい、自宅に居ます。……はい、今から来てください。お待ちしております」


 それから電池が切れたかのように、すぐにまた机に突っ伏した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る