第1話 救済の条件
2025年、全世界を巻き込んだ大戦が勃発し、激しい核の戦火が人類の文明に壊滅的な打撃を与えた。あまりの破壊力に、わずか1年で終結した戦争に勝者は居なかった。
世界人口は三分の一に減り、国家が瓦解し社会秩序が混沌に陥った。生き残った者たちには、死んだ者たちが羨ましくなるほどの苦痛が待っていた。汚染された環境の中、大きく減少した可住面積でひしめき合い、残された少ない資源を巡って争奪戦が始まった。
暴力が暴力を呼び、憎しみが憎しみを生む。やがて、終わりが見えない殺戮の連鎖に人々は疲れ果ててしまった。富める少数は宇宙に逃れ、残った大半の貧しい者たちはただただ絶望し、虚しく空を見上げていた。
誰も助けてくれない。同じ人間でさえも。
人間こそ悪。同族を裏切り、殺し、そして見捨てた。
この考えが皆の思想に浸透したのは、空気のように自然だった。人間は互いを信じず、愛せず、他人に対して非常に無関心になり、自分の殻に籠るようになった。それから生きる気力を失い、自ら命を絶った者は数え切れなかった。
ところが、誰もが文明の終焉をカウントダウンし始めたころ、僅かな希望を残した者たちは大陸を彷徨い、極東の地で“救世主”を見つけた。
そこは、かつて『日本』という国が存在した島だった。核戦争と大地震、それから大津波が重なって災いした場所だった。世間では人が住めなくなった“禁足地”とされていた。
海を渡った勇気ある冒険者たちがそこで目にしたのは、小規模だが綺麗に再建された街と、人間の姿をした機械たちだった。“彼ら”は自身のことを『人工知能生命体』と呼び、大陸から流れてきた肉身の流浪者たちを快く受け入れた。
ただし、絶対に守らなければならない前提条件があった。
街での安全で平和な暮らしを実現させる代わりに、脳神経回路と連結したマイクロチップを頭蓋骨内に埋め込むこと。AI(人工知能)に、生体活動と思考を絶えずモニタリングされることを受け入れること。
気味の悪い申し出だが、生存本能に駆られた者たちには容易い御用だった。彼らは「個」を犠牲にする代わり、約束された文明的な暮らしを手に入れた。そして人類を絶滅に向かう道中から救い出した『人工知能生命体』のことを、敬意と感謝を込めて『
噂はあっという間に広がり、より多くの人々が安住の地を求めて海を渡ってきた。それから数年後、旧日本列島の中心部に新たなが社会が誕生した。
その名は『東陵都市国家』。
太陽が昇る「東」、死者が眠る陵墓の「陵」。希望の光と亡き者たちへの弔い。二つのニュアンスを組み合わせた名前は、いつ耳にしても哀愁が滲んでいた。
「終わりの始まり」と称された年から、20年もの歳月が絶った2045年のことだった。
――
綺麗に区画された街の一角、人通りのない夜道を一人の女が急ぎ足で通りさった。黒ずくめの服装が夜に溶け込み、懐には風呂敷に包まれた、かさばっている何かを抱えている。
背後に見えるのは、凄まじい復興と経済発展を形にしたようなスカイビルの森と、その間を魚群のように流れるホログラムのロゴだった。
建国から更に十数年経ちの歳月が経ち、小さな街社会だった東陵都市国家は近未来的な大都会に成長を遂げていた。一方、発展と繁栄の裏側で社会問題も徐々に浮かび上がってきた。
世界各地から流入してくる難民たちが、人口の過密防止を理由に差し止められ、国境を囲むバリア壁の外側でスラム街を作っていた。また、都市国家内部でも人間住民の階級化が進み、支配力を持つ階層の間で権力争いが顕在しつつあった。夜に紛れて進む怪しげな女も、彼女がこれらの為そうとしていることも、すべてこれらの産物なのかも知れない。
人々が寝静まった住宅エリアを抜けると、つるつるとしたとっかかりのないコンクリートの壁が視界に現れた。無機質な色合いと質感は生活感溢れる住宅ビル群の風景と少しも相いれなかった。そこは治安管理の行き届いた都市区画の辺縁で、頑強なバリア壁に囲まれている。貧困と犯罪を外に隔離した結果にできたスラム、通称『第三地区』を隔てる境界線だ。
壁の中央にはぴったりと閉じている分厚い電動扉がぴ構えていた。女性が近づくやいなや、門番をしていた鳥型のドローンが長い首を伸ばした。先端のレンズから緑のレーザーが射出され、女のこめかみに照準を合わせた。
女は微かにたじろいだ。覆いかぶさる頭巾の下で口角が引き締まり、深いほうれい線を浮かび上がらせていた。見るに怪しい恰好に、ドローンはレンズを絞った。
女は静かに深呼吸した。
ドローンはレーザーの角度を下げ、懐にある風呂敷の包みを探った。何層も巻かれた布の下で何かがもぞもぞと蠢いた。光線の先はそれの頭と思しき部分にしばらく止まった。
赤ん坊の呻きが微かに聞こえた。女性は唾を飲み込んだ。
<ツウコウ ヲ キョカ シマス>
抑揚のないロボット音声に、女はゆっくりと、気づかれないように鼻でため息をした。顔を上げ、頭巾の影の下から覗かせる人工網膜の基盤回路が微かに点滅すした。
静かなモーター音と共に扉がゆっくり開いた。
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