word5 「松阪牛 タダで食べる方法」③
隣町のビル達は皆違う色をしていて、思い思いの飾りも身に着けていた――。
自分がいつも暮らす町のものとは違って若く、中身も商業施設ばかり。
本日も仕事を終えた俺は、慣れない通りを少し見上げるようにして歩いていた。
松阪牛を入手する為だった。
黒いパソコンに誠意を込めて謝罪しながら、Enterキーを押した夜から約19時間が過ぎた。検索結果で最初に言われたのが仕事終わりに隣町に行けということだったので、電車に乗ってここまで来た。
一体いつ振りに来たのか正確に分からなかった。おそらく最後に来てから3年は経っていないんだけど、たったそれだけの期間で景観は別の場所になってしまったかというほどの変わりようだった。
数年前までいた彼女が近くに住んでいたので、俺が会いに行く形だと近辺で遊ぶと言ったら大体ここら辺になっていたから、来れば何か思い出す事がある気がしていたが、特に面影も無い。
夕方と夜の間みたいな空と、ビルの高層を見ながら、もうすぐ入手できる松阪牛の味を想像してみる。昨日画像も見たし、焼き方とかおいしい食べ方も調べたからイメージはばっちりだった。
芸術的美しさも感じるほどのきめ細かな脂が入った肉を、表面だけ焼いて、味付けは日本人ならやっぱり醤油とわさび、一口目は塩だけでいってもいい……ナイフを入れれば力を入れずともすっと肉が切れて、フォークで口まで運ぶ……。
「ごくっ」
人通りが多い通りの中でも、喉が野生を宿し、独りでに動いた。
ああ、食べたい。早く食べたい。昨晩から食事の量を減らしてコンディションを整えてきた。今日も一日中「帰ったら松阪牛、帰ったら松阪牛」と頭の中で唱えていた――。
引かれるほど喉が鳴ったので、一応俺は周囲の人間から離れるように歩く速度を上げた。
周りの人たちも朝より足取りが軽い、そんな中でも誰より早く歩いた。信号にひっかかりそうな時は小走りもした。検索結果には時間の指定があったので急いでも早く手に入る訳ではないけど、止まってなんていられなかった――。
背中からシャツが湿ってきているのを感じるようになってしばらく、俺は目的地のショッピングモールに着いた。
ここにも昔来たことがあるけど、入ったのは数回だけだったので懐かしさは無かった。
それでも松阪牛がこの中にあると思えば、立ち止まって深く息を吐いてしまうものがあった。
あまり大きなショッピングモールでは無かった。外装は派手だけど内部にある店舗数はそれほどでもなく、全て見て回っても半日あれば十分に1周できるくらい。
紳士淑女用のブランドが少ないのだ。あっちを見てもこっちを見てもアルファベットの看板で、黒色と茶色と金色が多い。店先に写っているファッションモデルは皆外国人。所々にある案内用タッチパネルはきっとおばさんやおじさんには操作できない。
若者向けに特化した若者専用のショッピングモールだった。
俺でもスーツ姿だとちょっと浮いている気がする。同じようにスーツを着ている人が全然いなくて、一気に年齢層が若くなった。
少しだけ心細い。クーラーがやたら効いている気がする。昨日は暑かったし、今日は歩くことが分かっていたから、下のシャツを最も薄いものにしたので、肌寒い。
確かに服を買おうと思っても、ここを選ぶことはまずない。入りたければいつでも入れる場所なのに、久しぶりに来た。アフター5にも来れる隣町が凄く遠い場所になってしまっていた。
いつの間にか時間ばかりが過ぎて、世界が狭くなってしまっていた……なんとなくそんなことを思いながら、エスカレーターに乗った。
そして辿り着く、中央にあるエスカレーターを上り切ってすぐのフードコートの先、ショッピングモール2Fにある「自販機コーナー」。ここが松阪牛が眠る場所だった。
ここだよな……間違いない。この場所、この場所で松阪牛が……。
黒いパソコンが示した1000円での松阪牛の入手法は自販機だった。と言ってもただの自販機ではない。お金を入れるとランダムで色んな肉が出てくる肉ガチャの自販機である。
俺は検索結果を見るまでこういうものがあることすら知らなかった。調べたら意外と数はあるらしいけど、今初めて実物を見ている。
ガチャというだけあって当たりやハズレがあり、700円~14000円相当まである肉の中からどれが出てくるのか楽しめるという、非常に面白い代物だ。
俺はこの肉ガチャが、1等大当たりの松阪牛を出す時間を教わっている。手段は変わったけど、懸賞と同じくタイミングよくボタンを押す手法だった。
肉ガチャだけでなく、様々な珍しい自販機が置かれていたのでざっと見て回った。普通の飲み物に、アイス。サービスエリアにありがちな食品の自販機。おもちゃやカードもあるし、肉以外に海鮮1000円ガチャなんてものもあった。
まだ指定された時間ではないので、俺は自販機コーナーが見える位置にあるベンチに行って腰を下ろす。
あとは待つだけ。最高級松阪牛まではあと少しだ――。
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