word5 「松阪牛 タダで食べる方法」①

 午前中のオフィスは静かだった。たぶん今日が月曜日だからだろう――――。


 そろそろ夏が迫ってきている。何かと忙しくなる季節の変わり目。


 今日は朝礼で部長の機嫌が悪そうだった。小言が多かった。


 そういうのも含めて、月曜日が悪い…………。


 俺は細長いオフィスを、パソコンの画面越しに眺めていた。何も感情を含まない真顔で、見ていることが悟られないように少し俯きながら。


 端っこの列に座っているからよく見えた。席に座った社会の歯車たちが。


 月曜日は多くの人間が悲鳴を上げる日だ。それこそ動き始めたばかりの歯車が放つ金属音のように、高くて悲痛な声を出す。何しろ月曜日から見通す1週間は先が長いったらない。


 次に休みが来るまで、今日を含めてあと5日。なんと5回も働いて5回も寝ないといけない。そのことを考えれば、どうしても思ってしまう。また始まってしまったのか、めんどくさいと。


 特にこの時間は考えがちである。もうそろそろ昼休憩、午前の仕事が一息ついて集中力が切れる時間帯。きっと皆、目の前のパソコンに向かいながらも、頭の中では午後からのことや明日以降のことを考えている。


 昼飯を食べたら次はこれをやらないといけない。火曜日にはあれがあるし、水曜日は忙しくなりそう。ああ、そういえば来週の会議までに作っておかなければならない資料がある。


 頭の中がこんな具合だから誰も何も喋らないし、窓際の同僚は頭の上に手を乗せていて、向かいの席からは鼻を抜けるため息が聞こえてくるのだ。


「んふぅー……」


 思わず息を溜めてしまったけど、あからさまに吐いてしまうのは気が引ける気持ちも痛いほどに分かる。


 週明けの月曜日にビルの自動ドアをくぐって、一呼吸目から鼻にくる職場の匂いに絶望するあの感覚、よーく分かる。


 このエアコンが効いていて、空気清浄機も備わっている快適な部屋。デスクもパソコンもコピー機も、業務に必要なものは令和になってから買い替えられたものが揃っている。この仕事をするしかない空間で、俺もずっと一緒に働いてきたのだ。


 今も皆と同じようにキーボードを打ち、マウスを操作している。傍から見たらまだ俺も同じ人種に見えることだろう。周囲と同じ憂鬱な月曜日を過ごす社会人。


 ただ、それは間違いだ――。


 違う。悪いけど違うんだ――。


 俺は持ってる男なんだ――――。


 頭の中でそう言った俺はマウスをきゅっと強く握ってしまった。唇が溶け出しそうなほど緩む。


 ある物を手に入れてから数日後、今日も俺は内心ウッキウキで仕事に望んでいた。頭の中はブラインドを突き抜けてくる初夏の日差しよりも輝いている。


 力が溢れてしょうがない。やっぱり、あんなに嫌だった仕事が全く嫌じゃない。


 いつも昼休憩ぎりぎりまで時間がかかる月曜日の作業がとっくの昔に終わってしまった。あとはコピペするだけで文書が完成するところで、見直しているふりをしている。


 皆他人を細かく気にする余裕なんてない、隣の席の上司も思い出したようにスマホを持って出て行ったきり帰ってこない。


 だから俺は同僚を見下ろすように眺めながら、幸せを嚙みしめさせてもらっていた。


 ああ、なんて素敵な月曜日なんだろう。持ってる男に生まれて良かった。明日になるとまた何でも知ることができる、そう思えば何も苦痛に感じない。


 けどこれから、どうしていこうかな……。


 皆が月曜日に絶望している中、俺は申し訳ないけどそんなことも考えさせてもらっていた。


 明日も明後日もまた何でも知れる訳だけど、これから何を検索して……何を成していこうか。


 性能を確かめる為というのもあって今のところ小さなことでしか使ってないが、あのパソコンを使えばもっと大きなことができる。


 サラリーマンから脱却して世界の歴史に名を残すほどの革新的な経営者にもなれるだろう。あらゆる役職を通り越していきなり社長だ、億万長者だ。


 ビル・ゲイツやイーロン・マスクすらも追い抜いて世界総資産ランキング1位だ。


 なんならそんなことしなくてもギャンブルをやれば、楽して億万長者になれる。


 他にも作曲家や小説家に、学者や研究者。アイディアや頭の出来を問われる職業なら全部一流になれるはず。


 人生を思い通りにできる。成功者になれるけど、何で成功するのがいいだろうか悩ましい……。


 運動能力が必要な職業でも、料理人くらいならレシピの力でトップになれる気がする。まだ人類が経験したことが無い美味をきっと作れる。行列ができまくるレストランを作るのも悪くない。


 光り輝くスープやサラダ、そしてステーキ肉を思い浮かべながら思った。


 選択肢が多すぎて迷ってしまう。せっかくなら何かしたいという気持ちもあるけど、いきなり無限に道が広がってもどっちへ進めばいいか分からなくて、立ち止まる。


 それに仕事が嫌じゃなくなってしまったのだ。自分でも驚くほどに。黒いパソコンを手に入れてから心にがっぽり余裕ができた。


 そもそも悪い職場でもないし。人並みよりちょっと忙しいけど、人間は良い人が揃っていると思う。たくさん仕事を課してくる部長も、そうしなければ回らないからという風に見えるし、部長自身働き者だ。


 転職を本気で考えたことは一度も無いし、今だって別にこのままここで働いて、何かやるにしても副業で良い気がしてしまっている。


 裏垢や恋愛履歴所を検索したみたいに、ここにいるからこそ楽しめる検索もあると分かったし……うーん、焦って決めるものでもないか。


 既に検索のネタにした上司達をちらりと目を向ける。そうすると昼休みを告げるチャイムがオフィスに響いた。


 うん、何かするにしても今すぐじゃない。とりあえず、やっぱりまずは……。


「先輩、外に飯行きましょう」


 昼休みになるや否や帰ってきた上司に、立ち上がりながら俺は言った。


「おお、急に立ったらびっくりするわ」


「おいしいものが食べたいです。でもお肉は明日食べるのであんまり脂っこくないもので」


「じゃあ、あそこのうどんでも行くか」


「はい、そこにしましょう」


「お肉って何?誕生日そろそろだっけ?」


「いや、なんとなく明日はおいしい肉が食べられる気がするんですよね――」

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