word1 「ピンポンダッシュ 誰」③

 会社に向かって歩き出した俺は、再びその考え事に戻った。


 イタズラ好きなガキを痛い目に合わせる……と言ってもどうするのが正しいだろうか、大人として……。


 とっ捕まえることは難しい事ではない。イタズラのことを覚えてさえいれば、朝ドア前に待機するだけだ。


 おそらく小学生だから背が低すぎてドアホンのカメラには映ってないかもしれないが、アパートの監視カメラには絶対映っているはずだし、大家や警察に連絡を入れて犯人を突き止めることもできる。


 インターホンに透明なテープを貼っておいて指紋を取るなんて、手の込んだ方法もある……。


 ただそこまでするか……。たかが小学生のイタズラ相手に大の大人であるこの俺が親にまで伝わる手段を取るのは些か大人げない。俺も昔はそのくらいのイタズラをしたことがあるから可哀想にも感じるし……何より恥ずかしいことだ。


 近所の人に子供のイタズラくらいであの人(笑)みたいな反応をされるのが一番嫌だ。


 軽く殴ってやりたい気持ちはあるけど、もしも目撃されたら最悪だ。


 うん、やっぱり明日は早起きして玄関に待機、それですぐにドアを開けて注意するかな……声を荒げず冷静に、怒っていることを伝える……。


「面倒くせえな……」


 小声で言った。ボタンを押せば何でも1発で解決してくれる機械でもあればいいのに…………。



 俺は会社に行くと、いつも通りの木曜日の業務をこなした――。


 特にこれといった出来事の無い、変わらぬ1日だった――。


 1週間前も全く同じことをしていたんじゃないかと疑わしくなるほど、朝から夕方まで――。


 そして、俺はまた自宅アパートに帰ってきた――。


 定時ダッシュと言っていい帰宅だった。玄関のドアを開くと、とりあえず鞄は玄関マットの上に置いて、洗面所へ足を運ぶ。


 家に帰ったらまずは風呂というのが俺の決まりだった。部屋は散らかっているけど、汚れやほこりは嫌いだからだ。最低でも手は洗わないと家の物に触りたくない。


 靴下を脱いで、手を洗ってから、脱いだスーツをリビングのハンガーにかける。


 それからネクタイを緩め、シャツのボタンを外していく――。


 ピンポンダッシュの件はメモを見ずともしっかり覚えていた。だからこそ、家に帰りたくない気分だという同期の男の誘いも断って帰ってきた。


 奴がはまっている麻雀に付き合っていると、対策にかける時間が無くなってしまう。


 思い立った日にやっておかないとずるずると後回しにしてしまう。しかも明日は金曜日、忘れればまた来週だ。


 脱いだシャツを洗濯機へ後ろ投げで放り込む――と、そんな時だった――。


「ピンポーン」


 チャイムが鳴った――。


 白い長そでシャツに、スーツのズボン。ギリギリ玄関前までくらいの恰好だった俺は一瞬迷って、まずテレビ付きのドアホンへ向かった。


 しかし、モニターには誰の姿も映っていなかった。


 まさか。すぐにそう思った。


 だから、「はい」と言ってみる前に玄関のドアを開きに向かった。


 絶対あいつだ。そんな思いがあった。けれどだとしたらもう遅いから歩いて行って、ゆっくりドアを開ける。


 するとドアの前にはやはり……やはり、誰もいなかった……。


 うん、ドアの前には誰もいなかった……けれど、目が合う人物はいた。


「ちっ」


 自然と舌が動いて、手も頭の後ろにやってしまう。そうしている時、俺はその人物を見つけた。


 道を挟んだ向かいの家の前におじいさんがいたのだ。


 俺と同じ、玄関を出たあたりに半そで半ズボン姿で立ち、ラジオ体操のような動きをしていた。


 体はせっせと動かしているけど、明らかに俺のほうをじっと見ている。


 俺はあのおじいさんがピンポンダッシュの犯人を見たのだと思った。だから、まんまと引っかかった俺のことをあんな驚いたような目つきで見ているのだ。


 おじいさんと同じような姿で外に出るのには抵抗があったが、戻って服を着てくるのも煩わしかったので、俺は早足でおじいさんの元へ向かった。


 道路の前で左右を見る。1人おばさんの背中が見えたが、決死の覚悟で走り抜けた。


 おじいさんは俺が敷地内に入っても、腕を振るのをやめなかった……。風を切る音が聞こえるほどの速度で振っている……


「すみません。今、見てましたか?」


「へえ?」


 話しかけても、おじいさんは続けて片手を上に伸ばす体操を始めた。


「あの今、子供がここを走っていきましたよね。僕の家のインターホンを押して……」


「うーん……」


「ピンポンダッシュですよ。分かりますか。もしかして子供じゃなかったとか」


「いや、見てなかったなあ」


 俺は口を開いて固まった……。数秒間次に言うべき言葉が出てこなかった……。


「失礼しました……」


「でも、誰も通らんかったと思うけどなあ」


 見た目よりも機敏なおじいさんが、周囲にいた虫を拍手で追いかけながら最後に言ってくれた言葉には会釈だけで返した。


 また走って自宅アパートまで帰り、ドアが閉まるのを確認すると、声が混じる溜め息を吐く。


 そうして、ほとほとやり場のない気持ちを抱えた時だった――。


 俺は謎のパソコンと出会った――。

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