水曜日には額を灰で塗る

そこに神がおわすじゃないか

 開け広げられて中に入った空間は体育館ではなく小劇場の作りに近かった。

 扉を開けた正面向こうには舞台のような段差があり中央にはスロープもある。

 天井はスポットライトの設置は無かったが、スポットライトを設置するための柱が幾本も交わされていた。


 灯りはまず舞台の左右に二台づつスポットライトが設置してあり、それは舞台中央の壁に向かって煌々と照射されている。

 そして、それら以外は工事現場にありそうな照明灯が舞台から数メートル間隔で設置されているだけだった。


 室内の壁は私達が入ってきた扉を深夜とすると、舞台中央の壁が太陽の出ている昼を現わすようにして塗られている。

 つまり、ミッドナイトブルーの地に顔つきの月や星が描かれているが、その地は舞台中央に向かって色味がミッドナイトブルーから黄色がかった薄水色に変化していくというもので、水色の空には星や月の代りに羽の生えた顔だけの天使が無数飛んでいるというものだ。


 太陽の中心には神がいる。


 恐らくこの施設のミトラス教のご神体であるミトラス様なのであろう、

 十字架に貼り付けられたキリストやマリア像的ではなく、ウィトルウィウス的人体図のようなポージングである。

 両腕は広げられ、そこに細長い白い翼が広がっている。

 足は閉じているが、やはり白い翼が開いた足の代りに斜めに広がる。


 神々しいほどに美しい造形の顔形は微笑みを湛えており、白く金色にも輝く体にはルビーとダイヤで飾られた金の鎖が幾重にも巻き付いている。


 きっと、ここの人間である信者達、あるいは死霊など見えないフラーテルにも美しく神々しい絵画のような祭壇にしか見えないだろう。


 本当は壁に書き込まれた星も月も天使たちも殺されてミイラ化した生首が塗り込まれているだけであり、神が着飾っている鎖はレークスが持っていたネックレスと同じ物である。


 そして、この醜悪な部屋の様子が神々しい祭壇にしか見えないのは、死んでいる筈の生首が人を洗脳する歌をずっと口ずさんでいるからだ。


 死体を搬送しなかったバーク。

 エージがドンにしか見えないらしいレークス。

 彼らは暗示に掛かってしまったあの日のリサと同じ状況なのだろう。


 エージはどさりと足元にシャーロットを転がし、それから彼はにやつきながら私とレージの所に来ると、私に対して手を伸ばした。


「レークス。そいつもくれ。ハハハ、神の左右にこのちびどもを飾ってやろう。嬉しいだろう、ローズ。お前はもう大嫌いな俺をパパなんて呼ばなくていいんだぞ。永遠に神様の歌を歌っていれば良くなったんだ」


 私はレークスの手によってエージに手渡された。

 そしてその後すぐにレークスは後ろを向くと、げぇげぇと吐き出した。


「情けねぇ。この部屋の重厚さに耐えられずに吐いたか?ドンの長男ともあろう男が。いや、人間の女に惚れこんだ人間並みの弱い奴だものな」


 エージは屈んで吐いているレークスの背を、がんっと蹴ると、私を乱暴に抱いたままシャーロットが倒れている場所に戻った。


「な、なにをするつもりなの?」


「分からないのか?嘘だ。お前は分っている筈だ。お前とそこのバンシーを神様の栄養にしてやるだけだよ」


「パ、パ、止めて、お願い?」


「お前は本当にろくでもないガキだあ。アハハハ。誰が止めるかよ。俺はお前を喰うためだけに可愛がってきてやったんだ。その絶望を喰うためにな。ハハハ、お前ら生贄の命と魂は神に捧げられ、神が降臨した時、俺があの神様の心臓を喰う。ハハハハ。俺は素晴らしき力を手にし、デーモンどころか神としてこの世界に君臨する。ああ、長かった。本当は来年の四旬節に最後の秘蹟を行うはずが、見てくれ、罰当たりが神の鎖の一つを引き千切ってしまわれた。これでは神が数日中に死んでしまう」


 私はエージの言葉に祭壇を見返して、エージの言った事を理解した。

 あの鎖は命を循環させていたのだ。

 既に死んでいるあの美青年を生きた様にしていたのは、あの鎖によって生贄の命を纏わせていたからであり、その仕組みが鎖を千切られた事で壊れてしまっているのである。


 応急手当的に鎖を巻き直してもあるが、この祭壇の命はあと数日も無いだろう。


「全く。破産した家族の出家を認めたばっかりに。この阿呆が!」


 エージは怒鳴り、アンジェラは大きな体をぐねっと魚のようにかがめた。


「す、すいません。ですが、そいつらは罰を与えてあります。奴らの命を注いで神の命を保っております。ここは、そこのフラーテルの子供二人と、あなた様のお身内と、その魔物殺しの男を神に捧げ、あなたが神を喰らうべきかと」


「いいや」


 エージは私の脇を持って持ち上げた。


「神に捧げるガキはやっぱり一人だ。まず、俺はローズを喰う。こいつの命は何て美味しそうなんだ。ようやくわかったよ。こいつがあの吸血鬼や親父に好かれる理由が。こいつは瑞々しい、ああ、俺が作った神様のようなエネルギーが見えるんだ!」


 なんですと!


「いやだ!違う!私はこんな神様みたいに臭くない!それに、あんなのは神様じゃない!私の神様はもっと強くてもっと恐ろしいお方だ!」


 私を持ち上げているエージは真っ青な肌のデーモンの姿に変化していた。

 彼が大きく口を開けると、私の心臓がどんどんと勝手に動き出し、ビリッとブラウスが破けただけでなく、私の左胸の皮膚までも裂けた。


「ぎゃああああ。痛い!ああ!神様!ジョスラン様!」


「ハハハハ。呼んでも無駄だ!いや、もっと叫んで呼ぶがいい!」


 私は何かの生き物に化けることも考え付かず、とにかくこれ以上傷を開かせないように意識を集中していた。

 エージは情け容赦なく私を引き裂こうと力を注いでおり、私はその力に抵抗できないからと必死に新しい細胞を生み出して心臓をむき出しにさせまいと頑張っていたのである。


 ああ、いつまで頑張ればいいの!


「助けてよ!神様!ジョスラン様!何でも言うことを聞くから!」


 ががががががががががががががががが、が。


 ワイヤーが滑車を軋らせる音とともに、金色の後光がある吸血鬼様が天井からずさんと落ちるようにして降りて来た。

 金色の髪を輝かせながら微笑む美貌の男性が羽織っているのは、真っ白のシルクシャツに真っ黒のシルクサテンのパンツ。

 それだけのシンプルな姿だったこそ、彼はこの醜悪な世界において清浄で天使のようにも見えた。

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