火曜日は幸先よく

パスクゥムの底力とオレンジの正しい食べ方

 昨夜の私達はティリアの家に泊めてもらった。

 リサの洗脳は解けていないが、悪夢を見せ続けるのは可哀想だと、人狼族のボスがシャーロットに呪いを解くように頼んでくれた。


 シルビアの父のブランドン・ティリアは、焦げ茶色の髪に瞳の色が白目の境目どころか全部紺色をした、二十代後半の若者にしか見えない風貌の人であった。

 ただし、野性味があるが彫りの深い目元を柔らかく微笑ませれば、彼は強面からとっても甘い風貌になるという、女性には堪らない魅力を持った人だ。


 あのシャーロットでさえ頬を赤らめて、言う通りにする、なんて可愛らしく言っちゃうし、傍で見ていた私こそブランドンに何か話しかけて欲しいと思った程なのだ。

 シルビアが三歳児のようにしてブランドンから離れないのも頷ける。


 さて、とりあえず翌日を迎えた私達は、ティリア家の台所で温かい朝食を食べられる幸せに浸る事が出来ている。

 シロップたっぷりのホットケーキに半分がバターで出来ているようなコーングリッツ、皿から溢れんばかりなスクランブルエッグにベーコンと重たいものだが、魔物系の子供達にはぴったりだった。


 さらに、テーブルの真ん中にはフルーツ籠が置いてあり、良く冷やされているオレンジとリンゴが人数分以上に積み重なっている。

 たぶん、過剰なほどに栄養価は高い食事だろう。


 しかし、魔物系の私達は昨日の不幸を無いものにしようというくらいの勢いで美味しい食事に舌鼓を打てたので、これは本当に考え抜かれた朝食なのかも。ただし、人間の子供のリサは昨日の悪夢の後遺症なのか、ビクビクとするばかりで食も進まず、その様子は哀れこの上なかった。


 だが、彼女は悪夢だけで済んで良かったはずだ。

 私の母リリーも、リサの母も、昨夜は学校の体育館に避難して一夜を過ごさねばならなくなったばかりか、今朝からは自宅の片づけで大忙しであるそうなのだ。


 暴徒によって自宅が荒らされたのである。


 暴徒は取りあえず今日の未明までには鎮静化されたらしいが、扇動していた何人かが札束や高級家電を抱えたまま路上で死んでいたとか、暴動が起ったその日に突然現れたテレビクルーのバンも局に帰る最中に道を踏み外して炎上してしまったと、今朝のパスクゥムの町長による会見では言っていた。


 私とシャーロットが使う客室に現れた死者によると、体が勝手に盗みを働き出して仲間に殴り殺されたとか、誰に頼まれたのか脳みその中に手を入れられて調べられて殺されたとか、知りたくも無い事を勝手に話していたが。


 やっぱりパスクゥムは怖い所だ。


「ああ、父さんの家にいるのに、父さんがいないなんて」


 シルビアが贅沢な溜息を吐いた。

 ブランドンは私達を自宅に匿った後は、町の鎮圧に再び出て行ったのである。

 ティリア家こそパスクゥム三家の一つなのだから、いくら可愛い娘と一緒にいたいと望んだとしても、彼は行かねばならないだろう。


「仕方がなくてよ。ブランドンはこの町の自警団の長だもの」


 上級魔物であらせられるシャーロット様がリンゴに上品に齧り付きながら、上級生の父親を家族のように呼び捨てて上級生を窘めた。


「ティリア家は町に迷惑をかけるだけのローズの一族と違うのよ」


 私はリンゴがシャーロットだと思いながら、思いっきり齧り付いた。


「知っているよ。そこは理解している。でもさ、あたしもローズみたいに変身できたら父さんといっつもいられるのかな」


 私は齧っていたリンゴに咽た振りをして、思いっきりシルビアを睨んだ。

 ここにはリサという人間がいるでしょう、と。


「ローズは変身できるの?」


 ほら!


「いいえ、いえ、そうね。私の父と母は離婚じゃ無くて恋人関係なだけでしょう。シルビアはお父さんとお母さんが離婚していて、ええと、面会日って事で家族一緒じゃ無くてどっちかとしか一緒にいられないの。でも、私はお父さんがお母さんと結婚していないだけでお出掛けは全員でできる。そして、その時に私は良い子な女の子に変身しているの。そういうこと。ね、そういうことよね?」


 私の目力は上級生のシルビアに向けられるものとしては、下位の女を言い聞かせる的な威圧感のあるものだったはずである。

 シルビアは私と目が合ったそこで、あ、とじぶんの失言に思い当たり、頭を上下させながら、そうそう、と私に追従した。

 よし。


「そっか。大人の自由な愛の弊害を受けるのはいつも子供ってことなのね」


 私とシルビアは変な感想を述べてきたリサを同時で見つめ、リサは中年女性がよくやる仕草、首を横に振りながら、全く全くなんて呟いている。

 リサこそが変身しちゃった?


「あ、そうだ。ねえ、私はいつ帰れるのかしら。ママに会いたい。昨日の愛と裏切りの潮騒の録画が無事なのか確かめないと!」

「あいとうらぎりと?潮騒?録画?」

「ローズ。リサはお昼のドラマが好きなんだよ」

「ああ、そうなの」


 やっぱりリサは中年女性だ。

 リサこそ子供に変身しているのか?


「今日のお昼までにはお家の片付けも済んでいるんじゃないかしら。」


 シャーロットこそ大人びた調子でリサに答え、彼女は今度はオレンジに手を伸ばした。シャーロットは手に取ったオレンジを手で簡単にもむと、皮にブスリと穴を開けて口をつけて吸い出した。

 え?オレンジを、吸う?これぞバンシー風?えええ?

 人形のような美少女が前かがみになり、一心不乱にオレンジに吸いつく姿はとても恐ろしいものに見えた。シルビアもそうだったのだろう。恐る恐るというようにして、シャーロットに声をかけたのだ。


「か、皮をむいてあげようか?」


「あら、この食べ方はオレンジがイギリスに伝わってからの、イギリスの上流階級での由緒正しい食べ方ですのよ。ギャスケルのクランフォードではこの食べ方がやっぱり恥ずかしいと、オレンジの日だけは各々の部屋に戻って一人で食べようって主人公が提案するシーンもありますの」


「じょうりゅうかいきゅう?」


 リサが可愛らしく小首を傾げた。


「貴族ってことよ」


 昼ドラ好きのリサは、貴族と言う単語がツボだったみたいだ。彼女はシャーロットの言葉を聞くや自分もオレンジを手に取った。それから同じようにして手でオレンジをもみ、皮に穴を開けようとしたが、彼女の非力な指では穴を開けることが出来はしなかった。もちろん、ヒロインを助けるヒーローのようにして、シルビアがリサの手からオレンジを奪った。


「ほら」

「ありがとう。シルビア」


 リサはシルビアから穴の開いたオレンジを受け取ると、シャーロットのようにオレンジにしゃぶりついた。そしてすぐに顔をオレンジから離した。


「搾りたてのオレンジジュースね。すごくおいしい!手も汚れないし!」


 私とシルビアは目線を交わすと、同じようにしてオレンジに手を伸ばした。

 今や台所は、ちゅーちゅーとオレンジを吸い上げる音だけが響く。


「か、皮をむいてあげようか?」


 台所に入って来たジェイクの脅えた声に、私は誰をも脅えさせられる状況を作ったシャーロットは凄いと思った。彼女に変身したくはないけれど。

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