デーモンにも学校
朝食が終われば学校だ。
いくらデーモンでも、いや、モンスターだからこそ人間の生活様式にのっとって生活していかねばならないのだ。
さらに言えば、リリーは自分が愛人をしている相手がデーモンだと知らない。
ということは、私がハーフデーモンなどとは夢にも思わないのであるからして、私をスクールバスに乗せることは考え無しの彼女でも考えるまでも無い正しい行動ともいえる。
ただし、尻込みをして今後の通学にスクールバスを選んだのは私の方だ。
彼女は私の初登校日に、愛情深い母親らしく彼女のメルセデスで私を学校に送り届けてくれたのである。
何に尻込みしたかは、おかあさ~ん、と私には大泣きできなかったということだ。
詳しく言えば、専業主婦が多いパスクゥムでは子供と母親の密着度が高いからか、母親と離れたくないと泣く子供達が多いのだ。常に普通の子として振舞うようにしている私としては、あれを毎日彼女にできないと認めるしかなかったのだ。
一週間ぐらい我慢?
一回だって嫌よ。
でも、初日にやった私を褒めて。
だってね、リリーは私にとっては唾棄すべき存在でもあるけれど、私の前世を殺したエージ・パラディンスキを破滅させるための手駒として使わねばならないの。
そのためには、彼女には私を可愛い娘と思い続けて貰わないといけないのだ。
はっ、いけない。
だったら、ドンの真似事をして彼女に不快感を与えたままではいけないじゃないの?考えなさいよ、ローズ、だわ。
「あの、ママ?私はチョコ入りのフレークだけが食べたいの。チョコフレークじゃ無いとご飯を食べない」
どう?単なる甘えん坊な我儘な娘に見えたかしら?
リリーはパッと表情を明るくすると、私の額をつんとつついた。
「もう!この我儘さん」
笑顔になった彼女は私の為にコーンフレークを用意するべく、くるっと体の向きを変えると台所を立ち動きはじめた。私は大きく安堵の吐息を吐いた。
「でもね、ママはあなたにちゃんとしたたんぱく質も取って欲しいの」
「トーフって美味しいみたいよ、ママ」
「子供はお肉こそ食べたいものじゃ無いの?」
人間のお肉じゃ無ければね、ママ。
殺された人間の死体の残った部分は、乾燥させた後に粉にして家畜の餌に混ぜ込まれて処分される。
私はそれを知ってからベジタリアンなのだ。
「ああ、そうだ。新しい保安官に変わったのは知っているわよね。今日は学校でご挨拶してくれるそうよ。凄くハンサムな人なんですって。楽しみね!」
私はリリーの言葉によって、理科教師に聞かされていた言葉を思い出していた。
ジョスラン・パエオニーア。
奴はパエオニーア家の吸血鬼の一人であり、外見だけは金髪に青い目という女王様のエリザベス・パエオニーア譲りの美貌でもある。
そんな彼は医師免許を持っている事を良い事に、学校の先生をしながら子供達の血液採取をして飲んで喜んでいる変態だ。
変態の奴は私の血こそ飲みたいようで、とっても、それはもう嫌になるほど気さくに私に話しかけて来て、私の知りたくないが知った方が良い町の暗部を色々と語ってくれるのだ。
「新しい羊飼いが来たけどね。彼はなかなか出来る男だよ。本気で狼を狩るなんてね。君も気をつけなさいよ。君はまっくろくろすけだから」
ティリア家のろくでなしが最近一人消えたのはそのことなのかな、と考えていたらバスのクラクションの音が鳴った。
「あら、時間切れね。ママ、行ってきます」
「まあ!朝ご飯はどうするの!」
「ジョスランに貰う」
あいつは彼に夢中な同僚から欲しくも無いスムージーを毎日貰っている。
それで私の腹を収めよう。
「まあ、ジョスランって、そんな先生を呼び捨てにして!でも、あのジョスラン先生とあなたは仲良しさんになったの?素敵ね。今度ママからもお礼をしなければいけないわね!」
血を抜かれたいならばどうぞ、そう言えないのが辛い所だ。
学校に着いた私は、リリーに言った通りに懇意にしている理科教師にスムージーを貰いに行った。町で一番偉い吸血鬼にはゴマをするもの。そうでしょう。
そして今や私は、理科教師の常勤場の理科準備室を見回しながら、悪趣味全快だなあ、と思いながらスムージーを啜っていた。
理科準備室は普通に子供が怖がる標本に溢れる場所でもあるが、ジョスラン・パエオニーアという変態吸血鬼の城となっているために、置いてある標本が一味も二味も違うのである。
骨格標本が本物なのは当たり前、人体の筋肉組織を見る事の出来る大きな樹脂で固められた標本も、勿論、標本自体が本物の人体だ。
棚にずらりと並べられている様々な生物のホルマリン漬けの標本は、ブタの前歯と書いてあっても人間のものだし、寄生虫と書かれた白い繊維状のものも人体のどこかの部位であるはずだ。
「また標本が増えている」
棚には筋肉組織とラベルのある瓶が増えており、作りたてなのか赤い色が残っている標本が目に留まったのである。
白衣を着た美貌の男は、私が気が付いてくれた、という風に微笑んだ。
「素敵な子だったからね。全部を失うのはもったいなくて。カモシカのように僕から走って逃げたんだよ。あれはあの子の大事なアキレス腱だ」
「……獲物をトロフィーにするのは止めなさいよ」
「獲物だからこそトロフィーでしょう。そんないばりんぼうするならスムージー返して。僕が飲む」
「よし。返す。返すから今すぐ飲みなさいよ。飲めるものならね」
私がスムージーのカップを差し出すと、ジョスランは百歳以上生きているのも納得できるほどに顔をぐしゃりとさせた。
吸血鬼は基本的に人間の食べ物は口にできないのだ。
「意地悪な子。そのうちに君も狩ってやる」
「ふふ。私を狩ったらどの部分を標本にするのかしら」
ジョスランは青い目を蛍光カラーにも見える青色にして輝かせた。
吸血鬼の本性の目だ。
彼はずいっと私の方へと身を乗り出すと、私の耳元に歌うような口調で囁いた。
「かわいい君はそのままドボン。ホルマリンでどんどん色が抜けていく君を毎日眺めるのは何て素敵なんだろうね」
彼は私の頬を撫で始め、私はその手の甲に小型のペンライトを翳した。
「あつ!」
ジョスランの左手の甲には、小さいが確実に火傷とみてとれる跡が出来ていた。
「あ、何を!君は何をしたの!」
「まあ、凄い。ジェルネイル用の紫外線でもあなたを火傷させられるのね」
彼は私の手元から私の武器を取り上げると、自分が怪我させられた事も忘れて目を輝かせた。
「わぉ!ちびのくせに機械を改造している。ああ、凄い。僕には大した威力も無いが、これは意外と使えるかもね。わぉ!」
彼は私の手に私の武器を握らせると、私の頭をぐりぐりと撫で始めた。
もちろん、彼の火傷など跡形もない。
「やめてよ。セクハラで訴えるわよ」
「いいよ。君に恋をしたって君のお爺様に婚姻を願い出てもいい」
「はああ?あなたは吸血鬼で私はデーモンでしょうが!」
「そう。君達は繁殖できる。実は僕達も雄だったら繁殖可能なんだよ」
「ハーフバンパイアなんて聞いた事なくってよ」
「うん。ハーフの赤ちゃんがお母さんのお腹を喰い破ってしまうからね」
この変態吸血鬼はそれも絶対に実験していたはずだと思い当たり、私は久々にぞわっと感じて彼から身を引いた。
「フフフ。君の怯えが楽しい。ああ、君と一緒の生活は楽しそうだ。ねえ、君と新たな生物を作るのはどうだろう。なかなか死なないデーモンならば、僕のご飯に毎日血を少しだけ貰っても大丈夫だろうし、うん、僕が人間を狩らなくなったとしたら、それは人類への貢献じゃないかな」
私は変態の本領発揮に対し、脅えてスムージーのカップを落としてしまった。
カップは変態の机を緑色に染め、私は彼に謝るよりも乾いた笑いを上げていた。
カップからべちょりと出てきた赤黒いものは、とってもフレッシュな何かの肉片としか言えないものである。
「ふふふ。いい加減に煩くてね。人の嫌がることはしてはいけませんって、それは社会生活での大前提でしょう」
「ハハハ、エミリーせんせい」
「いいや、ただのフワ。レバーが苦手な人も大丈夫な栄養満点な部位だよ」
「不和?」
「肺だ。美味しいよ、食べてごらん」
「べ、ベジタリアンなんです」
彼は脅える私を鼻で笑うと、スムージーで緑色に染まった肺の一部を指で掴み、それをそのまま自分の口に放り込んだ。
「うん。ビタミンもたっぷり含んでいてジューシー」
吸血鬼は人肉が入っている料理ならば口にできるのである。
反対に、純粋なる食料は吸血鬼を苦しめるだけのものにしかならない。
エミリー先生は、死ぬべくして死んだ。
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