第11話 王子と修道女の関係
「私、裕くんの名前でお花に一言添えてカードを贈っていたんだけど、それが私がしていたことだと愛梨沙ちゃんに知られてしまって、可哀そうに彼女の希望をもぎ取ってしまった──。
でも、私がまた彼女の会ったら、また悲しませてしまうだけなのに、何もしないではいられなくて……。愛梨沙ちゃんのことが心配なの」
「──分かった。まだそこにいられるか? 今からそっちに行くよ。今日は仕事が早く上がったんだ。美羽が彼女と会うのが問題なら、俺が彼女に会って聞いて来るよ。
それに、これは俺の責任でもあるからな。彼女の願いを託されたのは俺だから」
「裕くん……」
美羽は海の見えるカフェで裕星を待っていた。
裕星を待つ間、静かに波を寄せる
カフェの店員が
こうして休みの日に一人で遠出することなど何年振りだろう。裕星と一緒ならどこに行っても幸せだったし、そんな幸せを悪い事だと思ったことも無かった。
しかし、今は、愛梨沙の事を考えると、自分だけが裕星と幸せになる事に罪悪感を感じていた。
目を閉じ耳を塞いで、頭が真っ白で何も考えることが出来ない自分を周りから遮断し、一人だけの世界へと閉じ込めた。
塞いだ空間にはさっきまで流れていた音楽の低音のベースだけを体に感じるだけで、他には何も聞えなかった。ゴーゴーと流れる血潮の音がまるで嵐の海のように耳の奥に響いていた。
すると、美羽の肩に置かれた温かい手の重みで突然一人の世界が破られた。
「──裕くん?」
「待たせたな、大丈夫か? 一体何があったのかもう少し詳しく教えて」
美羽は、自分がしたことで愛梨沙を不幸のどん底の陥れてしまったことを裕星にゆっくり話し始めた。
平日、昼下がりの海辺のカフェは、テラス席は二人以外誰もおらず、室内の客もまばらだった。
「──分かった。要するに、美羽のせっかくの気遣いが裏目に出たということだな。だけど、それは俺の責任でもあるよ。美羽、あまり自分を責めるな! ここからは俺があの子のところに行くから美羽は車の中で待っていてほしい。
彼女の
裕星は美羽の頭にポンと軽く手を置いた。
あれから愛梨沙はベッドから一歩も出ようとはしなかった。このままでは、せっかく始めた歩行訓練も台無しになってしまう。
杏里が別荘に来られる日も少なくなってきた。新学期が始まってからは、学校とバイトの毎日で自然と忙しくなって、夜まで帰れない日々が続いていた。
裕星が別荘の玄関ベルを鳴らすと、家政婦が出てきて、一目裕星を見るなりすがるように言った。
「ああ、海原さんですね。お待ちしていました! 実はお嬢様がずっとベッドから出ずに塞いだままで、ご飯もあまり食べて下さらず困っておりました。何かあったのでしょうか?
先日まではあれほど前向きに歩く練習をして頑張っていらっしゃったのに」
「彼女に会わせてもらえますか?」
「もちろんです。でも、愛梨沙さまが何て仰るか……」
家政婦が愛梨沙の部屋の前まで裕星を連れてきてくれた。
裕星はドアの前で静かにノックして声を掛けてみた。
「愛梨沙ちゃん、起きてる? 裕星です」
その声で、ベッドの中にすっぽり頭まで潜ったままだった愛梨沙がビクッと布団を押しのけて上半身を起こした。
「裕星……?」
「……あのね、ちょっと話をしたくて、今日は仕事を終えてやって来たんだ」
部屋の中からは何の物音もしなかった。
「入ってもいいかな……?」
裕星の声はしっかり愛梨沙に届いていたが、愛梨沙は自分から裕星に言葉を掛けられずにいた。
愛梨沙は今までの出来事が
裕星とは、あの日遊園地から帰ってきてから一度も話していなかった。
最後の願いを聞いてもらえず、自分はこのまま海の泡になって死んでいくしかないと思っていたところに、翌朝からは、まるで、いつも自分の事を大切に想ってくれてると言わんばかりに、裕星の気持ちの代わりに届いた美しく明るい色とりどりの花束を見て、まだ希望はあると思い直せたこと。
そして、その日から愛梨沙は一年後に裕星に自分の歩く姿を見せたいという思いに駆られ歩行訓練のリハビリを頑張って来られたこと。なのに……裏切られたのだ。
裕星には恋人がいることくらい分かっていた。あれほど完璧な男に恋人がいない訳がないと覚悟はしていた。
でも、それを理解していても現実に突き付けられたくはなかった。
なぜなら、今までこの4年の間ずっと愛梨沙は裕星に恋をしていたからだった。
あの嵐の日、初めて見た美しい青年。子供だった自分にも、裕星の
そして、
しかし、その裕星の気持ちを
その修道女は人魚姫の話の中でも出てくる王女の仮の姿。そして王子の結婚相手でもある。
どうしても愛梨沙にはそう思えてならなかった。あの修道女、天音美羽という女性が自分を排除しようとしているように――。
「愛梨沙ちゃん、体の具合はどう?」裕星は静かにドアを開けて愛梨沙の側にゆっくりとやって来た。
「裕星……どうして? 私のことなんてもうどうでもいいでしょ?」
愛梨沙が裕星顔も見ずに言った。
「どうでもいいなんて思ってないよ」裕星はため息をつきながら言うと、「美羽のこと、怒ってるんだね?」と優しい声で尋ねた。
愛梨沙は、裕星の口から恋人の名前が出てきて、思わずギュッと目を瞑って首を振った。
「――怒ってなんてない! ただ……」
「ん?」
「ガッカリしたの」
「ガッカリした? 美羽が花束を俺の名前で送ってきたこと?」
「――そう」
「そうだね、ガッカリだったね。俺も自分でちゃんと送ることが出来なくて、自分にガッカリしたよ。
いくら忙しくても、大切なことは自分でするべきだった。ごめんね」
裕星はそっぽを向いている愛梨沙に頭を下げた。
愛梨沙は何も答えなかった。裕星に真っ向から謝られて、自分の怒りの行先を無くしてしまっていた。
「俺が先に美羽のことを君に話すべきだったね。彼女は俺の大切な人なんだ。彼女が君に花束を毎日送っていたのは、君をからかっているからじゃない。君に希望を持ってほしくて、忙しい俺の為についお節介をしてしまったんだと思う。
君の事情は事務所の皆も彼女も知っているから。それに君は俺の恩人の一人だしね」
「……」
「花束の事で美羽は本当に謝っていたよ。君に会って直接謝りたいと思っているが、それは君をもっと傷付けることになるから会わない方がいいかもしれない、と。
彼女は間違っていたかもしれない。俺の名前でメッセージを送るべきじゃなかった。
――だけど、これだけは信じて欲しい。俺たちは皆君に元気になって欲しいと思ってるんだ。
あの後、俺と会えなくなっても、綺麗な花を見て君が前向きな気持ちでいられるようにと思ったそうだ。
だから、俺が彼女の誤解を解いて、代わりに謝りに来た。許してくれないか? そして、また前を向いて生きていってほしい」
裕星は愛梨沙の横顔を見つめていたが、愛梨沙は唇を噛みゆっくり
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