第10話 残酷な優しさ

 杏里は、愛梨沙があの時から今まで何年間も独りで『死』と戦いながら生きてきたことを未だに知らず、苦しんでいる愛梨沙をどうすることも出来ずにいた。愛梨沙が突然不機嫌になったかと思うと、今度は思いつめたような顔で真っ青になっている姿を、ただ見守るしかできなかった。


 ──何があったというの?

 杏里の心の中で全てが空回りしていた。








 翌朝、あの時の修道女の花束がそのまま愛梨沙の元に届けられた。

 その花束にはメッセージが挟み込まれていた。


『前に進もう 未来にはきっと光があるから 海原裕星』



 杏里はその花束を配達員から受け取って、ハッとした。やっと気が付いたのだ。

「これ……昨日の人の花束……そうか、そうだったんだ」


 急いで愛梨沙の部屋に行き、ドアをノックした。

「愛梨沙ちゃん、ごめん。今まで送られていたのは、海原さんじゃなくて昨日会ったあの人の花束だったんだね? なんにも知らなくて、ゴメンね。でも、ほら、あの人は代理で届けてくれてただけかも。ボランティアか何かじゃないのかな?」

 杏里の言葉をさえぎるようにして愛梨沙が首を振って言った。


「そんなわけないじゃん! あの人は裕星の恋人だよ! だって、私の大切な人の代わりに贈ってるって言ってたんだよ! きっと私のことを陰で笑っていたんだ。

 私が裕星の事を好きなのも知っていて、こんな花を贈って来て優越感に浸ってたんだよ! あの人の事、お姉ちゃんの友達は『天使』って言ってたけど、あの人は天使なんかじゃない! 『悪魔』だよ!」

 そう言うと布団に突っ伏して声を上げて泣いた。




「愛梨沙、ごめん。これ返しとこうか? もう受け取らない方がいいよね?」


「いらない! こんな酷い仕打ちをして、陰で笑われているかと思うと悔しいよ!」


 愛梨沙はもう二度と希望の光を信じる気になれなかった。失望したままどこまでも奈落に落ちて行って、自分から海の泡になってしまいたいと自暴自棄になっていた。



 杏里はあの時聞いた名前から教会の住所を調べて「天音美羽」宛てに花束を送り返してしまったのだった。今までの裕星名義のメッセージカードも全て同封して――。







 ***教会***



 美羽は孤児院で子供たちの面倒を見ていた。

 すると、シスター伊藤から孤児院に電話が入った。事務室に届いているものがあるから来なさいという。


 急いで事務室までやって来てドアを開けた途端、美羽の目の前に大きな箱が現れた。


「シスター、これは? 私宛の荷物ですか? どなたからですか?」

 大きな箱に貼られている差出人を見ると、『阿刀田杏里』とある。

「阿刀田というのは、裕くんのファンの女の子と同じ苗字だわ。でも、私に何かしら?」


 美羽が箱を自分の部屋に運んでカッターで丁寧にガムテープを切って蓋を開いた。

 すると、すぐ目に飛び込んできたのは、昨日自分が送ったはずの赤い花束だった。

「こ、これ、どういうこと? あの時確かに送ったはずなのに」


 花束を取り出すと、奥にまた小さな箱があった。美羽はその箱を開けて言葉を失ってしまった。

 中にあった何十枚ものカードは、自分が裕星の名前で愛梨沙に送ったメッセージカードだったのだ。


「そんな……」

 両手で口を覆いながら、鼓動はどんどん速くなっていく。


 すると、箱の奥に一通の封筒が入っているのを見つけ、美羽は急いで中の手紙を取り出して読んだ。


 手紙を読んで行くうちに絶望的な気持ちに襲われて真っ青になった。自分の好意があだとなっていたことを知ったからだ。




『天音美羽さまへ


 先日は、妹の愛梨沙の手当てをしていただき、大変ありがとうございました。しかし、お礼はそれだけにしておきます。


 私達姉妹はとても絶望いたしました。あなたがどんなつもりでされたか分かりませんが、このことで妹を絶望のふちに追いやったのは事実です。


 もう妹に何も送って来ないでください。迷惑です!

 そして、あなたが海原さんの恋人だとしたら、もう妹をこんな形であざけり笑うのは止めてください。

 そして、妹をそっとしておいてください。


 それだけ伝えようと思って、今までのカードは送り返させて頂きます。以前からのお花は全てドライフラワーとして大切に飾っていましたが、全部処分させて頂きました。


 貴女はシスターで天使かもしれませんが、私達にとっては悪魔の様だと妹は泣いていました。

 意地悪な手紙で失礼いたします。でも私たちの気持ちも分かって下さい。      愛梨沙の姉、阿刀田杏里より』






 手紙を持つ手がブルブルと震え、美羽は唇を噛んで立ちつくしていた。


 ――私はなんてことをしてしまったのだろうか。裕くんと会えなくても、毎日花束を届けてあげたら、きっと喜ぶに違いない。裕くんからの言葉として送った言葉は、自分が考えたものだったが、少しでも彼女が前向きになれて歩こうとする気持ちに繋がってくれたら……。


 しかし、それは間違いだった――。



 美羽の瞳から涙がポトリポトリと落ちて、部屋の絨毯じゅうたんの上にみていった。


 ――泣きたいのは私じゃない。あの子の方よね。ああ、どうしたらいいの?


 机をどんどん叩いて自分の不甲斐なさをのろっていた。もう自分は彼女に弁解しに行くこともできないだろう。自分を弁解することで、また彼女を傷付けてしまうからだ。


 裕くん――。美羽はせっかくの裕星の好意を台無しにしてしまったことを責めた。


 もう裕星を頼る事は出来ない。自分一人であの子と向き合うしかないのだ。

 自分がいた種は自分で刈り取らないといけない。しかも、彼女に希望を与えようとして絶望を与えてしまっていた事を知り、自分の思い上がった勘違いの優しさを悟った。



 美羽は毎日書いていた住所に行くことにした。しかし、彼女と顔を合わせずどうやったら彼女を励ますことが出来るか全く何も思いつかないままだった。



 美羽は電車を乗り継いで逗子駅にやっと到着した。それほど遠いわけではなかったが、ここに来るまでの間、ずっと愛梨沙に心を馳せていた。

 しかし、自分が彼女に会えば、もっと苦しめてしまうことは分かっている。それでも彼女を傷付けたことを謝りたいと思ったのだ。

 ちょうどその時、ポケットのケータイが鳴った──裕星からだ。

 出ないと心配を掛けるだろう。今日は仕事が休みの日だから、裕星から連絡が入る事は分かっている。


「はい、もしもし、裕くん」


「美羽、今どこだ?」

 裕星はすでに美羽が都内にいないことを察していた。


「どうして?」


「言ったろ? お前の考えてることなんて俺にはすぐに分かるんだ。もしかして、今逗子なのか?」


「……」


「――図星だな。何かあったのか? 実は今月ずっと忙しくて気づかずにいたんだが、さっき美羽のメールを見た。あの子に花束を毎日送る事にしてたんだな。それで、もう三ヶ月くらい経つだろ? どうだったんだ?」


「――うん、そのことで裕くんに迷惑を掛けちゃった。そして、愛梨沙ちゃんにはもっと……」


「俺とあの子に迷惑? 花を贈ったことでか?」


「――うん、ごめんなさい。もうこれ以上裕くんに迷惑を掛けたくなくて、言えなかったの」



「一体何があったんだ」

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