第9話 悪魔の修道女

 色とりどりの花たちを見ていると、裕星と同じ目線になったかのような錯覚を起こした。

「裕星はここでこんな風にお花を見て、私に似合う花を選んでくれたのかな? 嬉しい! 同じお店にいられるだけでも嬉しいよ!」


 すると、店員が愛梨沙たちに声を掛けた。

「もしよろしかったら、隣のカフェでお茶ができますので、どうぞ。うちは『花カフェ』と言って、お花屋とカフェが一つになっているんです。お花を買われてもカフェだけでもいいんですよ」


 店員の指す方向に隣接しているガラス張りのカフェが見えた。数台あるテーブルは綺麗な花たちに囲まれ、店先はオープンテラスになっており、テーブルとイスが歩道近くまで迫り出して置かれていた。

「素敵! こんなカフェ、夢の中にいるみたい! 裕星っぽいお店だね」


「裕星っぽいって変な表現ね? でも、海原さんが花束を買ってくれた花屋さんぽいわね?」

 杏里もすっかりこの店を気に入ったようだ。


「ねえ、カフェで少しお茶してもいい? もしかすると裕星が来るかもしれない。あの宅配便の受け取り票に書いてあった時間は、いつもだいたい3時ごろなの。

 だから、ほら、今2時45分でしょ。もう少しで裕星が現れるかもしれないから」

 愛梨沙は声が上擦りながら興奮している。


「いいわ、待っていましょ! 海原裕星、捕獲作戦ね!」と杏里が笑った。友人が先に取ってくれていたオープンテラスの丸テーブルを囲んで、三人はコーヒーと紅茶を飲みながら、視線はずっと隣の花屋の中に向けて待っていたのだった。




 ――あの時、あんな別れ方をしちゃったから、裕星は怒ったんじゃないかと思ったけど、次の日からずっと花束を届けてくれて。私の事をこんなに想ってくれていたなんて……。だから、一年後まで待たなくてもいいよね? こんなに元気になった今の私を見せたら、きっと喜んでくれるかも!

 そして、また逢ってくれるようになるかもしれない――。


 愛梨沙は一人妄想にりつかれて、期待にふくらむ胸を抑えながら、紅茶に口も付けずに待っていた。





 3時。花屋の柱時計がメロディを鳴らした。

「あ、もう3時。もうすぐよ……」

 愛梨沙は胸のドキドキを両手で押さえながら、息をのむようにしてカフェの中からひたすら花屋の店先に視線を集中させている。


 するとその時だった。

「いらっしゃいませ! いつもの花束ですね?」

 店員が明るく声を掛けたその先には────裕星ではなく、若い女性が立っていた。

「すみません、今日は赤いお花の花束でお願いしたいのですが」


 それも、近くの教会の修道女なのか、頭からすっぽり白い布を被り、水色の丈の長いワンピースに身を包んで、この通りで一際目立っている。

 愛梨沙は、しばしその修道女の美しい品のある仕草に見とれていた。


 店員と話しているその女性の被り物の中からちらりと見えたその顔は、スーと鼻筋が通って、キラキラと輝く様な瞳の美しい女性だった。


「あ、この花、なんていう名前ですか? 出来れば明るい感じの花言葉のお花がいいかな。それと、こっちのも可愛いな」


「はい、かしこまりました。――でも、毎日ですよね? お忙しい合間に毎日欠かさず花束を贈られるだけでも大変ですね」


「いえ、私は大変じゃないですよ。この花束を見て笑顔になってくれるのを想像すると、逆に私の方が嬉しくなっちゃうの」


「優しいですね。あ、住所はいつもの逗子市〇◁―〇‪✕‬の阿刀田様でよろしいですね?」




 ――今、何て?

 愛梨沙は耳を疑った。


「はい、そうです。そして、送る時にまたこのカードを付けてもらえますか?」


「分かりました。どんなお相手の方なんですか? シスターさんが届けられる方って……もしかして、禁断の恋人だったりして?」


「い、いいえ、いいえ、違いますよ! 可愛い女の子にです。それに私、本物のシスターではないんですよ。予定のない日曜日だけ、神父をしている父の教会でシスターのお手伝いをしてるだけなんです」と微笑んだ。


「まあ、そうなんですか? でも神父様の娘さんが? 感心なことですね。ご親戚のお子さんへのプレゼントですか? あら、ごめんない、詮索するつもりではないですけど」


「いいえ、親戚でもないんです。私の大切な人の代わりに届けているんです」



 愛梨沙は突然、ガタンと椅子から立ち上がった。そして動かない足で急いで外に出ようとしている。


「愛梨沙ちゃん、どうしたの? 急に立つと転んじゃうよ!」

 杏里が慌てて愛梨沙の腕を支えた。


 すると、愛梨沙はずっと座っていたせいか足が上手く動かず、案の定もつれてバランスを崩し、膝から床に転んでしまったのだった。


「キャッ!」


 その悲鳴で、修道女は振り向き、急いでこちらに駆け寄ってきた。


「大丈夫ですか? お怪我はないですか?」

 愛梨沙に声をかけた。


 しかし、愛梨沙は黙ったままそっぽを向いている。


 「ああ大変、お膝から血が出てる」

 修道女は急いでポケットからハンカチを取り出すと、真っ白なハンカチを躊躇ためらうことなく愛梨沙の膝に当てたのだった。

 見る見るうちに、白いハンカチが赤く染まった。


 そこへ、さっきの花屋の店員が絆創膏ばんそうこうと消毒薬を持ってやって来た。

「これ良かったら使って下さい! 私もよく花のとげで怪我をするので、いつも置いてあるんです」と差し出した。


 修道女はそれを受け取ってその場にしゃがみこむと、手際よく愛梨沙の膝の手当てをしてくれたのだった。


 杏里はその様子を茫然と見守っていたが、ハッと我に返り、「ありがとうございます。あの……よろしかったら、お礼をしたいのでお名前を教えてくださいませんか?」と頭を下げた。


「そんな、お礼だなんて……」


「いいえ、こんなにお世話になって……せめてお名前だけでも聞かせて下さい。私は阿刀田杏里と申します」


「え、阿刀田さん? あ、でも人違いね。同じ名前の方を知ってるんですが、ここに住まれていないから……。私は天音美羽と申します。すぐ近くの教会におります」と小さく頭を下げた。


「天音さんですね。妹がお世話になりありがとうございました!」

 愛梨沙を支えて立たせながら美羽に頭を下げた。


 美羽は、それでは失礼します、お大事にしてくださいねと優しく微笑み、さっきの花束の代金を払って出て行ってしまったのだった。



「綺麗な人だったね。あんなシスターもいるんだな。もしかして、天使が舞い降りてきてくれたんじゃないのか? 愛梨沙ちゃんがピンチの時にやって来てくれたんだよ、きっと」

 杏里の友人が、美羽の背中を見送りながらしみじみと言った。



「知らないっ! 私、もう帰りたい!」

 愛梨沙はさっきとは打って変わって不機嫌になり、裕星を待つはずだった花屋を一度も振り向くことなく、二人に両脇を支えられながらまた車へと戻って行ったのだった。


 車の中で杏里が後部座席の愛梨沙に振り向いて言った。

「愛梨沙、何かあったの? あの人のこと知ってるの?」


「違う! あんな人知らない!」と窓の方へ顔を背けた。




 せっかく東京への遠出も、裕星に逢えることもなく、それどころか知りたくないことを知ってしまったのだ。


 毎日決まって届けられていた花束は、裕星からのものではなかった事実を――。


 事態はもっと最悪かもしれない。

 あの修道女は、確かに「私の大切な人の代わりに」花束を送っていると言った。

 愛梨沙は帰りの車の中で絶望感にさいなまれていた。

 まさか、裕星に会えると期待して出てきた東京で絶望が待っているとは――。


 ――あの女の人は、きっと裕星の恋人なのだ。そうでなければ、「大切な人」なんてこと言うはずがない。


 それに、あの女の人はしくも『人魚姫』を奈落に落とした隣の国の王女の仮の姿、修道女と同じではないか……。王子の命を助けた人魚の存在も知らず、まんまと王子の妃の座を手に入れた悪魔の修道女だ。


 ──同じ。全く同じだわ。これじゃ、私は海の泡になって死んでしまうのは確実なのね。

 せっかく裕星のために生きていきたいと決意したのに、病気と向き合おうと頑張ったのに、あの人のせいで私は海の泡になって終わってしまう。

 裕星を助けたのは、私よ! あの人じゃない! あの時、海で溺れそうだった裕星を助けたのは、私なのに!


 愛梨沙はもうまともな考えが出来ずにいた。妄想から現実に戻ることが難しいほど精神的に追い込まれていたのだった。


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