第6話 人魚と王子の最後のデート

 ***JPスター事務所***


 裕星は夕刻にはすでに事務所に戻って来ていた。


 練習室で美羽からのメールを確認しようとしたが、誰かがドアをノックする音がして、裕星は急いでケータイを伏せてドアを開けた。


「裕星、今日はお疲れさま」光太だった。

「例の女の子、今朝社長の話から気になっていてさ、どうだった? 元気そうだったか?」


「ああ、どうした、お前まで。そんなに気にしてくれていたのか?」


「いや、実はこれ、遊園地の招待券なんだけど、友達にちょうど二枚もらったんだ。

 俺はわざわざ遊園地なんか行かないから、もしよかったらあの子にあげたらどうかな、と思ってさ。お前も大変なことに、彼女の願いを叶えてやることになってるんだろ? デートがしたい、なんて言われてるんじゃないかと思って」


「どうして知ってるんだ?」


「実は今朝、美羽さんに聞いた。手紙の女の子の話もね。車椅子だというのは社長が言ってたから知ってるけど、まさか裕星に願いを叶えて欲しいと書いていたとは……。美羽さんが何か裕星の手伝いをしたいと言っていたから、詳しく聞きだしたんだよ」


「――ああそういうことか。別に隠してたわけじゃないし、美羽に口止めしてたわけじゃないから構わないよ。

 俺だけでどうにかできそうな願いだし、7つある内の2つは昨日叶ったみたいだから、後5つの願いを叶えるために明日も行ってくるよ。

 遊園地のチケットは有り難くもらっておこうかな。もし行きたいと言ったら連れて行くつもりだ」



「裕星、あまり無理な願いだったら断れよ。いくら病人だと言っても、無理難題まで叶えてあげるのはどうかと思うからな。その内、結婚してほしい、なんて言われるかもしれないぞ」と笑いながら脅した。


 裕星はハハハと笑った。

「そんなことは言わないだろう。でも、もし言われたときは、出来ないことは出来ないとハッキリ言うよ。最初にそう彼女にも伝えてあるからな。出来るものしか叶えてやれないと」



「そうか。ま、くれぐれもあまり期待をもたせすぎるのだけは止めておけよ。相手は16歳といえども、れっきとしたレディだからな。お前にその気が無くても、相手はお前を恋愛対象に見てるかもしれないんだ。それが女性だからな」


 ハハハと笑いながら、裕星は遊園地のチケットを受け取り、ありがとう、とドアを閉めた。

 美羽からのメールに既読を付けてしまったまま、裕星は読まずに閉じてしまっていたのだった。




 翌日の朝早くから、裕星は逗子の別荘に向けてベンツを走らせていた。


 今日はランチをすると言っておいたが、気分がよければ昨夜光太に貰ったチケットの遊園地に連れて行ってやろうと考えていた。そこなら近い上に車椅子の対応も十分にできる設備がある。


 ――期待を持たせすぎるのは止めておけ――光太の言葉が過ったが、そこまで神経質に考える必要はないだろう。相手はまだ16歳の子供だ。だいぶ年上で今年25歳になる自分を恋愛対象に見ることは無いだろうと安易に考えていた。もちろん、自分には大切な美羽がいる。

 愛梨沙はファンの一人だが、恩人の娘でもある。少しの間だけでも命を助けてくれた恩を返したい一心だった。



 別荘に着くと、すでに朝食を済ませた愛梨沙が、リビングで車いすに座り用意周到で裕星を待っていた。

 玄関から裕星が入ってくるなり、車椅子の車輪を勢いよく回して、裕星の側までスーッとやって来た。


「裕星、昨日はありがとう! お蔭で怖かった海を見ることができたわ。一つずつ私も大人になっている気がするの。今日のデートも楽しみすぎて眠れなかったんだよ!

 ねえ、今日はデートでどこに連れて行ってくれるの?」


 息を切らしながら近づいて頬を紅潮させている。


「ああ、それじゃあ、せっかくのデートだから、遊園地はどうかな? その中でランチをしようか」


「わあ! 嬉しい! 私、遊園地は小っちゃい頃パパとママに連れて行ってもらったきりだから楽しみ!」

 車椅子の上で上半身を躍らせるようにして満面の笑みを見せた。



「良いんですか、海原さん?」

 杏里は申し訳ない、と言ったような表情で訊いた。


「ええ、大丈夫です。チケットを貰ったので、もしよかったらお姉さんも一緒に行きますか?」

 二人の娘たちを連れていてあげようとして裕星が訊くと、んっんっ!と愛梨沙が咳払いをして杏里を見ている。

「――あ、いえ、私はいいです。愛梨沙をよろしくお願いします」と気を遣って答えた。


「だって、今日は裕くんは私のためにデートをしてくれるんだもん。お姉ちゃんはお邪魔でしょ?」

 愛梨沙が姉を牽制けんせいするように言った。




 愛梨沙は裕星とデートできる幸せを誰にも邪魔されたくないと思っていた。

 自分はもうこれが最後のデートなのだから。

 ワガママを言っている様に見えて、本当のことは誰も知らない。

 自分が今したいことを気を遣って誰かに遠慮してる暇などないのだ。





 遊園地では、車椅子だが、裕星が愛梨沙を抱き上げて、動きの激しいジェットコースター以外ほとんどの乗り物には乗ることが出来た。

 コーヒーカップやゴーカート、観覧車、どれもこれもまるで初めてのように楽しかった。昔、12歳の頃行った遊園地が最後だったからだ。


 有名人の裕星とこんな人気のある遊園地に来て、夢のような時間を過ごすことなど想像すらしたことがなかった。裕星は周りに気付かれないようにマスクとキャップで変装しており、隣には車椅子の少女がいるため、周りの人間には彼があのアイドルの海原裕星であることなど全く気付かれることはなかった。


 それに、今日はまるで本当に自分だけの王子さまのようにずっと傍にいてくれる。それが愛梨沙には自分への人生最後のご褒美のような気がしていた。



 遊園地の中のレストランでランチを取った後、ゴンドラに乗りたいと言う愛梨沙の希望を叶えるためにゆっくり列の後ろに並んでいると、スタッフの誘導で車椅子優先で二人はそれほど長く並ぶことなくゴンドラに乗ることが出来た。また、幸いにも裕星と愛梨沙の二人だけで乗せてくれたため、大きなゴンドラは二人きりの船のデートとなった。


 裕星にしても遊園地のゴンドラには美羽とでさえも乗ったことが無かった。大きな湖のような人工池の真ん中までゴンドリアンが悠々といで行くと、だんだん西に傾いていく太陽がオレンジ色に輝いてデートをロマンティックに演出してくれた。

 裕星が周りの景色に見とれて言葉もなくぼんやりと見ていると、愛梨沙が口を開いた。



「あのね、今日は一気に私の4つの願いが叶っちゃったよ」


「そうだったのか? いきなり4つ叶えたのはどんな願いだったのかな?」


「3つ目は『裕星とデート』することだったでしょ? 4つ目は『裕星と遊園地に行く』こと、5つ目は『裕星と一緒に食事をする』こと、そして、6つ目は『裕星とまた船に乗る事』だったの。でも、『デート』の中に全部入れちゃえば良かったかな、残念!」と笑った。


「じゃあ、残りは最後の7つ目の願いだね。そろそろ教えてもらっていいかな?」


 すると、愛梨沙は目を伏せて唇を噛んでいたが、辺りが夕日で赤く染まり、ゴンドラがもうすぐ一周して終わりに近づく頃、ゆっくり顔を上げ裕星を見つめて言った。



「私、もうすぐ死ぬの――」


「――死ぬ? どうして?」


「私、お姉ちゃんにも言ってなかったけど、もう長くないみたいなんだ」


「どうして? 医者にそう言われたのか?」


「――うん。私が12歳のとき、海の嵐で足の骨を折ったでしょ? そのとき、パパとママと一緒に病院に行って分かったの。パパとママがお医者さんと話してるのをドアの外で聞いてたんだ。『後4年しか生きられない』って言ってるを――」

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