第20話 炎を巡る能力戦
石造りの街。その大通りのど真ん中に瞬間移動してきたイエッタとアスキア。とはいえ多くの住人は広場に見物に行っていて、そこらに人はほとんどいなかった。
アスキアは両手を地面に突いて肩を上下させている。
「すみません咄嗟に名前を呼んでしまって。私一人だけが気を引いて身代わりになればよかったのに」
イエッタが呼びかけながらその肩を握って強く掴む。
「何言っとん!! 絶対に一緒に逃げるよ!!」
両者、目を合わせると頷いた。並んで駆け出す。
「で、でも、どうしょう! 街道に出る!? 馬を回収して!?」
ひとまず広場とは逆方向に走りながら、イエッタが尋ねる。アスキアは体力が無いので既に息切れ。
「そ、それはどうでしょう。ここから街を出るまでに十分はかかります、それだけあれば追いつかれる。人混みに紛れられれば——とはいえそれも、今すぐには望めそうにない、ですね」
「う、うーん! ほなら、戦わないけんってことかな!?」
「……やるしか、ありません」
オニクスとレオンは空を蹴って街並みを横断していく。上空10メートルほどから都市の街並みを見下ろす。
「はえー! 凄い凄い、怖ーい!!」
レオンはオニクスの背中を追いかけつつ、ピョンピョンと空を跳ねながらはしゃいでいた。
「お前、なんでそんな楽しそうなわけ?」
オニクスが振り返りながら尋ねる。怒るに怒れないといった微妙な表情。
「そりゃあだって! いきなりこんなエキサイティングな体験をすることになったらはしゃぎもするよ!!」
「うーん、ま、まあそうなのかな」
オニクスの〝
ともかく二人の空中での移動はかなり早い。街並みを無視しているのもあって、イエッタたちにはすぐに追いつく。
「あの建物の中だ」
二人が見下ろしたのは木製の平屋。土地二つ分を占める大きさ。
「……レストランっぽい?」
「みたいだな。とはいえ今日は休業なのか、営業は夜だけなのか、ともかく人がいない。魔女だけだ」
二人はレストランの入り口まで下りてきた。入り口の脇に掛けられた黒板には、ムール貝やエビのイラストが描かれている。
「叩き潰せばいいのに。わざわざ前から入るわけ?」
「いや、もう相当勝手してんだから、流石に建物を壊したりとかはできないって」
「オニクスにその辺の良識があったんだ! 村の教会は無茶苦茶にぶっ壊したくせに!」
オニクスは申し訳なさそうに顔を逸らした。
「そ、それはまあなんというか、カッとしてたから。ごめん」
レオンは微笑んで返して——。
「じゃあ許した。——それにしても楽しみだなあ!」
そして、一気に愉快な表情に切り替えた。オニクスはシリアスな感情がすっぽ抜けて、思わず前方に転びそうにすらなった。
——レオンの情緒、スピード感が凄いんだよな。まあ話が早くて助かるんだけど。
「……何が楽しみなんだよ。人を殺すのが?」
「何言ってんのさ。共闘がだよ。俺とオニクスのさ」
レオンはキラリと歯を光らせる。対してオニクスは照れるだとかそういうこともなく。
「まあ、共闘、ね。私とお前が組んでまともな闘いになるやつは魔女の頭領くらいしかいないと思うけどな」
レオンは不審そうに目を細めた。
「ふーん。つまり?」
「もう勝負はついてる」
オニクスが扉を押し開こうとするのを、レオンが腕を伸ばして止め、代わりにレオンが前に出て扉に手を置いた。オニクスは素直にレオンの後ろに下がる。
「まあ、悪い気はしない」
「ちっちゃい子ども扱いされるのが?」
「タマ握りつぶすぞ」
「おっと。そりゃあ当然、レディー扱い、もしくは年上扱いですよ?」
「それ女を誘うときにも言ってみろ。めちゃくちゃ微妙な顔されるから」
レオンは振り返ってオニクスの苦い顔を見た。
「じゃあオニクスは誘われてると思ってるの?」
オニクスは舌打ちしてレオンのケツを蹴る。
「ケッ。これは嫌な顔じゃなくて呆れた顔だよ。ほらさっさと中に入れ」
「ごめんごめん」
レオンは苦笑しながら扉を押し開いた。二人とも中に入る。
そこは大きなホールになっていた。天井にはステンドグラス。壁にサーフボードがかけられていたり、蓄音機があったり。高級レストランと言うよりは庶民向けな印象。
机の数は十以上。白いテーブルクロスが机の足元まで伸びている。
とはいえイエッタとアスキアはクロスの陰に隠れているだとか、奥の厨房まで逃げ込んでいるだとか、そういう訳ではなかった。ホールの中央の床に、二人ともうつ伏せに貼り付けられていたのである。
「カッ……ハッ……」
全身をじわじわと握りつぶされながら。二人とも、口元のフローリングには血が飛んでいる。事実二人は、指先一つ動かせず、呼吸もままならない。精霊体でなければとっくに意識を失っているところ。
「あらー! こりゃ確かに、勝負はついてたわけだ」
「まあ、そういうことだ——って、うわ!?」
オニクスがつるっと滑ったところ、レオンが腕を引いて立たせた。
「あ、ありがとう」
「ん」
二人で同時にそれぞれの靴の裏を見る。傍から見るとちょっと間抜けな絵面。靴の底から油がトロリと垂れた。足元を見ると油が敷かれている。
——〝
扉が開かれ、「密室」の条件が解かれたため維持が難しくなり、自然と能力は解除される。
そして、それまで「固定」されていた、本来「落下中」のランプが——炎を伴った油が——オニクスの頭上から落ちてくる。
**
「オニクスの能力は無敵に思えますが、隙もあります」
イエッタはアスキアの指示で、ガラス瓶から床に油を垂らしていく。
「〝
「確かに、距離にも付け入る隙はあるかもしれませんね。ですが今回は〝触れなければならない〟という条件に注目しましょう。ガルが〝
炎には実体がない以上、オニクスの能力で触れることができない。
**
「うわ、ビックリした」
オニクスの頭上でランプは止まる。見上げたオニクスの顔から、数十センチのところ。
炎はともかく、物体や液体には触れられる以上、そのランプが床に落ちるまでに止めることはオニクスには容易い。
「これが策? あっけな——」
視線を前方に戻したオニクスの目が驚愕に見開かれる。人を糧に燃え上がる光景を見て。
——は!? 何やっ……何があった!!?
ホールの中央、床に倒れるアスキアが火だるまとなっていた。レオンは一歩足を引く。
「うーわ。オニクス、ビックリするあまり、あの二人から気を抜いたでしょ。ほんの少しだけど動かれた。指先に火種を持ってたみたい」
アスキアは最初から油を浴びていた。そして、ここまで狙い通り。
アスキアから伸びる油の路を炎が素早く伝っていく。すぐにレオンとオニクスの足元に到達し、着火した。
「——キャアアア!!」
悲鳴。オニクスは炎を消そうと〝
それほどにオニクスは錯乱している。
イエッタにかかる力が弱まり、ほとんど自由に動けるように。効果のてきめんさにアスキアの言葉を思い出す。
『そして最大の隙は、オニクスに、何か炎に関するトラウマがあるらしいということです』
——ちゅうても、食用の油で殺せはせん! 一瞬の動揺を誘えるだけ! すぐにもう一押しがいる!
膝をつきながら近くのテーブルクロスの下に素早く手を伸ばし、そこに積んでおいた酒瓶を手に取った。度数の高いウォッカにリキュール。立ち上がりながら投擲する。
瓶はどれも二人の頭に勢いよく衝突した。軽い音を立てて割れると同時に二人の全身を炎で包む。
——よし! いける、いける!
「最後に、これっ!!」
イエッタが最後に投げたのは火薬袋。手持ちの弾薬全てを合わせたもの。
『ダッ——ン——!!』
決して大きいとは言えない、しかし人を殺すには十分な爆発が起こった。
**
〝アッカラ村の襲撃〟のとき。教会で戦闘が起こっている間、アスキアは万が一死んではいけないと、諸々の戦闘には参加せず、近くの家屋に身を潜めていた。
作戦開始から数分。彼女の隠れる家の扉が、勢いよく開かれた。壁際に立っていたアスキアは、無表情のまま驚きに肩を跳ねさせる。とはいえそれは敵ではなく、予定通り、教会での戦闘を終えてきたガルだった。
訂正。正しくは、教会での闘いから逃げてきたガルが——そこにいた。
彼女は急いでアスキアの手を握る。既に彼女の左腕は失われていた。
「今すぐ、ヨルノとのランデブーポイントに飛んでください!!」
アスキアはその様子から作戦が失敗したことを察した。すぐに瞬間移動する。
とはいえヨルノは予定のポイントにいなかったので、何度か飛ぶことになったのだが。それからヨルノと遂に合流して、イエッタの馬車で撤退したという流れ。
つまりアスキアは、村でレオンの顔を見ていないのだ。
**
「やった……!?」
いつでもナイフを投げれるよう構えながら、レオンとオニクスが立っていた位置に目を向ける。
煙が晴れていく。
「——!? ん、な!?」
そこには、二人の身体は無かった。凝視する。影も形もない。
——燃えてはいる! のに!?
そう、今も扉の傍に炎は燃え上がっていた。油と酒を燃料にして。ガラス瓶の破片がじわりと変形し始めている。しかしどこをどう見たって、人二人分の身体が見えない。
「ほ、ほ……本当に、ビックリした……」
声の方向へ振り返る。それは入り口とは大きく離れた場所。扉に向かって九時の方向の壁際。
「や、やだ……まだ……」
お姫様抱っこされたオニクスがレオンの袖を掴んで息を荒げていた。その瞳には何らかのトラウマの記憶が写っていて、身体をぶるぶると震わせている。
イエッタはすかさずナイフを投げつける。しかしナイフはオニクスに近付くにつれ減速し直撃の寸前で静止した。次第に輪郭が歪み始め、すぐにぐしゃりと潰される。見るも無残な丸い塊にされてから地面に落ちた。くしゃくしゃに丸めた紙のよう。
——金属……なんやけど!?
レオンとオニクスは、まるで最初からそうしていたかのようにしてそこに居た。衣装にも、身体にも、燃えた気配なんてものはひとかけらも見つからない。
オニクスの靴底からは油が僅かに滴っている。
——な、何が、何があった?
レオンは一度、手元のオニクスに憂いの眼差しを向けてから——すぐに切り替えて——きょとんとしてイエッタに尋ねた。
「単純に疑問なんだけど、魔女の頭領——ガルがその手を使って勝てなかったのに、どうしてまたその手で挑もうと思ったの? ガルは〝炎〟の他に二つの能力を使っていてなお負けたのに、なぜそれ未満の手で挑むのか? 情報共有してないの?」
イエッタは状況の考察に頭を回しており、空返事以上のものは返せない。
「お、同じ、手?」
……のだが、レオンは勝手にアッと気付いて一人で納得していた。
「ああそうか、情報は共有しているからこそ、同じ手で挑んできたんだ。問題なのは、俺が何者か知らなかったってことね。そりゃそう。だって初対面だし」
——ガルの敗北を知っている? じゃあ、この少年は……!!
レオンはオニクスを抱え直すと、背筋を伸ばして微笑みかけた。好青年らしい仕草。
「俺はレオン。レオン・メイソン。オニクスと共に、君たちの頭領を撃退した、アッカラ村の若者さ」
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