この虹色の世界から〝神〟を盗めるその日まで

うつみ乱世

1章 〝アッカラ村の襲撃〟編

アノールが歴史上二番目くらいにバイオレンスな修羅場を体験するまで

第1話 二人の幼馴染と、一人の魔女

 古い軍帽を被った少年があぜ道を走る。目指すは村の教会。


 大扉を押し開く。


 まだ日も登らない夜明け。青い色彩に漂うホコリが際立っている。


 神像の前には、別の少年が立っていあ。黒髪に黒い瞳。扉が開くのを聞いて振り返り、軍帽の少年の姿を認め、声をかけた。


「おっ、アノール? 早いじゃん。おはよ」


 アノールと呼ばれた方の少年は引きつった笑いを浮かべた。こちらは茶髪に茶色の瞳。


「あー、そうだね。レオンこそ早いね? おはよう? なんでここに?」


 二人とも、使い古された茶色い服を着ていた。村人らしい村人という趣き。


 レオンはにやりと笑って答えた。


「悪いな。今日ばっかりはアノールには負けられないと思って」


 言って、再び教会の神像を見上げる。


「なにせ今日は神様に選ばれる選抜の日だ。神様から能力を貰えるのは八人に一人。祈りにも来るさ」


 ——うっ……。


「で、でも、選抜があるのはお昼からだけど? 妙に早いじゃん」

「早起きなのはアノールもそうだろ?」

「そうだけど!? なに!? 早起きだから何だっての!?」

「なにを怒ってんの?」


 アノールは悔しそうに目を逸らした。


 ——今日だけは、負けたくなかったのに……!


 レオンはアノールより優秀である。背が高く力が強く座学も優秀で手先が器用、性格は溌剌として愛想もよい。村のみんなから愛され将来が期待されている。


 何年か前のエピソード。アノールは街で剣術指南があると聞いて習いに行ったことがある。習って帰ってきたアノールは、レオン相手にちゃんと一本取ったのである。だが、その剣技に感銘を受けたレオンは同じ教室へ出向くと、三日でアノールを追い越した。それ以来アノールはレオンに剣で勝ったことは無い。


 料理教室や裁縫教室に通ったりもしたが全て後からレオンに追い越された。


 このようにアノールは、アイデンティティを確立したところから破壊される環境で育ったために、少し卑屈な人間に育ってしまったのだ。


 とはいえこのところは、アノールの肯定感は比較的健康な状態を維持していた。レオンに勝っているものが一つだけあったのだ。信仰心である。逆に、今の彼にとって信仰心だけが唯一の心の支えだった。だというのに……。


「お前はなんで僕より早く起きてるんだよ!! はあ、いいですよ? じゃあこういうことですか? レオンどのは『信仰心以外、自分に勝っているところのないアノールくん』に信仰心では負けられないと思って? 僕よりも早くお祈りに来たんですね。はあああ!! そりゃあまあ随分とご立派な事ですわあ!!」


「相変わらずよくもまあそんなに卑屈な考え方が出来るよなあ。感服」

「お前のせいなんだけど!?」

「俺はアノールに負けたくないとは思ってないよ?」

「既にどうしようもないほどに勝っているから!?」

「違うわ。あ、卑屈さでは勝てないよ」

「うっ!!」


 グサッと、10ダメージ。胸に手をやる。迫真のダメージボイス。


「ぐはああ! こ、ここに穴が空いてる! 目には見えないけど。こいつ殺人犯だ!! 誰かああ!!」

「卑屈さに自信を持って生きていきな。ほらほら」


 レオンがアノールの額をつんと押した。アノールは初め額を抑えムッとしたが、次には深刻そうに目を逸らした。


「……そうはいかないんだよ」


 そのセリフを聞いて、レオンは困ったような笑みを浮かべた。


 ——絶対に、選抜には受かってやる。レオンに目にもの見せてやるんだ。





 選抜の予定時刻は正午。まだ時間がある。


 ——あーあ、またレオンに突っかかっちゃった。クソ、レオンに甘えちゃってんだよな、分かってんだけど……結局レオンにたしなめられるっていうのも……不甲斐ない。悔しい……。


 村の北に向かって十分ほど歩くと、軍の砦がある。アノールはそこを尋ねた。


 そこには少女の姿が一つ。質素なワンピースに、下ろした金髪。早朝から兵士たちに白湯を配って回る。名前をエールという。


「エール~」


 声をかけた。意図したわけではなかったが、不意を突いてしまったようだった。


「アノール!!?」


 エールは驚くあまり手元を滑らせる。


「あっづ!!」

「「あっ」」


 廊下に寝かされていた兵士の腕に熱湯の雫が飛んだ。二人は慌てて冷水を持ってくる。


「あ、ありがと。気を付けてね……」

「すいません……」


 エールはアノールを伴って白湯配りに戻った。赤面してしどろもどろ。


「あ、あの、アノールはなな、なんで砦に来たの? めめ、めずら……しいね……!?」


 ——呼び戻してきてくれないかって神父さんに頼まれたんだよね。


「まあ……エールに会いにくるために来たってことに……なるかな?」

「おほおおおお!!?」

「き、今日もいい声出てるね……?」


 エールが奇声を上げるのは、アノールにとってはいつものことである。日常茶飯事だ。


 アノールとレオン、そしてエール。彼らはこの村に三人だけの若者である。みな歳は十五前後。小さい時から一緒に暮らしていて、それぞれ兄弟のような距離感でいる。


 アノールにとってのエールは妹のようなもので、家族のカテゴリ。なのでその奇声が、好きな人を目の前にしたテンパりから発せられているという事実には、全くこれっぽっちも気付いていない。


 ——うんうん。今日もエールの奇声は絶好調みたいだな。


 つまりただの奇声キャラだと認識されている。


「おはようエールちゃん……って、アノール君もいるじゃん! やあやあ」


 砦の兵士、ギラフが声をかけた。アノールも控え目に手を振る。


「ギラフさん。おはようございます」


 男勝りの長身に不健康な猫背。黒髪のボブカットに金色のインナーカラー。


 ギラフはエールに近寄ると、おもむろにその金髪を手に取ろうとした。しかしエールはバシッと力強くそれを払いのける。冷淡な声で。


「やめろ」


 ——何その声色!? 初めて聞いたんだけど!?


「ひえっ……」


 ギラフの引っ込めた手は、エールの睨みを受けてどうどうと落ち着かせる仕草に変わっていく。


「次、また触ろうとしたら……約束、でしたよね。もう二度と、ギラフさんの部屋には泊まってあげませんから」

「な、なんだと!?」


 ギラフはかなり真剣な絶望の表情を一度は見せたが、すぐに口を裂いた様な邪悪な笑顔で切り返した。


「じゃあいいよ? 代わりにアノールくんを泊めるから」


 ——え、僕?


「あぁ!? アノールを、ととと泊める!? ギラフさんの部屋に!!? そそそ、そんなインモラルな、ひや、ひっ、ひやああああ——」


「アノールくん、初めてはまだかな? お姉さんと一緒に卒業しちゃおうか」


 アノールの肩を抱くように手を回す。その手の大きさは彼の記憶の中の父親のものよりゆうに大きい。凄まじい安心感。あえなく目を逸らして赤面。


「そ、そんな……ダメですよ……」


 ——僕の清純ここまでだったの? でも、この手に抱かれるなら……。


「殺してやる……」


 殺気にギラフの肩がびくりと跳ねて、彼女の色気のある表情は一転、𠮟られた少年のように萎縮してしまった。エールからにじみ出る黒いオーラにおずおずと追い返される。


 アノールもギリギリのところで正気を取り戻した。


 ——あ、危なかった。完全に、口説かれる女の子の気分になってた。


「私、この残りを配ってくるので……分かってますよねギラフさん……?」


 エールの両目がひん剥かれている。ギラフは歪な笑みを浮かべながら、ひたすらに宥めていた。


「わ、分かった、分かったからさ」

「熱湯を浴びたくなきゃあ身の振り方を考えといてくださいね……?」


 エールはそそくさと去って行く。ギラフは胸をなでおろした。


「……仲良しですね?」


 うかがうように尋ねるアノールに、ギラフはごく自然な微笑みを返した。


 ——あ。大人な顔だ。


「アノールくん久しぶり。砦に来るだなんて本当に珍しいね。私が赴任してきた頃はよく来ていたのに」

「そりゃあ、戦場がすぐそこになっちゃいましたから」

「そうだねー……、もうずっと長い間、戦場はすぐ目の前だ。気が滅入りそうだよ。——うん、アノールくんはこの砦をどう思う?」


 ——ここで聞かれているのは……。


「破綻していますね。ベッドが足りていないくらいに」


 ——こういうこと……だろうか。


 廊下には、布一枚の上に横になった兵士が多くいた。ギラフは笑って見せたがその額には汗が浮かんでいる。


「そうなんだよね。物資がさ、足りないんだ。みんなヘトヘトでさ。エールちゃんっていう女神がいなきゃあ士気も持たなかったろうな。感謝しなきゃいけないよ」


 ——女神って。罰当たりな表現だけど。


 アノールもなんとなく深刻な面持ちを浮かべておいた。


「なる、ほど……」

「でもね、今日の聖戦の前には増援が着くことになってるんだ」

「へえ! なら状況も良くなるんですかね?」


「うん、きっとなる。——とはいえ彼らは、御神体を輸送してきたついでにここで戦っていくだけなんだけどね。君たちを選抜する、『神様』を守るために、彼らはやってくるんだ」


 ——選抜。


「選抜の儀式が行われるのは正午だったかな。アノールくんがクレアム神に選ばれて、能力を授かれるよう、祈っておくよ。一騎当千の能力者となって、この戦争を終わらせてくれ」


 言って、アノールの肩に手を置いた。


「あ、ありがとう……ございます」


 アノールは、ただ恥ずかしそうに、俯いた。


 ——期待。嬉しい……。


 アノールはエールと合流してから、ギラフの見送りを背に、村へ戻った。





 日も昇ってきた頃、アノールはギラフの言葉を思い出してふと、北の丘を登ってみた。


「ほあっ、と!」


 斜面の最後を一気に駆け上った。ぐっと伸びをして辺りを見渡す。緑の丘に風が吹く。


 村の北には、東西に渡って土手のような丘があり、それを越えると豊かな草原が広がる。アノールの位置からは手前の砦も見下ろせる。


 ——聖戦の戦場、か。


 戦争——「聖戦」は中央教会の取り決めによってこの草原で指定の時間から行われる。一度で相手の陣地まで奪えば、戦場は向こうの草原に移る。だが、戦場はしばらくこの草原から移っていなかった。半年間。半年の間、砦は紙一重の防衛戦を続けている。


 アノールは心地のいい風に背中を預け、砦の奮戦を妄想してみた。彼がそれを見たことは無いのだが。


 ボロボロで帰ってくる兵士たち。かいがいしく治療に回るエール。ギラフがおどけて見せる。陰鬱な砦に、束の間の笑いが小さく起こった……。


 ——ああ、哀しい気持ちになってきたな。切なさが染み入る……。


 感傷のまま、たそがれてみることにした。襟足に指を通しながら、風に呟く。


「……エールだけじゃあないさ。そう。ギラフさん、あなたのおかげ、だよ」

「ん? 今ギラフって言った?」

「なんだお前!!?」


 意識の外から突然話しかけられて驚くあまり、足を踏み外して斜面に転びそうになった。


「あっ」


 隣の少女が慌ててその手を取り引っ張る。斜めな体制のまま、少女は慌てて尋ねた。


「だ、大丈夫かい!?」

「あ、えっと、あの」


 マントの裾がたなびく。伸ばした黒髪がフードの中でモフッと丸くなっている。腰には細身の剣。僅かに見える剣の柄には装飾が多く、嗜好品のようだった。


「ごめん、驚かせちゃったね。ほらよっと!」


 アノールは体重の半分以上を少女の手に任せてしまっていたのだが、彼女は難なく引き上げた。


「えっ」


 ——力、つよ。


 少女の背はアノールより僅かに低く、歳は同じくらいに見えた。当然、腕も相応に細い。


 ——いや、力の使い方が上手いのか。


 緩いブラウスに薄いベージュのベスト。白ユリのようなスカートにショートブーツ。それらの上からフード付きのマントを羽織る。凛とした黒の瞳。


 ——めちゃくちゃいい服着てるなあ……。


「こんにちは。足を挫いたりはしていないかい?」

「あっ……! 大丈夫です! すいません支えてもらって、ありがとうございました」

「構わないよ。で、さっきカッコつけて、たそがれていた件についてだけど——」

「ちょっとちょっ、ちょちょっと待ってくださいちょっと」


 アノールが両手で制すのに、少女はきょとんと首をかしげる。


「なに?」


 アノールの息が上がっている。心因性。


「あ、あの!? カッコつけて……ないです! なかったです!!」

「なんでそんなウソをつくの? 構わないさ! カッコよかったとも!」


 少女は両腕を広げて悠然と胸を張る。胸自体は慎ましやかなのだが。アノールはおずおず尋ねる。


「あ、そ、そっすか?」


 少女は手を口元にやって、ニコリとひとつ——


「んなわけねえじゃん。だっさ。クスクス」


 人をバカにするときの笑み。女子のこれはダメージ二倍。ザクッと、50ダメージ。


 ——ガッ……ハ。


 胸に手を当てるが傷を塞ぐには穴が大きすぎる。あえなく体勢を崩してふらついた。


「し……死ねる……。はは、僕なんてやっぱり、生きてる価値無いんだー……」

「生きてる価値? 知りたい?」


 少女はおっと聞きつけると、アノールの身体を両指でツツツツンと突いて顔を上げさせた。


「なんだよ。僕はもう出血過多で死ぬところなんだよ」


 少女はバッと右手のピースをかざして自分の右目を強調させた。手の甲の方を見せるポーズ。


「キミに生きている価値があるかどうか! この眼で視てしんぜよう!」

「——!?」


 アノールはそのとき、少女の眼球の異常に気付いた。右の黒目が分かれ、回り、万華鏡のように複雑にその形を変えている。そうと見えた次の瞬間には、普通の丸い黒目に戻っていた。


 しょうもない演技などは忘れ、焦りのまま数歩下がる。


「お前——の、能力者なのか!?」

「ん、そうだけど。言ってなかったっけ。私は選抜で神様に選ばれた——能力者」


 御神体を前にして受ける「選抜」。彼女はそこで能力を授かった能力者。彼女は人を計る眼を持っていた。


「そして君に生きている価値があるのかですが——そうですね、これは……まあ、うーん」


 少女は難しそうに宙を見た。アノールの喉が鳴る。ゴクリ。


「九割がた、無い……かな……」

「なん……だって……」


 愕然とするアノールを傍目に、少女はふと何かに気付くと腰の時計を確認した。


「ごめん、私そろそろ行かなきゃ。一応、名前を聞いといてあげるよ。仕事だからね」


 ——仕事?


「ほら早く」

「あ、ごめん。えっと、アノール・イリス・アークです」


 少女の目がパチクリとまばたく。


「——えっ?」

 

 彼女は呆然として、静かな驚愕に身をやつしていた。それは、今のアノールには想像もつかない、ひたひたでドロドロの——感動。


 彼女はアノールの名前を聞いて、彼がアノールだと知って、感動したのだ。


「あの、なにか?」


 少女はフードを外して黒髪をたなびかせた。スンと真面目な顔で名乗る。


「私はヨルノ。傭兵団〝魔女のよすが〟のヨルノ・ホーク」


 そうかと思えば、ふふっと笑ってマントを翻した。ストレートの黒髪がばさりと揺れる。


「アノール、君の運命のヒロインさ。選抜、楽しみにしているよ」


 要領を得ないアノールに、バチンとウインクを飛ばして、彼女は去って行った。





 後の世の学生が歴史書をめくれば、この日を皮切りに世界情勢が激変していくのに驚くことだろう。戦争は終わり、内乱が起こり、そして、新たな戦争が起こる。


 歴史に名を刻む、「アッカラ村の襲撃」が起こるまで、あと五時間。


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