黒龍と熊猫 4
「う…ぇ……?」
ゴーグルの映し出す映像が目まぐるしく回転して――シォンは、思わず目を閉じる。
「なに……?」
ヘッドフォン越しのざわめきが遠退くのを待って目蓋を開ける。モニターの端に重ねたナビゲーターによれば、セヤは件の坂道へと駆けこんだところのようだ。
「飛び道具?」
「あの感じは――たぶん、ワイヤーかなんか……」
諜報向けサイバネティックソルジャーの定番だろうか? どちらかと言うと、レトロな趣味だと思うが――素材によっては、武器の類を敬遠する店舗のセンサーからは漏れやすい。破壊力から考えるに、追跡者の所有しているそれは電気か熱か何かしらの仕掛けが付加されているのだろうが――極シンプルに強化されたテグスを指先などに仕込んでいる諜報員は、今も少なくないと聞く。
「三人は探偵崩れだろうけど――彼女は、訓練のにおいがする」
先ほどの路地裏で拾ったサーモデータに解析を走らせれば――ひとり、最もセヤに接近していた男が銃を隠し持っていたと推測され、またバーから出てきた女の手元に、不自然な熱の濃淡が見受けられる。今しがたの破壊行動は、間違いなく彼女だろう。
「着いてこれなくできれば、それでいいね?」
しかしながら幸いと言うべきか、ダクトの破裂で路地の出口がしばし混乱してくれたらしい――追手との間に若干の余裕が生まれた隙に…と、差し掛かった階段の手すりと壁際のなにがしかのパイプにその辺に転がっていたロープを渡して古典的な罠を仕掛けるセヤの手際は、悪くはない。
「お願い。本当に、命を賭けるような秘密なんかないんだ……」
表立ってなにもされないならば…と、あれやこれや監視する目に素知らぬふりをしているのは――およそ探る側にもそれほどの熱意はないものと感じるからだ。セヤが、『探偵崩れ』と評したように、結局、『城』を探りに派遣される密偵の多くは、言っては悪いが三流だ。秘密を求める連中も――本当に世界を覆すような宝が隠されていると信じる自信はないのだろう。真実、なにも存在しないと明るみに出た場合、権力者あるいは大富豪のロマンあふれる道楽としてパーティーの笑い話にできるだけの言い訳を手放せないでいるのだ。
その程度の覚悟で絡まれるのもたまったものではないが――かといって、こういう事態に、行動力と破壊力を持ち合わせた面倒なキャラを投入されるのは、もっと迷惑な話だ。
「ところで、状況的に――俺、殺される心配だけはない感じ……?」
「かもね――」
今のところ、停電については――問題の地点への外部からの侵入の痕跡は認められていないが、もしか、道案内をさせる目的でなく、セヤがそこに向かうことを阻止しようというのであれば、人為的な工作を疑わなければならなくなるだろう。とはいえ、それは限りなく仮定の話であって――シォンとしては、セキュリティとセンサーの作動において心配してはいないが。
「でも、彼女がどのくらい君に優しくしてくれるかは……僕にはなんとも」
狭い路地でワイヤーを振り回す程度には、大胆かつ――大雑把なのか自信家なのか。
「それと、やっぱり探偵さんの方もひとり頑張ってるみたい」
わー、偉いねぇ……耳に返る称賛の声は棒読みだった。
「銃を持ってた方の探偵さんじゃないみたいだから、安心して」
了解……短い返信のあるや否や、突然の警告音と共に沈む視界――カンッ!…余韻を残す金属音は、放置され気味で剝き出しになった柱に勢いよくぶつかったものがあったらしい。同時に、背後であがったと思しき男の悲鳴は、反動で飛んできたものの煽りでも喰ったか。
目的の吹き抜けに転がり込みながら振り向く視界に、暗視とサーモグラフのフィルターが差し込まれる――インカム側のカメラの設定をセヤが変更したのだろう。市販の物より多少なり手を加えたシォンのオリジナル仕様ではあるが、器用だという触れ込みの通り、機器操作の勘もいいとみえる。表情のわかるほどの距離ではないが――女らしきシルエットの手元に、巻きとられていく細い光が見えた。
「間取、もらえる?」
かつて、飲食店や電子機器の小店舗が積み木のように軒を連ねていた吹き抜けは、三層を貫いていたが、放棄に至る発端となった事故の際に三階の天井に相当する部分を失っていた。天井はもちろんその上の階層の床とも接点があり、つまりは個人商店二件ほどの床が抜けたのでもあったが――健在なまま残った骨組みを一部利用して、今は中央で交差する三本の空中通路が設置され、貼られた転落防止用の金網の隙間からこぼれる光のおかげで、天井材の残骸と利用者たちが出ていく際に破棄していった什器の類の散らばる吹き抜けも、まるで真っ暗なわけではない。
視界を共有するに、環境を確認していると思われる――君だって、充分場慣れしてるよね……ひとまず感想は呑み込んで、階段やかつてのライト位置を含む周辺のデータを送信してやる。なお、一層目から二層目には吹き抜けから繋がる階段もあったが、踊り場より下は件の事故の際にか老朽化でかごっそりと落ちてしまっていた。
瓦礫とおそらくリサイクルできそうなものは誰か彼かが持ち去るのだろう壊れて傾いた商品棚や屋台の骨組み――手近にあった歪んだパイプ椅子の乗ったカーゴと荷台失くした三輪車をとりあえず出て来たばかりの通路へと斜めに押しやって、ガチャガチャと押し合い圧し合いする物音と男女のこぼす悪態とで彼らとの距離を測りながら、使えそうなものを物色しているらしいセヤは、足とともに忙しなく視線を走らせる。
いくつかの店舗跡には、開店前にワゴンに被せやられていたビニールネットやシャッター代わりの金属製のカーテンが残されていた。
「俺は、この後――どの方向に向かえばいい?」
毛羽立ったナイロンロープを割れたコンクリートブロックの隙間から引き出しながら、問う声の奥から聞こえた破裂音は、しびれを切らした例の女が障害物をワイヤーで焼き切り始めたらしい。
「そこの二区画奥に上の階層にあがる階段があるから――そこへ」
視界の隅に表示されるマップに印を置くや否や、視界が揺れるのは――セヤが動き出したせい。ふたりのゴーグルに映像を送っているカメラは基本的にセヤの眼球の動きを読み取っているため、歩く走るなどの挙動によるブレは人間の目の機能同様に補正してくれる。しかしながら、先ほどの爆発から逃れた時のようにあまりに早く激しく動かれてしまうと――シォンの眼の方が追い付けない。
セヤ自身は、直接目で追ってはいないようだが、時おり足を止め身を潜めながら走り回る背後や頭上から聞こえる打撃音や破裂音、墜落音は、吹き抜けへの侵入を果たした件の女がセヤを捉えるべくワイヤーを駆使しているとみえる。時々、男の悲鳴が挟まるのは――できれば、彼にはもう諦めて帰って欲しいと、切に思うところ。
「彼、彼女の背中に貼り付く作戦にしたみたいだね」
セヤの声にも苦い
そうするうちにも、飛びずさり床を転がり……視野の端をシォンが思わず首を竦めるほどのタイミングで、闇の中にペンライトを走らせるような光のリボンが閃く回数が増えていく。
もう随分と動き回っている――そろそろ、疲れも溜まっていようか……。
さすがに心配にもなってきた頃。
ばしっ!
「ひゃ……っ!」
ごく近くを薙いだ衝撃音と激しく揺れた視界に、覚えず声をあげていた。
「セヤ?」
無事を問いかけるも――送られてくる映像の乱れと、吹き抜けに反響する金属を含む複数のなにかが倒れ折り重なる轟音とで、自分の声さえ聞きとりづらい。
カシャーン――。
やがて、もの悲しそうなこだまを引いて――かなりを遡る静寂が戻る。
いや――そうでもないか。カシャ、カシャ…少し遠いが、小動物がもぞもぞと身をよじるような微かな金属音が聞こえなくもない。
「シォン? スピーカー、大丈夫だった?」
薄暗い視界は、セヤがゴーグルを外したために、連動するいくつかの機能が解除されたからだろう。
「なにが、あった?」
ふるる…シォンも一度、ゴーグルを外すと頭を一振りする。正直、揺さぶられた視界のおかげで、いささか気持ち悪い
セヤがモードを変えてくれたカメラ映像を壁のモニターに繋げば、吹き抜けの広場にこんもりとした瓦礫と粗大ごみのドームができあがっていた。さらに、ネットや金属カーテンが重ねて被せられているようで、時おり震えるそれらが、カシャリ…と軽い音を立てている。中で、誰かが――十中八九、彼女らであるのだが、蠢いているのらしい。
「そのうち、自力で脱出できると思うけど――これで、しばらくは身動き取れないだろう」
「お見事……」
なんとかしたよ……得意げな声色には、素直に感嘆した。
「で――先を急ぐんだったね?」
そして、再びカメラの届ける映像の視野が広がる――セヤが、ゴーグルを装着しなおしたらしい。
「ひとまず、上の階層へ向かって――」
了解……短く返して――それから……と、気づかわしげな声が付け加えた。
「しばらく音声ナビだけでいい。カメラ酔いしたんだろ?」
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