黒龍と熊猫 2
セヤの持つ、新調して間もない小型モバイル端末が、まだ数少ない登録者の名前を表示したのは、九件目にして本日受け持ちの届け物の完了をアルバイト先に報告し、親しくしてくれるようになったオペレーターから教えられた停電の噂について調べようとしていた矢先だった。
「カズマさんだ――」
おー……軽く感激にも似た感想に、思わず感動詞がもれる。
この建造物に流れ着き、ひとまず体力を売りに配送員のバイトについて建物内を縦へ横へひたすら走り回っていたセヤは、配送先の薬屋で――店の『番犬』だと自称する男に目を付けられた。特に隠してもいないが吹聴してもいなかった特技を言い当てられ、手の欲しい時には頼まれてくれ…と、連絡先を教えられたのだ。要は、技量に見合うだけの報酬をくれる仕事を回してもらえるということで――見込まれたと言えなくもないだろうが、実際に仕事の斡旋があるとは思っていなかった。
開封すれば、ちょうど調べようとしていた停電の復旧作業に協力を求めたいとのメッセージ――確かに、住居として紹介された部屋の壊れていた電気系統を自分で修理した旨、ひと言ふた言しゃべったかもしれないが……さても、よく憶えているものだと感心した。まぁ、だからこそ、本業の脇で他人の仕事の面倒を見てやれるのだろうが。
正直、興味はあった――ここしばらく続けたバイトのおかげで、建造物内のおよそ誰にでも許された場所の道は把握した。同時に、さすがに何らかの権限がなければ立ち入れない区画があちらこちらと存在することも知った。その多くは単に、世間一般でもあり得る生活基盤を支える専門職でしか扱えない部分であったり、物理的に不安定で危険なヵ所であったりはするわけだが……時おり、秘密の匂いをかぐこともなくはなく。
ともかくも生活していくためには、稼げるに越したことはない――仕事内容は、不具合箇所の物理的な探索と修理、かつ建物の性質上、多少危険が伴うことは予想されるとの旨に了承の返信を送れば、まもなく依頼主に詳しい指示を仰げとのメッセージと共に簡略化されたフロアマップが届く。経路を思い浮かべ所要時間を試算して再度、確認メッセージを送信すると――ふむ…天然の陽光に焼けた精悍な頬に薄い笑みを浮かべて、踵を返した。
けれども、想定していたエレベーターの存在する区画は――ごっそりと闇に沈んでいて。
「あ。だから、停電か――!」
しかも、道の伸びる先は再び、けばけばしいネオンサインと白熱灯のないまぜになった輝きに満ちているようで――改めて、勝手気ままに増築されたと聞かされていた『城』の奔放さを思い知る。
急ぎ、スロープだか階段だかのある場所を思い出そうとして、そこらの店舗同士の隙間に非常通路めいた梯子があったと思い出した。所要時間を訂正するべきなのだろうが、現状、一馬を介するしか連絡の取りようがなく――少々、手間に感じるうえに、全力で近道をすればどうにかなりそうにも思われるなら、時間も惜しい。
駆けだす一歩は、決断よりも早かった。
今はひどく静かな巨大な薄暗い水槽ばかりを背に、来訪者を出迎える。
水槽は高くはない天井を突き抜け、上の階でぼんやりと電子機器由来と思しき明かりに照らされた半透明の物体が揺れている――つまりは、シォンは狭いながら二階分を生活のために占有していた。とはいえ、彼自身はもっぱら上階の……モニターやパネルと書籍で埋められた半分の側で事足りてはいるので、階下は申し訳程度に廃業したバーから引き取られたと思しき円形のテーブルと数脚のスツールが用意されているばかりの伽藍堂のまま、こんな時でもなければ放置されている。
またいとこの同居人から紹介された男は、対面するに――記憶すべき特徴にたいそう乏しい男だった。背は成人男子として高くもなく低くもなく、身体を動かす職業に従事していただろうことの伺える程度に実用で培われた筋肉を持ち合わせてはいるようだが――目を引くほど太くも細くもない。目鼻立ちは、二十代前半の若者らしい明るさと精悍さを持ち合わせ、ほどほどに整っているとは思うが、擦れ違う異性同性が振り向くほどの美形でもない。それだけにもちろん、見た目から忌避感を持たれてしまうこともないだろう。日に焼けた肌と調髪後しばらく経ったと思われる緩く癖のある亜麻色の髪が、頑張れは記憶に残るかもしれないが――前者は、『城』の外が生活圏であると気付く者には気付かせる程度のことであろうし、後者もそれほど珍しい色でもない。俳優になれば、同時期に公開される映画全てにエキストラ出演していても気付かれずに終わり、逆に重宝されるかもしれない。
なるほど、一馬が目を付けるわけだ――。
配達業者でアルバイトをしていると聞いているが、そつのない愛想もあるようなので、クレームをもらったこともないだろう。
男は、セヤと――二音きりの短い名を名乗った。この建築物に住み着いてひと月程の新参者であると、自ら謙虚な前置きをして。
「ところで、仕事はあるに越したことはないですけど――これ、そんな一ユーザーが面倒みていいことなんですか?」
それから、物慣れないものなら当然だろう質問をする。
果たして、どこまで『聞いていない』のだろう?……一馬の鑑識眼と自身の観察力に充分な信用を置いているが――この印象に残りにくい男は、それだけに表情の変化が巧みに作られたものであるのか素直な感情の表出であるのか……確信を持ちづらい程度に読みづらいと、シォンは内心で眉に唾する。
「ここの基礎部分の施設には当然、責任者がいたと思わないのか? 僕は、その家系に連なるものだ」
今では枝葉の先々でそれぞれのコミュニティを形成しつつ管理分配する個人事業者が発生しているが、そもそもの電力と水に関する根幹については古くからある、もともとの施設のそれらに補強保全を繰り返した設備によって保たれている。それは細々とであるが確実に、かつての責任者の一族を通じて管理されていた。
「えと……じゃぁ、その大事なことをどこの馬の骨とも知れない輩に依頼していいもの?」
しばし視線と言葉の彷徨う、戸惑いは――この場合は、本心であるだろうか? 畏まっていた口調が崩れる。
「この『城』の誰の身元が確かなものか。そういう意味では、誰に頼んでも一緒だし――自宅の修理に無関心な者はいないだろう?」
仕事をしてくれるつもりがあるなら問答の暇は惜しい――テーブルの天板をモニターに、一馬を経由して伝えられてはいよう依頼内容と報酬の確認を求めると、振込先を指定させ目の前で支払いを完了してみせる。全額前金は、ここの流儀だ――ただし、すぐに処理されることはない。振り込まれる側が、振り込み側からパスワードを受け取り再度、引き取りの手続する必要がある。指定された期間に手続きが完了しなければ、全額が振り込み側に払い戻される。また、もし嘘のパスワードが授受されるなどのトラブルの申し立てがあれば即、双方の口座が凍結される。払い渋りと持ち逃げを回避するために、よく利用されるシステムだった。
「地図と手順書は記録されている。もちろん、僕がモニターして指示を出すけど――停電の影響で、電波の途絶える場合も想定されるから、その時は、自分の良心に従って何とかして」
それから、必要を終えたテーブルモニターに――情報ネットワークと繋がってはいるが予備のデータを落とし込んでおいたチップを内蔵したインカムと、工具他一式をコンパクトにまとめたレッグバッグ。
失礼して……と用意された装備を確かめるセヤの手元を眺めやりながら、ふむ…シォンのこぼすのは苦笑に限りなく近い笑み。
「僕のまたいとこの贔屓にしている作家が、この『城』にいるんだけど――」
唐突な世間話に、顔をあげた彼と視線がぶつかる。
「このままじゃ、大幅に入稿が遅れて――またいとこと世界中の読者に恨まれてしまう」
怖いよね……肩を竦めながら小首を傾げば――ちらり…しばし何かを探すに似て視線を彷徨わせた後、セヤもまた真似して肩をすくめて返した。
「了解。恨まれないよう、善処します――」
「期待するよ」
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