黒龍と熊猫

若月 はるか

黒龍と熊猫

黒龍と熊猫 1


 けばけばしいネオンに照らし出される建物は、迷宮のように入り組んでいた。記録には残っているが、記憶しているものの誰もいなくなるほどの時間をかけ、繰り返された増改築の結果出来上がった――それは、もはやひとつの『街』だった。建物の中には車道こそないが、電気水道の利用できる住居はもちろん、日用品食料品の店舗、飲食店、家電を売る店に修理を請け負う業者、貴金属店、スポーツジム、ペットショップ、医者に薬屋、風俗店……せいぜい学校らしい学校はないが、誰でもが自由に利用できる国際的なライブラリーにアクセスできるポイントはいくつか確保されており、活動範囲の狭い者であればその建物内だけで生活していくことも難しくはなさそうだ。

 ただ――例えば、大型ショッピングセンターや地下街のように、デザインされ計算された施設ではない。個々の縄張りを細い通路や階段が繋ぎ、路地裏然とした光景がどこまでも続く――実際の路地であればせめて幾ばくかの空くらいは見えようもの、ともかく継ぎはぎだらけであればことごとく蓋をされた天井は低い。それらの閉塞感と圧迫感は、決して快適な空間としての及第点をとても得られるものではないだろう。


 ヴン……。

 彼の日常は、耳鳴りのような低い低い――どこかここかで稼働しているモーターの振動とその共鳴とで満ちていた。いや、おそらくは彼に限らず、今の時代――家主が眠っている時間だとて停止しているシステムはなく、いずれのシステムにもよらず生活している者もいない。よって、静寂を知ることのできるのは富裕層か……でなければ、よほどの偏執に限られよう。

 とはいえ、意識しないほどに身体が慣れてしまった音が消えて――違和感を覚えないものでもない。

 ふつ……っ。

 ぽこぽこと不規則ながら心地よい調べを奏でていた、背後の水槽の循環器が沈黙した。

「――?」

 異変を感じた彼が、表面仕上げはのっぺりとしていながら武骨にでかい金属製のゴーグルを外し、肉眼の視野を取り戻した時には、そう広くはない部屋の光源が半減していた。

 とうに子供の表情ではないが、顔立ちはどちらかと言えば幼い――それだけに神経質そうな眉を顰め、眼前のいくつかのパネルと室内の消灯した発光器具の種別を確認する。小柄な肩を背中まで伸びた、そこばかりは特筆すべき特徴だろう色素のない白い髪が滑り降りた。さらに左右それぞれ一房、若干くすんではいるが黒い髪が後を追う。

 部屋半分の壁を埋め尽くす大小のモニターとキーボードやスイッチをはじめとする入力端末――もう半分は、今は備え付けられたライトも消えてしまった大ぶりの水槽を半透明のクラゲが数匹漂っている。

 通電しているものとしていないものが混在しているのは、それこそこんな時の為に必要な電力の取り込み経路を分散させているからだ。さらには、一部は電力供給の絶たれた際に、自動で回路を繋ぎ変える仕様にもしてある。とはいえ、非常事態の一時しのぎの措置であるため――早急な回復が望まれるに変わりはないのだが。

 煩げに髪を掻き上げて、手にしたゴーグルのいくつかのコードを引き抜き、別のコードを何本か繋ぎ直す。時々、腕を振り払うようにたくし上げる長袍の袖や、それこそ身幅が、装束の特性を加味してもなお随分余って思われるのは、単にサイズが合っていないのらしい。コード類のみならず今どき珍しい記録ディスクや書籍現物といった嵩張るものも多いながら整然とまとめられた室内が、それがそのまま彼の人となりであろうと思わせるだけ彼の几帳面な作りの整った顔とよく釣り合っているだけに――そのルーズさは、不似合いにも思われた。

 とは言え、その繊細そうな外見にもかかわらず――彼は、名をシォンというのであるから、服装の趣味の一点をもってして不思議がることもないのかもしれない。

「あー……」

 モニターを見上げた口元から、不満と怠惰をないまぜにした不平じみた溜め息がもれる。

 マットブラックのメッセージボードじみた画面には、もはや地図と読んで差し支えないだろう巨大な建造物を模式的に表した断面図が表示されていた。いくつかのエリアの赤い光が点滅し、さらにいくつかは不自然に消灯している。

「根元でなんかあった……?」

 電力の供給の途絶えている個所を目で追いながら、手元のキーボードで探索プログラムへ指示を飛ばす。電力については、いくつかの調整ポイントが存在するが――停止してしまった箇所を逆にたどってみるに、どうやら建物の地下にある三つの発電装置のうちのひとつのごく近くに何らかの不具合が生じているらしい。

 そこまでわかれば、考えているばかりでどうにかなるものではない――シォンは、設定を終えたゴーグルを脇に追いやると、別のモニターに向き直った。



「ちょうど、おれもお前に連絡しようとしてたんだ」

 通話用モニターに映し出された美貌がふわりとほほ笑む――色白で秀麗なかんばせは、優美かつ怜悧な造形で、シォンよりさらに長い癖のない黒髪の揺れるしなやかな肢体とあいまって、声や仕草がともなわなければとっさ性別の特定に悩む者も少なくなかろう。さらに、常にふわふわとろとろと夢を見ているような視線で甘い笑みを湛えている男であれば――またいとことして、幼い時分におりおり世話を焼かれた身でもなければ、見誤り騙される者は多いようである……いろいろと。

「二軒隣の作家先生が、悲鳴を上げていたよ――締め切りが近いんだって、早めにどうにかできそう?」

 案の定、説明よりも先――既に、連絡を取った理由は把握しているらしい。自らの住居および店舗には異常のないことと、近隣の状況を世間話めかした口調で報告してくれる。ぼんやりと遠い世界に心を揺蕩わせているようでいながら、その内側の思考の回転は迅速かつ的確な彼の家業は、昨今ではずいぶんとめずらしくなった生薬をあつかう薬屋であり、この建築物の最上層かつ最奥を棲み家としていた。

「その件で、鹿哥ルゥーグァ――カズマ、いる?」

 年上のまたいとこ故、慣習的に『あに』と呼ばわる――十鹿シールゥーという名の彼はまた、いつの頃からか元はどこかの国で傭兵をやっていたという触れ込みの一馬かずまという男に軒を貸していた。幾度か顔を合わせたところでは、口数の少ない男ではあるが人脈と人望はあるらしく――本人が用心棒のような仕事をする傍ら、同じような能力を持て余している者たちへの仲介を請け負ってもいる。この建造物の深層部を棲み家とするわりには、外界に自ら出向くことの多い稀有な人物だった。

「昨日帰ってきたばかりだから、彼は貸さないけど――それでよければ」

 ひらひら…睫毛の整った目元を細めた十鹿が脇へと手招きするのは、件の彼が同じ室内にいるのだろう――ほどなく、ミラーグラスで目元を覆ったラフなティーシャツ越しにも逞しいながら鋭利に整った筋肉の持ち主とわかる短髪の美丈夫が十鹿の背を抱えるように現れる。

「必要条件は?」

 挨拶もそこそこ、端的に問われるのは――不愛想なのではなく、むしろシォンを馴染みだと認識しているからだ。無駄口を好むようではないし厳格なところもあるものの、決して堅苦しい男ではない。

「もぐりでいいから、配電工事と配線工事の技術が欲しい。あと、食っていける程度の銃以外での狙撃の腕があれば――年齢性別は問わない」

 配電、配線……モニターの向こうのふたりのもらしたつぶやきが、ささやかながら綺麗にハモった。

「そうだね、停電の対応だったね――」

「資格は持っていないかもしれないが、ちょうど良さそうな男がいる。最近、『城』に流れ着いたばかりだが――地図の読み方に長けているようだから使えるだろう。直接、そっちへ向かわせればいいか?」

 それで頼みたい……礼を告げ、報酬と手間賃の打ち合わせをする間に、所在の確認が取れたらしい――十五分後に、シォンのもとへ到着すると確認して通話を終える。

 通話中に一馬がさらりと『城』と呼んだ――事実、『街』とも言い難いものもあるので居ついている誰か彼かから『城』とも称されてもいる建築物の出来るだけ詳細な立体図をチップに落とし込みながら――昇降機も何台かは動かなくなってしまっているだろうに、十五分で間に合うのか?……ほんの一瞬、疑問符が浮かばなくもなかったが、そう言われたならそうなのだろう……断りのないことに気を遣うものではないと了解した。

事実、きっちり十五分後に、来訪者を告げるチャイムが鳴ったことでもあるし。


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