第9話 魔術治療士

「パガン様は相も変わらぬご様子でございますね。」

後ろからの聞き慣れぬ声に振り向くと、柔和な顔の男が立っていた。その身なりは18世紀ロンドンの紳士を思わせ、縁のないメガネに、緑の髪がシルクハットの下から覗いている。手持ちの杖にはこれまた緑の宝石が埋め込まれているのが見えた。

「おやおや、この声は…トルヴァーンだね…」

頭を地にめり込ませたままパガンはそう言った。

「お久しぶりでございます。先月はこちらの杖の件、ありがとうございました。」

緑の紳士…トルヴァーンはうやうやしく礼をした後、杖の先端をパガンに向けた。すると緑の宝石が光り、苦しそうな素振りをしていた彼は急にスッと起き上がった。

「なぁに、ちょっとレリックを取り付けて、魔力回路を調整しただけさ。」

よくわからない用語を羅列するパガンの体には傷一つ見当たらない。先程の紳士の行動を見るに、魔術による治療…彼が魔術治療士であるということだろう。

「おや、そちらの方は見ない顔ですが、パガン様のお付きの方でしょうか。」

紳士はこちらに視線を向ける。俺は半ば反射的に軽い会釈をした。

「彼はね、遠い異国からおいでなさった私の同胞なのさ。」

「ロクデナシ2号ッてこッた。」

パガンの説明にネルラが口を挟む。少し俺はムッとしたが、反論するのは彼女の性格的に不適切、化学者であることを否定すると自分の立場も危うい、なのでやめた。

「そ、そうなんですよっ。パガン氏の学術書は大変参考になる点が多くて、大変ありがたい限りです。」

「おや、あんな思いつきに次ぐ思いつき、ほとんど殴り書きのアレを見て『学術的に参考になる』とは…奇特な方もいるのですね。」

しまった。と俺は思ったがこれ以上墓穴を掘るわけにはいかないので黙って頷く。ネルラから向けられる視線がより険しくなった気がしたし、パガンは心なしか「あちゃー。」という顔をしている気がする。

「おや、挨拶が遅れましたね。せっかくの来客であるというのに、非礼をお詫び申し上げます。」

俺の焦りを一切気にもせず、紳士は帽子をとり、深々とお辞儀をする。

「私はトルヴァーン・スレイダー。国家より魔術治療士の命を授かっております。以後お見知り置きを。」

俺も負けじとお辞儀を返し名のりをあげる。

「私はアキラ…です。魔術科学者を…やらせて頂いています。よろしくお願いします、トルヴァーンさん。」

彼ほどなめらかに言葉は出なかったが、それでも上手く挨拶できたと思う。

「パガン様とは違って随分マナーがなっていますね。」

パガンの口元がキュッと斜めに閉じられる。

トルヴァーンの発言が癇に障ったのだろう。

「ネルラ様、横のお席に失礼いたしますね。」

と、トルヴァーンは席についた。座る際に香草の良い香りがした。

パガンもムッとしたまま俺の隣に座る。トルヴァーンの態度を見たあとだと、かなり子供っぽく思えた。

「キミ、トルヴァーンをあまり信頼しすぎてはいけないよ。彼意外と性格悪いから。」

いやお前もそんなことコソコソ言ってる時点で陰湿だろ、と思っても口には出さなかった。

パガンに心を読まれたのか分からないが、彼はそのまま視線を俺から外した。






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