L:Cycle

針音水 るい

L:Cycle

 二人の少年がいたのは、荒れ果てたゴミだらけの荒野の上だった。

 空は夕焼けの茜色に染まっていて、風も少しずつ夜に向けて強くなっている。

 どうやらこの少年たちはずいぶんと長い時間ここにいたらしい。

 色白い頬がほんのり赤く染まっていて、吐く息もキラキラ光っているのが見える。

「しっかり防寒対策してけよ」と上司から渡された分厚い純白のダウンにマフラー、手袋までしてかなり着こんでいるのに、彼らにとって今日の天気はそれでも寒く酷なようだ。


 一人の少年がふと目線を遥か遠くの地平線に向け、それから後ろを振り返り、自分達がいましがた長い時間をかけてゆっくりと進んできた場所を見た。

 スタート地点からどれくらい歩いたのだろう。

 疲れているわりには大した距離を歩いていない気もする。ただ、一つ確かに言えることは綺麗に掃除してきた後ろとは違い、前にはまだまだ大量にゴミが残っているということだ。

 静かにため息をつき、少年は前方を歩く先輩少年の方を見る。自分よりも少し背の低いその人は、歩き始めた時と全く同じペースで歩き続けている。時折強い風が肩まで伸びた彼の白髪を激しく揺らすが、それをものともせずに慣れた足取りで道を進んでいく。


 ついこの前仕事に入ったばかりの自分とは大違いだ。


「君もすぐに慣れるよ」と、ミスをするたびに彼は優しく笑いかけながら言ってくれる。「その黒い髪だって、これからみんな徐々に白くなっていくんだから。焦らなくても大丈夫だよ」と。

 少年は自分の対照的な真っ黒い髪を触る。

 先輩が言うには白髪は徳を積み続けた証であり、次の高位なる次元に上がるための必要条件であるらしい。

「僕も素晴らしい行いを続けて、いつかはあのお方のような黄金の髪を纏うのが目標なんだ!」と以前先輩が目をキラキラさせながら語っていたのを少年は思い出した。

 全体集会の時に他の人の隙間からほんの少しだけ見えた「あのお方」の姿。オーラとでも言うのだろうか。輪郭がぼやけるほど神々しく、一目見ただけで自分とは違う存在だということを突きつけられた。自分よりも上にいる方だから、演説で何を話しているのか僕には分からなくてもしょうがないんだと少年は納得できた。


 自分がそこまで到達するにはどれくらいかかるのだろうか。

 僕なんかが、あのお方のようになれるのだろうか。

 いや、そもそも僕は先輩や同期みたいに、本当にあのお方のようになりたいと思っているのだろうか……。


 そんなことをぼーっと考えながら少年は歩いていると、「ガッ」という音がしてつま先が何か硬いものに当たった。

 少年の視点が一気に地面と近くなる。

「うわぁ!」

 ドサッという音と共に少年は痛みを感じた。

 どうやら派手に転んでしまったらしい。

「大変!大丈夫?」

 先輩が地面に倒れた少年の元に駆け寄る。

「起き上がれる?怪我してない?」

 少年はゆっくりと体を起こし、荒野の土で汚れてしまった白いダウンにショックを受けながら一番痛みを感じる膝をみる。

 ろくに受け身を取れなかったから身体中が痛く、膝はかなり擦りむいていて傷口から血が滲んでいた。

「可哀想に、痛いよね……。僕があのお方みたいな力があればこんな傷一瞬で治してあげられたのに」

 ごめんね、と謝る先輩に少年は首をブンブン横に振る。

 そもそも不注意で転んだのは自分だ。先輩が気にすることではない。

 渡された絆創膏を貼りながら、少年は自分は一体何に躓いたのだろうと足元を見る。どうも地面から何か出ていたらしい。

 半分土に埋まったそれを引きずりだしてみる。

「これは……?」

 どうやら四角い板のようだが、何か真ん中に書いてある。初めて見るものだ。

「それは表札だね。家の入口に貼っておいて、ここは誰々さんの家ですよって分かるようにしてたんだよ。ここら辺はそれがいっぱい落ちてる」

 昔は住宅街だったのかもねー、と先輩は少年の手からそれを取り、そっと被っている土を払う。木目調に見えるが素材はどうやらプラスチックのようだった。

 真ん中には「雨宮」と黒で書かれていて、その横には二羽で寄り添うフクロウが彫られている。

 つがいだろうか。

「ちゃんと周りを見て歩いた方がいいよ。予期せぬところに予期せぬものが落ちてたりするからねー」

 先輩の言う通り、地面の所々にいろいろな形のものが埋まっているのが分かる。

 扇風機の羽やドアの取っ手、割れたマグカップにまるでおもちゃのような可愛いサイズの子供用靴。

 どれも仕事を始める時にもらったマニュアルで見たものばかりだ。

 古い手紙の切れ端も見つけた。

 破けて擦れてほぼ読めなかったが、唯一日付だけは読み取れた。


“2146年12月31日“


 かつてここにいた人々はどんな生活を送っていたのかなと、少年は今は跡形もない人間界のかつての姿に想像を膨らませながら、袋の中に次から次へとその断片を詰め込んでいく。


 ****


「ちょっと疲れたね」

 しばらく歩いたところで、先輩少年はグーンと背伸びをして辺りを見回す。

 鮮やかに空をオレンジ色に染めていた太陽はいつの間にか役目を終えていて、暗くなった空には星がいくつも光り輝いていた。

 今日は新月なのだろうか。

 雲一つないのに、残念ながら今日の月は顔を覗かせてくれないようだ。

「あそこに丘が見えるから、麓でちょっと休もうか」

 先輩は少し先にある盛り上がっている地形を指差す。近くまで来てみるとそこは緑が生い茂るなだらかな丘……ではなく、でこぼこした人工的な鉄屑山だった。

 いろいろな物が重なり合ってかなりの高さまで積み上がっている。

「ここに今まで拾ってきたゴミを捨てるんだよ」

 先輩はポケットから袋を取り出し、逆さまにして中に入っているゴミを全て山に加える。

 明らかに袋の許容量以上のゴミが出てくるし、中には袋に入らないはずの大きなゴミまであるが、少年は驚かない。

 これも上からの支給品の一つなのだ。

 数あるゴミと共に先程少年をつまずかせた表札も混じって落ちていくのが見える。

 他のゴミより多少思い入れのあるそれは、隙間に綺麗に埋もれてすぐに見えなくなってしまった。

「ふぅー。結構集めたねー」

 空になった袋を振り回しながら先輩が笑う。

「とりあえず今日の分はこれくらいでいいかな」

 少年は最初より少し高くなったゴミの山を見ながら「あの……」と先輩の方を見る。

「マニュアルには一応残すものと消すものを分別するようにって書いてあったと思うんですけど、そんな簡単に全部捨てて良かったんですか……?」

 不安気に少年は聞くと、先輩は首を捻った。

「あー、そういえばそんなこと書いてあったね。マニュアルの一番最初のページに。でも、上が決めた分別表には残すものなんて何も書いてないんだよねー」

 そう言ってくしゃくしゃになった一枚の紙切れをポケットから引っ張り出して少年に見せる。

「清掃物分別表」と書かれたその紙は、真ん中に一本の線が引かれていて、右側には「廃棄」、左側には「保存」と分けられていた。

「ほら。こっちはびっしり書いてあるけど、左側は空欄でしょ?だからきっと全部捨てていいんだよ」

 少年はそれでも浮かない顔をする。


 こんなにたくさんのものを捨てるのはなんだか勿体無いし、何よりどこか名残惜しい気もする。

 どうしてだろうか。


 彼にとってこの世界のものなんて何の思い入れもないはずなのに……。


 そんな悩める少年を見て、先輩は彼に微笑む。

「まぁ仮にここで捨てても、きっとまた次も同じものができるよ。大丈夫。実際に今までもそうだったみたいだから」

 よいしょっと瓦礫の横に座り、ゆっくりと空の袋をたたみ始める先輩。

「それにほら。いつも集会でお偉いさん方が言ってるでしょ?新しいまっさらな状態で始めた方が文明っていうものは繁栄するんだって。だから僕たちはそこら中に散らばっているゴミをしっかり集めないと。次にここに住む人たちが気持ちよく過ごせるようにね」

 なるほど、それもそうかもしれない。

 少年は納得する。

 この星では何度も生命が生まれて、文明が発展して、そしていずれは同じような理由で勝手に滅びていくらしい。


 その繰り返しが続いている世界だからこそ。

 これから先も続いていくからこそ。


 少年たちはここをまっさらな状態に戻して、次なる生命が再び生まれる綺麗な世界にしないといけないのだ。


 それが今の今の僕の使命であり、僕の仕事だ。


 少年は自分の袋のゴミを振り撒きながらそんなことを考えていると、「あ!いいもの発見!」と先輩少年が叫びながら、瓦礫の山の中から箱のようなものを取り出した。

「見て見てー!ラジオ見つけたー」

 暇つぶしにちょうどいいねー、とつまみを回し、アンテナを伸ばす。

 ソーラーパネル付きのポータブルラジオは、人がいなくなっても太陽が出続ける限り、動き続けるようだ。

 電源ボタンを捻るとザザッという砂嵐の音がする。

「ラジオなんかつけても何も受信しないんじゃないですか?」

 そう聞く少年に先輩は「ふふーん」と得意そうに笑う。

「そうなんだけどね、実は上手くいけば……」

 ラジオをあっちにこっちに動かしながらチャンネルを合わせていくと、突然砂嵐が止み、かすかに声が聞こえてきた。

「ほら!聞こえるでしょ?」


“……これ……に……あり……には……ます“


 ボリュームを上げると、徐々になにやら会話のようなものが聞こえてくる。


“今回の通常天会の議題は……”


 そしてその中にうっすらと聞き覚えのある声も聞こえた気がした。

「通常天会……?」

「えーと、簡単に説明すると上のお偉いさん方がいろいろなことを話してる会議みたいなものかな」

 電波が通じるいい場所を見つけたのだろう。

 先輩少年は壊れて肘掛けがなくなった椅子の上にそっとラジオを置く。

「この丘周辺は時々上の放送電波が入るんだよねー。だからラジオとかテレビとか、頑張って調整すれば聴けるんだー」

「へぇー、そうなんですねー」

「僕たちは上で決められた通りに地上で働くだけだけど、ちゃんとこういう放送を聴いて勉強するのも大事だと思うんだよねー。時事を知っておくというか、ちゃんと知識を持つことは新たな次元にいくために大切なことだと思うし。ほら、聴いてごらん」

 少年は先輩の横に座り、ラジオに耳を傾ける。

 ちょうど会議では、二人が今日一日清掃していた区域に関しての話し合いが進んでいるようだった。


“あそこはどうしようもない難所ですな“

“本当に全く持ってその通り“

“何度やってもなかなか上手くいかないなぁ“

“どうするべきなのか……“

 お偉いさん方があーでもない、こうでもないと頭を悩ませているようだ。

“神はなんとおっしゃっているのですか、ガブリエル様?“

“……そうですね“


 少年はドキッとする。「あのお方」の声だ。

 僕たちの頂点に仕えるただ唯一のお方であり、僕たちが辿り着けることができる最高位の場所にいるお方。

 少年の横で先輩少年は目を輝かせる。


“我らの主は現状維持を望んでいます。あの星はあれでいいのだと“

“しかしながらガブリエル様、あそこは他と比べても生命の誕生と消滅が早い上に物が多いせいで、星の再生にかなりの時間がかかるというではありませんか。このままでは他の世界との均衡や秩序が乱れるのではないですか?”

“そうですよ!あそこは同じことを何度も繰り返して、結局最後には愚かにも滅ぶのですから。もういっそのこと、地上で働く者たちを別の場所に派遣した方がいいのではないですか?”

 ”確かに、その方が格段に効率がいい!あの星はかなり長いこと存在していたことですし、もう放棄してもいいのではないですか?”


 突然の提案に全体がザワザワし、議長のような人が”静粛に!“と叫ぶ。


 ”皆さんのご意見は最もだと思います“


 静寂の中「あのお方」の声がひびく。


“しかし、我らの主の意向を最優先にしなければならないことを忘れてはいけません。あの星の決定権は我々にないのですよ”


 ”それに……“と「あのお方」は続ける。


“地上にいる者たちを他の場所に移すことはできません。主のこどもたちはあの星で拾い続けなければならないのです。かつての自分の痕跡を自らの手で捨て去ることで徳を積まない限り、そもそも新たな次元へ進むことどころか、輪廻のサイクルにすら戻れないのですから”


 少年は頭を捻る。

 新たなる次元というのは、上の方々のように立派になるということなのだろうか。

 それにしても”輪廻のサイクル“とは一体……。

 難しい言葉だらけで少年には何が問題なのかすらよく分からないし、上には上のルールがきっとあるのだろう。

 どの道自分には関係のないことだと少年は呑気に考える。

 隣を見ると先輩少年は「あのお方」の言葉に激しく頷きながら聞いていた。


“彼らは彼らなりのペースで頑張っていますよ。自分たちの歴史を少しずつ回収して消して、まっさらな状態に戻す。なかなかに大変な作業だと私は思いますけどね”


 下にいる者たちの気持ちになって考えることも、我々上の者の役目ではないでしょうか、と言うあのお方の言葉に賛同の声が上がる。

 先輩少年も「ありがたいお言葉だね……」と少し涙ぐんでいる。

「次の人たちのために仕事をやりきらないとね!」と先輩が意気込みながら立ち上がり、「それにしても……」とゴミの山を見渡しながら呟く。


「来た時よりも美しくっていう精神も大事なはずだと思うんだけど、なんでこの星はこうも汚いんだろうねー」


 彼らの組織はありとあらゆる場所の、ありとあらゆるモノの清掃を請け負っているが、どうもここはその汚さ故に最も人気がないところらしい。

 確かに同僚の話を聞くと、自分がやっている仕事よりも遥かに楽そうだと少年は感じていたが、自分が不器用なせいなのだとずっと思っていた。

 まぁ、もちろん容量が悪いのは事実だとして……それにしてももしかしたら、この場所は何か特殊なのかもしれないと少年は思う。


「外から見るとあんなに青くて綺麗なのに……不思議ですね」

「まぁ、現実はそんなに甘くはないってことなのかな」


 先輩は立ち上がりながらそう言い、転んでしまった少年とは違い、真っ白に保ったままのマフラーを巻き直す。

「君はまだまだ新人で大変だと思うけど、明日も一緒にゴミ拾い頑張ろうね」

 先輩の優しい声掛けに少年は「はい!」と元気よく頷く。

 気づいたらこの仕事に就いていて、正直少年はなんとなく日々を過ごしているだけだったが、とりあえず今日も一日何とか乗り切れたようだ。


 二人はゴミ山から少しずつ離れ、本来の場所に戻るため帰路につく。

 お互いのことやこれからの夢、そしてこの星に誕生する次なる生命に想いを馳せながらゆっくりと。

 そんな会話をしている後ろで“これにて通常天会を閉会致します”という議長の声と割れんばかりの拍手の音が、残されたラジオから聞こえた。



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