14

私が生まれ、そして、兄が死んだ日。


母は大きな喜びと、深い悲しみの狭間にいた。




そこに、一筋の光が射し込んだ。


それが、あの携帯電話だった。






「もう使ってない電話が、突然鳴り出したんだ。


電話に出ると、円と同じように、この世界に来ることができた」




母が初めてこの世界に来たとき、ここは草原ではなく、四方を壁に囲まれた、一つの部屋だったらしい。


そこに、ベビーベッドが一つ。






「そのベッドには、赤ん坊が一人いた」




それが、彼だった。






「彼女は、ここで子育てをしてたんだ。円と同じように、僕を育てていた。不思議と、この世界には彼女が望んだものが、望んだ通りに現れる。服やおもちゃ、風景なんかも思いのままだった」




だから母は、彼に何でも与えた。


私に与えたものは、全て同じように。




ただ、どうしても二つだけ、彼に与えられないものがあった。






「僕は、ここから現実の世界を見ることができた。


そこで知った。父親のこと、妹のことを」




自分のことを知らない、家族のことを知った。







「怒りとか、恨みなんてなかった。


さっきも言ったけど、円に、ほんの少しでも自分の命を悔やんでほしくないっていう二人の気持ちは、僕だって同じだったから。



それに…僕は、最初からわかってたんだ。自分がもう死んでるってことも、お母さんがしていることが…償いだってことも」




償い…。


深い、罪の意識。




今の私には、痛いほどわかる。






「…でも、幸せだった。生きてるんだって思えた。


僕は…消えたわけでも、忘れられたわけでもない。


こんなに、愛されてるんだって…そう、思えたから」




そんなふうに、寂しそうに笑われると、泣いているように見える。


母も…ずっとそうだった。


泣いているように、笑う人だった。






「…僕は、これで良かった。こうして円にも会えたし…うん。もう、充分かなって」


「…え…?」


「もう…この世界は必要ない。だって…」






円はお母さんになったんだから。




彼はそう言って、初めて…本当に幸せそうに笑った。






「お母さんが、一人で寂しがってるからね…僕も、そっちに行くよ。お父さんのこと、よろしく」


「待って…待って!お兄ちゃん…」




永遠の別れをするには、あまりに短過ぎる時間だった。


私たちの間にある、埋めようのない…遠く、果てしない距離は、それでも今ようやく…触れ合っているのに。






「お兄ちゃんって、呼んでくれて嬉しかった」






…元気でね、円。






兄は、光る靄の中に消えていった。




そこで、私の意識も途切れた。

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