27・3地球年の準備期間(ネレイド視点)
「どうだい? マナ。それにジプス」
私は、アフラ・アル・マズダ号の中の自分の部屋にマナとジプスを招いて。
木製の値打ち物のグランドピアノの鍵盤を叩いて一曲を奏でた。
確か、ドビュッシーのアラベスク、第一番とかいう楽曲だ。
「なにか……。とても清々しい気分です、ネレイド。いい曲でしたよ」
「これが……、地球の文化か。音楽と言うと先ほど教えてくれたな」
良かった。マナもジプスも喜んでくれたようだ。
「では……。楽曲で耳が肥えたところで。ワインとチーズ、それにソーセージでも食べようか」
私がそう言うと、音楽を聴いたときよりもパッと顔を輝かせる二人。なるほど、芸術より食い気か。実にわかりやすい。
「もう、この船に通うようになって半年が経ちますが……。地球の文化とは、本当に素晴らしいモノなのですね、ネレイド」
「まあ、な。地球の人心、と言うものは。腐敗と清廉の混濁である事が常なのだが。それが故に、その混濁を切り取ったかのような、『味』というものが現れる芸術作品は実に多い。それが、ケルドムの部屋の絵画コレクションであれ、バッシュの得意なダンスの振り付けであれ、私がこのピアノで奏でる音楽の楽曲であれ。同じように、クリーズの立てる茶の作法であれ、ピウフィオの作る料理のレシピであれ、ミズキの部屋の本棚の文学書籍の選び方にしてもな。決して皆が清潔で何の痛みも覚えないで生きてきたわけではないことを示す深みを感じられる」
「あの、アンドロイドのメルシェさんと、貴女の副官のゼイラムさんは?」
「メルシェの趣味は、知的探求。ゼイラムの趣味は蓄財だ」
「まあ。知的探求はステキですが、蓄財が趣味とはあまりいいイメージは湧きません」
「ゼイラムはなぁ。聞くところによれば、貧困母子家庭の出身で。幼いころから成績優秀であったが、貧乏の為に酷くいじめられていたと吐いたことがある。奨学金を受けて、軍学校に入り。『金持ちになるんだ』と必死に頑張ってきたらしいぞ。念願かなって軍人の幹部候補生になり、家門のバックアップ無しで大佐にまでのし上がった男だ。蓄財が趣味なのは、母親に贈るまとまった金が欲しいかららしい。まあ、そう責めたものでもない」
「……ふーん。ネレイド、貴女はそう見えて……。優しいのですね」
なんだかとても嬉しそうに笑うマナ。この子の純情可憐ぶりには、私はいつも感心させられる。表情や仕草によっては、とても眩しい光を放つような時があるからな。
「私が優しい、か。マナ、君自身は確かに優しい子なんだろう。それはよくわかる。だが、私の優しさとは質が異なる。私の優しさは、自分が傷ついた事によって後天的に得たものだ。だが、君の優しさは天然の物。それを大切にした方がいい」
「優しさの……。後天性と先天性ですか。とても難しいことを言います、貴女は」
「明らかに違うものだ。まあ、今はそれはいい。少し待っていてくれ」
私はそう言うと、自分の部屋で干し肉でも齧っているであろうピウフィオの部屋に、艦内通信を繋げて声を放った。
『ピウフィオ。起きているか?』
数秒後。
『んー? どしたの提督? アタシに何か用ォ?』
応えがあった。
『いま、私の部屋に。マナとジプスが来ている。音楽を弾いて聞かせてやっていたんだが、一休みしてワインとチーズ、それにソーセージでも喰いたくてな。軽くソーセージを焼いて、チーズと一緒にディッシュにして。提督室まで運んで来てはくれないか?』
『いいけどぉ、暇してるから。でも、任務外のお仕事よね? ご褒美貰うわよォ?』
『5000クレジットしか出さんぞ』
『そんだけ貰えれば十分よ。この船の乗務員のアカウント、実はまだ生きてて。太陽系内の通信網の中にいるときは、データは買えるから。ちょっとした映画でも見るわ』
『現在地は悟られんだろうな?』
『そこんところは大丈夫。クリーズちゃんが巧いことデータ変換掛けてくれてるから、向こうからはこっちの場所は霧の中よ』
『そうか。地球や諸惑星のニュースにも敏感にならねばならん時だ』
『そうねー。地球では、また宗教デモが起こったらしいわ。それに、市民団体が暴走した暴動も。地球のみんなも、よく飽きないわよねぇ、全く』
『そうだな。巫女AIの登場で。各宗教間の確執が取れると思いきや。巫女AIの存在を敵視している地球人もいる。よくよく業が深いものだ、我らの母星は』
『それで、攻めるのは。あと二年半後でしょ? 地球年で』
『そうなる。クリーズとケルドムが衛星ガニメスで兵器開発と使用指南。メルシェが衛星エウロパで生活物資の作り方を教授。ミズキが衛星カリストで兵士の思想を文学を教えることで高みに引っ張り上げている。衛星イオでは、バッシュが信王イオスと将棋や碁を打って、互いに戦術の思考を研ぎ澄ましている。準備が整うまで。しばらくかかる。私も、明日からは一週間、マナとジプスについて兵士の鍛錬に当たる。ピウフィオ、ゼイラムと一緒にこの船の手入れは頼むぞ。それから……』
『ん? なに、提督?』
『残り一年になったら。ピウフィオ、お前の操舵術を木星の操舵手たちに教授してもらう。教え方やらなんやらを、ノートか何かにまとめておけ』
『わかったわん♪ この月回り航路宇宙小型艇レースで地球ナンバー4になったピウフィオさんの実力発揮ね。うふふ』
『まあ、そういう事だ。では、ワインとチーズ、それにソーセージは頼んだぞ。早めに持ってきてくれ。マナとジプスが目を輝かせてお腹を鳴らしている』
『了解♡ 楽しみにして置いてって二人に言っておいて』
そう言うと切れる艦内通信。すると、マナが怒ったような声で言ってきた。
「ネレイド、私たちはそんなに卑しくありません!! 食べ物の話を聞いて、目を輝かせてお腹を鳴らしているなんて!!」
「? 食べたくなかったのか?」
「無論!! とても食べたいですよ!!」
ああ、ね。木星人の美徳の、正直さというものだ。私は苦笑いしながら、ピウフィオがすぐに持ってきてくれる。そう言った。
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