一陣の寒風の毬




「お孫さん」

「茜雲だってば」


 いつもの溌溂さがないのは、疲労困憊の状態だからだろう。

 前日に言った通り。休日を迎えた彎月が丸太小屋から離れた藤の下で寝転んだ視線の先、あちらこちらと空に上がりながら曲がりくねる枝からたなびく藤の花が、そよりそよりと揺らぐ様を見ながらうつらうつらしていた時だった。

 青の光が細い針のようにまっすぐに急落下して、藤の花と枝で埋め尽くされていた目に直撃した彎月は、やれやれと思いながら立ち上がった。

 これは合図だ。

 力尽きた茜雲が落下してくる合図。

 彎月はそうしていつものように九本のしっぽを表に出すと飛び上がり、空中で無事に翼が生えている青の魚になってしまった茜雲を受け止めたのであった。




 ちょっとだけ休むわ。

 ゆっくり地上に降り立つや、それだけ言うと彎月の九本のしっぽに乗ったまま茜雲は眠りに就いた。


『あなたのしっぽはひんやりしているから、受け止めるなら手じゃなくてしっぽにして』


 魚の姿になった時は、手は熱すぎるようだ。

 茜雲に言われるより前に、長庚にそう言われていたので最初からずっと、彎月はしっぽで受け止め続けていた。


『空には、飛ぶことには興味がなくて、海で泳いでばっかりいたのになあ。何で、急に飛ぶ気になったのか。もしかして俺のように飛びたくなったのかねえ。この逞しく美しい漆黒の翼に憧れちゃったのかねえ』


 にやにやと嬉しさ満開の笑顔を見せながら、雄々しい漆黒の翼をゆるりと羽ばたかせた長庚は言った。

 きっとそうですよ。

 彎月は力強く答えた。




(親方に似て頑張り屋さんだから飛べるようになるまで絶対に諦めないだろうなあ)


 胡坐をかいて彎月は、茜雲が自然と目を覚ますまで待っていようと思っていたのだが。


「あ。やばっ!」


 一陣の寒風が毬のように空から落ちて来ては、地面で跳ね返り藤の花を吹き上げたかと思えば、その場から忽然と彎月と茜雲の姿が消えていたのであった。











(2023.4.22)



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