一人の青年の描く初恋への永遠

 私の目に留まったのは、美しい女性が描かれた一枚の絵画で、その絵は初恋への永遠を映していた。

初恋のそばにある永遠ではない。

初恋と離れたところにある永遠だった。

長年こうやって沢山の絵を観て、評価をしてきたが、これほど心に訴えかけてきた作品はなかった。

 私も初恋の女性を思い出す。

白髪頭になったこの姿で再会したいとは思わない。

 


 次の日の朝、妻に起こされた私は、自分が涙を流していることに気が付くまで、時間がかかった。


「どうしたの?こんなの四十年以上一緒に居て、初めてよね?」


妻は珍しく私を心配した。

長年連れそうと、慣れが恐ろしいほどに浸透して、心配を表現する機会が少なくなる。

私はそう思っていた。

改めて見る妻のそんな表情は、私を少し安心させた。


「ああ、そうだな」


右手の甲で涙を拭い、上体を起こす。

妻はこれまた珍しく、優しく私を眺めた。

妙に恥ずかしくなり、目を背けると


「悲しい夢でも見たの?ごめんなさいね。私がこれまでちゃんと話を聞いてあげなかったからかしら」


と後悔を口にした。


「そんなことはないよ」


本当にそんなことはなかった。


「それならいいけど...」


妻はそう言うと私の肩を二度撫でて、寝室から出て行った。

今朝も美味しいコーヒーを淹れてくれるのだろう。


 夢に出てきたのは、初恋の相手だった。

二十五歳で妻と結婚し、その初恋の相手は妻ではなかった。


 私は朝ごはんを食べ、身支度をすると、昨日観たあの絵画を再び観に行くことにした。



 初恋への永遠。

その絵を描いたのが、二十代の青年だと分かり、私は納得と驚きを感じた。

才能というよりも、これほどに初恋への思いを隠せない、若さの危険性を感じたのだ。

しかし、この絵は本当に美しい。

私に初恋の夢を見させるほどなのだから。

妻に隠し続けた涙を見せてしまうほどなのだから...


 この絵を描いた青年の他の作品を見るのには勇気がいる。

この作品だけが輝くのか、他の作品も同様に輝くのか。

初恋に囚われた絵ばかり描いているのだろうか。

興味が湧いた。


 ただ一つ、まだ若いこの青年には分からないだろう。

初恋は本当に永遠だということが。

忘れられない初恋を経験した人は、あまりにも切ないということが。

 何十年も消えずに残る思いは簡単に、強くも弱くも人を変化させる。

でもその思いと向き合う時、その思いを隠し続ける時、どうしようもない高揚感を覚えるのだ。

美しい初恋の記憶はある場所で止まり、実際には月日は流れ、私だけではなく、全てが変わり続けている現実を見逃すほどに。



「今度、この青年の他の絵も持ってきてもらおうか」


スタッフにそれだけ伝え、私は再び外に出た。


 すると、来た時には気が付かなかった桜の木が目に入る。

毎年そこにあったのか、不思議に思った。


「一年に一回、一緒に見られるなら...本当に幸せだと思う」


初恋の女性が桜を見て言った言葉。

また思い出してしまった。

この季節は特に、彼女が僕の心に登場する。

心の底ではなく、上の方に浮かび上がる。

それを追いやるのはもう、得意技と呼べるほどだった。



 青年は、私と同じように生きるのだろうか。

それとも初恋の永遠を、心の中ではなく、現実にするのだろうか。

初恋の相手と結ばれるのだろうか。

 私があの絵から感じ取ったのは、離れたところにある永遠だったから、おそらく彼は心の中に永遠の初恋を留めていると推測する。


「どちらにしても、切ないだろう」


そう小さく呟き、私は妻の待つ家へと向かう。

 

 桜の花びらが風に舞った。

家へ向かう歩幅はいつも通りだ。

これが私の現実だから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る