僕は出会えなかった、初恋への思い
僕が恋した女性は、初恋の美しさを知っていて、初恋を大切にする女性だった。
彼女は、僕にこう言った。
何度か来たことのあるお洒落なイタリアンレストラン。
僕が彼女に告白した直後だった。
「こんな事言うのは、どうかしてるかもしれないけど。私、初恋の人が忘れられないの。ごめんなさい」
僕を断る為の嘘だと思った。
はっきりと断れなくて、そう言ったのだと。
「分かった。でもその優しさがちょっと痛いかも」
僕は戯けたふりをして、本音を口にした。
はっきりと付き合えないとか、今のままがいいとか、そんな言葉が欲しかった。
すると彼女は少し驚いた顔をしながら、
「本当なの。本当に今は、初恋が忘れられなくて」
と言ったのだった。
「えっ?」
「初恋を忘れたことはないけど、どうしてか最近これまで以上に思い出して」
僕は驚いた。
僕にだって初恋は存在するが、彼女ほどの思いや熱はない。
それに真剣な瞳を見れば見るほど、真実であると伝わってきた。
彼女は赤ワインと白ワインをそれぞれ一杯ずつ飲み終え今は、白ワインの二杯目に口をつけたばかりだった。
彼女はそれくらいで酔う女性ではないことを知っている。
「じゃあ、初恋を今以上に思い出さない日が来たら、可能性はある?」
これは、少し酔ってきている僕の台詞だ。
「傷ついてもいいから、本当のことを教えてほしい」
やっぱり僕は、酔っている。
彼女を困らせてもいる。
「ごめんね。分からない」
もう少し早く告白していたら、違っただろうか。
初恋について考える隙などなく、僕と付き合ってくれただろうか。
「初恋の話、聞かせてくれない?」
僕は気になって仕方がなかった。
それほどに残る初恋について。
少しして、彼女は静かに語り始めた。
今日は酔ってきた証拠かもしれない。
「部屋の本棚にあるアルバムにね、唯一二人で撮った写真があるの」
「うん」
フラレた後に、フラレた相手の初恋の話を聞くなんて、普通はあり得ないと思うけれど、今の僕は違った。
「その写真を見たくても、見る勇気がなくて。もう十年前の写真だけど、見たら何かが変わってしまう気がする。取り戻したくなっちゃうんじゃないかって」
僕の初めて見る、彼女の表情。
認めたくないけれど、初恋を思うその姿は美しかった。
「あのさ。僕は初恋をそんな風に思ったことないから分からないけど。多分、それと似た思い...いや、それ以上の気持ちで君が好きだよ。今この瞬間も、今そばにいる存在に、恋してる」
こんな言葉を言えてしまうのは、過去を見つめる彼女を現在に連れ戻したいようなもどかしさと、今も忘れられないほどの初恋を知っている彼女への羨ましさからだった。
もちろん、お酒のせいもある。
「ありがとう」
微笑む彼女は、切なくも美しすぎた。
僕には分からない、初恋の名残。
分からないからこそ、容易に言うことのできる言葉。
「その写真、見ればいいのに」
予想通り、彼女は可哀想なものを見るように僕を見た。
彼女は怒りを表現することができない。
その代わり、人の思いを汲み取れない人を哀れな目で見ることがあった。
冷たくも、放っておけない、そんな目。
「見たら、何かが変わっちゃうかもしれないって私言ったよね?」
冷静な物言いではあるが、穏やかではない。
僕は僕で、
「写真を見て、何かが変わればいいと思う。良くても悪くてもいいから、今のままだけは嫌だから」
と、どうしてか強気だ。
まだ彼女は僕を哀れんでいる。
僕は続けた。
「僕に可能性があるなら、初恋を大切に思う君を変わらずに好きでいる自信がある」
「そんなの...」
「初恋が十年経った今でも残るものだと証明してるのは、確かに君だよ。僕にはそれを証明できる初恋がない。そんな僕なら、初恋を思い出さない僕なら、今の恋に全てを懸けられる。僕のこの恋は残り続けるよ」
彼女は、いまさら周囲を見回した。
こんな話を聞かれたら恥ずかしい、というように。
僕は告白する前から気にしていたけれど、広いレストランの席と席の間隔は広く、流れているクラシックやそれぞれの会話や食器の音により、一つ一つの席は、一つ一つの空間として成り立っている。
それぞれがそれぞれの相手、会話に夢中だ。
「困らせてごめん。返事は急がないから。ただ、初恋の写真だけが理由で断るならさ...一度僕を試してほしい。単に僕とは付き合えないなら、そう言ってほしい」
僕は本気だった。
これが本気の恋だった。
全てを懸けられる恋だった。
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