第1話 レプリカは、夢を見ない。(8)

 カウンターで貸出手続きを済ませて部室に戻ると、りっちゃんが「扇風機が壊れた!」と喚きながら地団駄を踏んでいた。

 ぽかんとしている私たちに気がつくと、芝居がかった動きで両手を広げる。


「先輩方! いよいよ駄目です、もう終わりです。暑すぎてここで死にます」


 真っ赤な顔をしているのは興奮しているからか、気温のせいなのか。

 興奮したりっちゃんを宥めるのはそれなりに骨が折れる。どうしたものかと困っていると、後ろで真田くんがぼそりと呟いた。


「良かったら持ってくるけど」

「なにを?」

「扇風機。家に使ってないやつあるから」


 私とりっちゃんは顔を見合わせた。


「……神だ」


 今回ばかりはりっちゃんの反応は大袈裟ではない。私も両手を組んで拝みたいくらいに感動していた。まだ吹いていない爽やかな風を、私たちは早くも頰に感じてときめいている。


「いいの? 本当に?」

「使ってないやつだし」


 やっぱり神だ。


「ありがとう。本当に助かる」


 両手を合わせて頭を垂れる。神様へのお祈り。


「大したことじゃないから」


 真田くんはそう言うが、耳の先が赤くなっているようだ。

 もしかして、照れてる?

 いや、まさか。


「なに?」

「な、なんでも」


 注視しているのがばれたようで、顔の前で両手をぶんぶんと振る。

 真田くんは訝しげにしつつも、着席して『こころ』を開いている。さっそく読んでみるつもりらしい。読書の邪魔をしたくなかったので、私はそそくさとその場を離れた。

 扇風機を隅に運ぶりっちゃんに、小声で話しかける。


「りっちゃん、すごいね」

「そうでしょ。って、なにがですか」

「だって真田くん相手に、ちゃんと話せてるっていうか」


 たぶん、私は無駄に力んでいる。少し話しただけで真田くんが怖い人でないのは分かっていたけれど、それでもちょっとどきりとしてしまう。相手が男の子というだけで、心臓の表面に鳥肌が立つような、そんな感じを覚える。

 小学生の頃は、こんな風に感じなかった。みんな似たような身長や顔つきの子が多かった。

 でも今はうっすらと髭が生えたり、シャツの隙間から覗く濃い脇毛だったり、近寄るだけで漂う汗のにおいに、明確な苦手意識を持っている。

 そういえば真田くんは、汗のにおいが薄かった。

 本を手渡したとき、シャツの袖口からは淡い石けんの香りがした。


「従兄弟とたまに遊ぶから、むさい男子には耐性がありますよ」


 こ、声が大きい。

 振り返って確認すると、真田くんは読書を続けている。聞こえなかったみたいでほっとした。

 素直には兄弟姉妹がいないし、年頃の近い親戚もいない。

 もし兄か弟がいたら、私も真田くんとなんでもないように自然と会話ができたのだろうか。そんな詮ないことを、少しだけ考えた。


 部室の隅で古めかしい扇風機は沈黙している。ががが、と不安になるような変な音を立てる気力もなくしてしまったのだ。

 錆の浮いた羽根ガードに守られた、弱っちくて薄っぺらなプロペラ。空を飛べない回転羽根が、恨めしげにこっちを見上げた気がした。

 たぶん、目と目が合った。

 私は素直のレプリカだけれど、扇風機は、どれも全部ほんもの。


「扇風機ってどうやって捨てるのかな」

「粗大ごみですかね。赤井先生に訊いてみましょう」


 二人で見下ろす。


「ねぇ、供養しようか」

「なんですか供養って」


 笑いながらも乗ってくれたりっちゃんが、なむなむと手を合わせた。


「今までありがとうなぁ。あんさんのおかげでどうにかこうにかやって来られたよぉ」


 なんでかおばあさんみたいな口調。


「たくさん働いてくれて、ありがとうございました。私たちは大丈夫なので、どうか安心してお眠りください」


 気がついたのか、真田くんが話しかけてくる。


「何やってんの」

「お礼の言葉を伝えてるの」


 それっきり本に視線を戻すかと思いきや、机に文庫本を預けた彼が近づいてくる。

 私とりっちゃんと同じように、手を合わせると。


「扇風機、ありがとう」


 やっぱりいい人だなぁ、と思った。


「あ」


 そこで大事なことを言い忘れていたのを思いだした。


「真田くん、ようこそ文芸部に。歓迎します」

「え、今?」


 本当に今? って感じのタイミングだったので、ちょっと恥ずかしい。

 でも明日じゃ、もっと変だ。そう気がついたのか、横のりっちゃんが「歓迎しまーす」と勢いだけの拍手をする。私もまばらに拍手を打つ。

 手と手が当たって飛びだす音の切れ目に、真田くんが「どうも」と頭を下げた。

 文芸部に、三人目の部員が入部した。

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