最近、セフレがどうとかいうラブコメが流行っている気がする話

 くちです、こんちは。



 流行らないアマ作家らしく、俺は何気にラブコメ関連の流行やネット小説界隈のトレンドをランキングから探ってみたりするのだけど、ここ最近になってヤンデレに次ぐ人気ジャンルが台頭してきたように思う。



 ズバリ、セフレ。



 第一話からセックスフレンドがいて、別に性行為の相手には全然困っていない陰キャという設定が目立つような気がしているのだ。こいつが何を言ったって恋愛が薄っぺらいという問題もさることながら、物事の本質は別にあると考えるべきだろう。



 属性ではなく関係だろ、という指摘もありつつ。むしろ、だからこそラブコメである必要を疑う原因なワケで。



 結果があるということは、物語が終わったということ。それが、物を語っていないと俺は言っているのだ。



 ぶっちゃけ、ネット小説なんて隙間の時間をつぶすモノだし、簡単に快感を得られる物語が好まれるというのは理解しているのだが、しかしそれって小説である必要があるのだろうか、という疑問が俺の中にある。あってしまうのである。



 どう考えたって、絵が見られる漫画の方がいい気がするし。小説というのはもっと物語を読むモノなんじゃないかと。そんなふうに矮小な疑問を、最近人気のラブコメを読んで自分に投げかけてしまうのだ。



 根本的な話、俺がネット小説を勉強以外で読まない理由は、それが小説である必要のないパターンが多いからだ。



 比喩表現と伏線。これこそが活字の最たる長所であり、俺のミステリ小説が好きな理由でもある。



 しかし、昨今流行りの行間が空きまくったツイートのような短文が並ぶ文章にはそれがない。もちろん、無いからこそランキングの上位の作品はそこにいるというのはわかっているし、だからと言って俺の書いているモノが優れているとは思っていない。



 しかし、それにしても、あまりにも。ドロドロの痴情の縺れや奪い合いや、女同士の腐ったやり取りを読ませるような気色の悪い話(誉め言葉)でもないのに、セフレがいて、そいつと仲が良くて、他の女子に好かれてセフレがヤキモチを焼くというのは、度を越えてインスタントが過ぎるのではないだろうか。



 つまり、セフレである必要がない。それが、俺の疑問の核だ。



 前々から、ネット小説はハッピーエンドの後の話であると俺は論じている。最強の魔法使いが追放されるとか、職場の美人がみんなボクに惚れているとか。より取り見取りで、そこまでの努力は特に描写されておらず、ただ結果の結果を綴ることがカタルシスのつまみ食いにもってこいだからだ。



 俺は、このスタイルは好きではないが嫌いでもない。強いて言えば、簡略化されたシステムに少々の感動を覚えている。俺のようなクラシカルな人間にはマネ出来ないし、作者の中にはさぞ壮大な物語があって、読者もそれを読み解くスキルに長けているのだろうと思う。



 長けていないからこそのテンプレというが、テンプレになった物語をみんなが読んでいるのなら、その偉大な原作の二次創作でも何でもいい。とにかく、時代にあった作風なんだろうと俺は解釈している。



 もちろん、俺にはその原作とやらの正体がさっぱり分からないのだが。



 それはさておき、ラブコメにおいてセフレがいる。だなんて言われて、それが大人同士の不倫ならば、略奪や社会的制裁などのやりようがあるにしろ。



 学生同士がセックスをゴールにせず、たらたらと主人公の自慢話を読むことがなぜ流行っているのだろうかと。俺は、そんな風に捻くれた感想を思ってしまうのだ。



 ……しかし、今回は俺の負けだ。結論から言えば、どうしてもセフレが流行っている理由が俺には分からなかった。



 もはや、セックスが割と特別なモノであると捉える俺の感性を疑わざるを得ない。



 或いは、世の人々は本当に誰とでもセックスをしていて、偶然その場所に俺がいないだけなんじゃないか?とか。

 世の中の男は、女が男と同じ感覚でリスクも考えずセックスをするモノだと考えているのだろうか?とか。

 もしくは、出会ってセックスをしてから本格的に恋愛するのが今のスタンダードなのか?とか。



 だったら、どうして俺はその輪から仲間外れにされているのか(泣)。とか。



 ヤンデレの時は、「まぁ、人からいっぱい好かれたい欲が満たされるよね」という答えに辿り着いたものの、今回は俺の拙い頭では理解出来なかった。

 だから、もしもセックスを小説に求める理由。読者(まぁ筆者もかもだけど)の性欲が高まり過ぎている理由。(人との関わりが薄いから?)



 これらを描写する事が、活字である必要を教えられるのなら、是非ともご教授いただきたいと思う次第だ。



 結論として、これは需要の話。俺はフィクションに現実性を求めるほど無粋な男ではないのだから。そういうモノを読みたがる人間の心理が知りたいという、本作はどこまでも知的好奇心の追求を目的としたコラムである。



 もしかすると、人々は綺麗な恋愛なんて求めていないのかもしれない。男は肉体的な快楽を求め、女は精神的な快楽を求め。その狭間で恋愛の良さを物語ろうとする行為は、俺の甚だしい勘違いと愚かの証明なのかもしれない。



 ともすれば、俺の活動の意義はもう無いのかもしれない。諦めてキャラクターをボッコボコにするか、あるいはエロ描写を磨いてその道で書くか。もう、書くことを辞めて何も見ないように生きるのか。



 凡人である俺の他の道は、とっくに閉ざされていたのだろう。それでも貫く強さを持てるのなら、その方法も知ってみたいモノだ。



 いずれにせよ、活動の内容を見直すべきなんじゃないかと。そんな風に思う、一人の夜の戯言なのであった。

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