悪意が見てる 第2章

「一石二鳥って、正にこのことだよね」由美が寺島道具店の店先に自転車を停めながら、心底楽しそうに言った。

 快晴とまではいかないが、午前十時の日差しはまあまあ強い。早くも夏本番と言わんばかりの気温に友樹と直之は少々滅入っていたが、残念なことに由美は元気だった。

「冒険に宝探しも追加されるなんて、私は運いいな」

「お前はほんとに気楽だよな」由美とは対照的に直之は恨めしげに呟いた。どうやら鍵探しの人員にされることを理解しているようで、鋭い眼光を友樹に向けてくる。

「まあ、そんな怖い顔せずにさ、早く中に入ろうよ」

 店には「閉店中」の札がかかっているところを見ると、どうやら店に良雄はいないようだ。母屋で捜し物かと見当を付けて、店を回り込んで中庭に入ると

「あれが例の土蔵か」直之が左手を指さして言った。

「なんか……違和感ない?」由美もそちらを見て、少し戸惑うように言う。

 確かに、比較的手入れの行き届いた中庭に、古ぼけたずんぐりむっくりの土蔵はやや不自然に見える。夜のうちに歩いてきて、ついさっき「よっこいしょ」と腰を下ろした様に見え無くもない。それもそのはずで、店舗と土蔵が先にあって、明が店を引き継いだ時に母屋と中庭を増築したのだ。その後店舗は何度も改装を繰り返し、土蔵だけそのままの姿で残っていったというカラクリである。

 そんな様なことを二人に説明していると、母屋の玄関に到着していた。中で物音がするあたり読みは的中したようだ。呼び鈴を鳴らすと「はーい」という返事と一緒に、階段を降り廊下を小走りに向かってくる足音が聞こえてくる。が、ドンッ、という何かが床にぶつかったような音と、唸るような苦しみの声が響いた。

「……は~い」少しして弱々しい声と共にゆっくりとドアが開いた。中腰の体勢で顔をゆがめた良雄が姿を現す。その背後を友樹は覗いてみたが、玄関マットがくしゃくしゃになっているのを見る限り何があったかは、まあ、自明だった。

「あの、大丈夫ですか?」数秒の沈黙のあと、直之が質問した。笑わなかったのは普通に偉いと友樹は思った。

「ちょうど朝ご飯作ってて、手が離せなくてね。焦って転んじゃったけど、大丈夫だよ。君たちが今日手伝ってくれる友樹君の友達かい?」

漢方薬をバケツ一杯飲み下したような表情で、良雄は答えた。どうやら父親から良雄へ連絡が行っていたようだ。余計な会話をせずに済んだことに友樹は少し気が軽くなる。

「そうです! よろしくお願いします」由美が元気よく答えた。

「よろしくね。えーと、じゃあ、三人で店の方を探して貰おうかな。母屋の方は僕がやっておくから。あ、ちょっと待ってね」

 良雄は慌ただしく玄関を上がり、廊下を引き返していった。少し遅れて階段を上る音も聞こえてくる。由美が息を吐き、言った。

「なんて言うんだろう、どんくさいと言うか」

「胡散臭いな」直之が言葉を継いだ。

「ほら、言ったでしょ。あの人胡散臭いんだよ」

「あの人が、屏風に監視カメラを仕込んでるのか……」由美は腕を組んで、少し考え込んだが

「なんかイメージと違うなあ」と残念そうに息を吐いた。

「お前まだそれ言ってたのか」直之は大袈裟に目をむく。

 また足音が戻ってくると、良雄はサンダルを突っかけて玄関に降り、友樹に鍵を手渡した。

「はい、これ店の鍵ね。じゃあ、よろしくお願いします。昼頃になったら母屋に戻っておいでね。昼ご飯は僕が作るからさ」

 三人はそれぞれに挨拶を返すと、ぞろぞろと裏口へ向かった。友樹は鍵を開けて店内と倉庫に面した廊下に入ると、ひんやりとした人工的な風が三人を出迎える。良雄が気を利かせて冷房を入れておいたようだ。

「で、そもそも鍵っていってもどんな形なんだよ。さっきの錠前のサイズと見合うやつだと、結構大きそうだけど」

「いや、そうでもないよ。大体手の親指ぐらいかな。形はゲームとかで出てきそうな、ザ・鍵って感じ。っていうか問題は、『どこを探すか』なんだよね」

「なんで?」

「実は言ってなかったけど、僕を含めて親戚全員が、祖父ちゃんがどこに鍵をしまってたか知らないんだよ」

 これは昨晩、良雄が親戚に電話を掛けまくった結果発覚した事実だった。結構重要な鍵である上に、そもそも使用頻度が低かったこともあって、誰も場所が分からず、且つどこにしまわれているのか誰も見当がつかない、と言うのだ。当然、これを聞いた守の機嫌は最悪になった。

「おお、それは凄いね!」目を輝かせて由美は叫んだ。大方、ヒント無し、と言うところに更なる「冒険」を感じたのだろう。

「ああ、最悪だ」直之が呻いて友樹を睨みつけた。

「お前隠してたろ」

「人聞きが悪いなあ、忘れてただけだよ」

 直之の非難の視線を躱すように、友樹は店内に通じる引き戸を開けると二人を中に入れた。口々に喜びの声やら文句やらを発していた二人は、「へえ」と声を出す。

「思ったより広いね。ねえ、サンダルないの?」

「レジの横の靴箱に入ってるよ」

「俺のも取ってくれ」

 店の入り口近くにレジがある以外は、店内は殆どが棚で埋め尽くされており、その棚には整然と古道具が並べられている。棚も小さなアンティークから馬鹿でかい壺まで種類別に分けられていた。祖父の明の頃から変わっていない配置は、良雄が父親を意識してあえてそのままにしているのか、それともただ放置されているだけなのか。友樹は近場の棚を軽く指で触ってみたが、埃は積もっていない。少なくとも、良雄は掃除を欠かさずやっているようだ。友樹はちょっと複雑な気持ちになる。

「よし、本題に入ろう」直之が可愛らしい食器が並べられた棚の前で、腕組みしながら宣言した。険しい表情だがミッフィーのサンダルのせいで凄味が全く無い。

「まずはどこから探すか、だよね」わくわくが抑えきれないといった様子で由美が会話に参加する。

「まあ、特に当ても無いし、まずはここから始めようか」友樹はぐるりと店内を見渡した。かなり大変な作業になりそうな予感がする。



「うーん、無いね」傘を差したカエルの置物を元の位置に戻して、友樹は腰を上げてのびをした。残る二人もつられたように腰を伸ばす。

「もう十一時半か。結構探したな」

「もうこの部屋には無いんじゃない?」

友樹もこの由美の意見には賛成だった。はっきり言って、まあまあ大変どころではなかった。三人で手始めにレジの下の棚や小さな戸棚などの、如何にも鍵をしまいそうな場所から取り掛かりだしたのだが、すぐに調べ終わってしまい、その後は店内の商品という商品を片っ端からどかして虱潰しに探していったのだ。

 一旦休憩しよう、と友樹は提案し、三人は壁際にあった売り物のベンチに腰掛けた。

「なあ、ちょっといいか?」おもむろに直之が友樹の方を向いて、言う。

「どうしたの?」

「お前さ、本当に鍵が『なくなった』って、思うか?」

「……正直、どっちか分からない。誰かが盗んだのかもしれないし、祖父ちゃんが訳の分からないところにしまってるだけかもしれない。ただ、良雄叔父さんは確実に何かを隠し事をしてる」

「それって、お葬式の夜に倉庫で何かしてたから?」売り物の茄子の形をした箸置きを手遊びながら、由美が質問する。

「それもあるけど、僕たちがここに到着した時に、叔父さんは『朝ご飯を作ってるところだった』って言ってた」

「ああ、言ってたな」

「でも、僕には階段を降りる足音が聞こえた。台所は一階なのに」

 気味の悪い沈黙が三人の間に舞い降りた。由美は箸置きを棚に戻して口を開く。

「ねえ、母屋の二階には何があるの?」

「寝室と来客用の部屋、あと祖父ちゃんの書斎」

「それだ」

「それじゃん」

 二人は同時に声を上げ、そして眉をひそめてまた同時に文句を言った。

「何でそういう大事なことを先に言わない?」

「すぐに気付いた訳じゃないし、良雄叔父さんが母屋にいる間は出来ることが殆ど無いと思ったから」

「そうかもしれないけどさあ、なんか抜け駆けというか、ズルいよね」

「まあまあ、落ち着いて。で、やっぱり僕は良雄叔父さんが怪しいと思う。ただ、正直なところ、鍵を盗んだところで叔父さんにメリットは無いんだ」

「そんなこと無いでしょ」由美は何故か力強く挙手をして、反論する。

「土蔵の中に見られたくないものが入ってるのかも」

「もしそうなら、とっとと土蔵を開けて処分した方が良いだろ」

「うるさいなあ、ナオはちょっと静かにしてて」由美は眉間にしわを寄せ考え込んでいたが

「じゃあ、こういうのは?」と再び声を上げた。

「土蔵の中には滅茶苦茶値打ちのある骨董品があるの。でも、本来は遺産の一種だから独り占めが出来ない。だからわざと鍵を無くして、ほとぼりが冷めてからこっそり売り払うつもりでいる。どう?」

「どうって言われてもな。そもそも全部根拠のない妄想だろ」

「じゃあナオは私を納得させる説明が出来るわけ?」

 徐々に険悪な雰囲気になってきたので、友樹は割って入ることにした。こんなところで口喧嘩をされても困る。

「二人とも、もう良い時間だから母屋に行ってご飯にしない?」

 二人はつと顔を見合わせると、お互い苦笑して「そうしようか」と立ち上がった。店の振り子時計はもうすぐ正午を知らせようとしている。


 三人は裏口を出て母屋の玄関へぞろぞろと向かった。別に楽しみと言うわけではなかったが、体はそれなりに疲れていたし、良雄が作る料理がどんなものか友樹はちょっと気になっていた。が、

「鍵閉まってるよ」由美が不満げに報告してきたのだ。

 呼び鈴を鳴らしまくったり、外から呼んでみたりもしたが、さっぱり反応はない。あいにくLINEも電話番号も知らないので連絡も取れない。所謂八方塞がりを、思わぬところで体験する羽目になってしまった。

「やっぱり私たちを飢え死にさせて、鍵を隠し続けるつもりなんだ」

「いいからどこか開いてる窓が無いか探してくれ」

 と言うわけで、母屋の周囲を回りながら鍵のかかっていない窓を探していると、縁側の窓の鍵が壊れていることが判明した。外から見るとしっかりロックが掛かっているように見えるのだが、留め具の部分が噛み合っていないのだ。

 靴を脱いで縁側に上がり、廊下に足を踏み入れる。目の前の障子を開けると、広い座敷が三人を出迎えた。

「なあ、これがもしかして例の『屏風』か?」直之が指さした先には正しくあの屏風が立っていた。葬式の夜とは違い棺桶や座布団が無くなっているせいか、より一層その存在が際立っている気がする。

「なんか、普通だね」由美がちょっと残念そうに呟いた。

 そう、普通なのだ。友樹自身も葬式の翌朝、ビクビクしながら朝食を食べに座敷に入ったのだが、屏風からは怪しげな気配はおろか、そもそも調度品としての存在感が全く無かった。本当に、ただの目立たない屏風だったのだ。

 由美は屏風に近寄ると、躊躇無く裏を覗き込んだり、縁を慎重になぞったりし始めた。目当てのものは小型の監視カメラか何かだろう。

「ねえ、この絵は何の絵なの。この鬼ごっこみたいなやつ」目的の監視カメラが無く、やや残念そうに屏風をなぞりながら、由美は質問してきた。

 二枚組のどちらにも絵が描かれており、左側に後ろを振り向き走って逃げる二人の古典の教科書で見た平安時代風の子供、右側には同じく子供のような背格好の人間が、仮面を着けてその二人を追いかけている。それを全く無人の通りでやっているのだ。

「昔の鬼ごっこ、ってことで良いのか? にしてもこの仮面には見覚えないけど」右側の仮面を着けた子供を指さしながら、直之は不思議そうに言う。

「なんか、この仮面、ぞわっとするね」

由美の言うとおり、右側の仮面の見てくれは、お世辞にも素敵なものではなかった。まず、目が怖い。異常に見開かれており、ただならぬ何かを感じさせる。口も牙こそ生えていないものの、不自然に横へと引き延ばされている。

「あと、何でこの絵の通りは無人なんだ?」

「人を書くの面倒くさかったとかかな」隠しカメラを諦め切れてないのか、今度は屏風に覆われていた壁を由美はベタベタと触っている。

「でも、だからって細かい描写が無いわけじゃないから、多分わざと描かなかったんだと思う。ほら、こことか」友樹が指を指して説明しようとしたその時、


ミシッ


 三人は同時に天井を見上げた。二階だ。

「良雄叔父さん……だよな?」

「多分。というか、もっと大事なことがある」

「大事なこと?」

「今思いついたんだけど、これだけ騒いで返事が無いってことは」

「私たちにまだ気付いてないし、もしかしたら何やってるか覗けるかも」由美が台詞を引き継いだ。

三人は顔を見合わせ、同時にうなずいた。やるなら今だ。

友樹は素早く無言で、二階へ上がる階段に一番近い座敷の引き戸を指さした。二人は頷いて応えると、友樹の後を最高級の忍び足で追う。

「階段、滑りやすいから気をつけてね」

 小声でやりとりしながら無事に階段を登り切り、寝室、客室をゆっくり通り過ぎる。近づいていくと案の定、明の書斎のドアが薄く開いているのが分かり、そこから良雄のものと思われる鼻歌が小さく聞こえてきた。床が三人の体重できしむ音で友樹の心臓が縮み上がる。ドアの前で三人は立ち止まり、互いに目配せをすると、三者三様に覗き始めた。


 書斎の中にいたのは、思った通り、良雄だった。馬鹿でかいヘッドホンを付けて、書斎のいくつもある本棚の中の一つの前で本をパラパラとめくっていた。このヘッドホンのせいで呼び鈴も声を呼んでも返事が無かったのだろう。甥っ子と友人たちから覗き見られているとはつゆ知らず、御機嫌に鼻歌を歌っている。そうしている間にも、良雄は手元の一冊を本棚に戻し、次の本をパラパラとめくり始める。このあたりから友樹は良雄が何をしているのか気がついた。鍵を探してるわけじゃない。本だ。何かの本を探している。わざわざ中身を確認していると言うことは、目当ての物がどんな見てくれなのか知らないのだろうか。

重要な点は、良雄がその捜し物、もしくは探しているということ自体を友樹たちに知られたくない、と考えていると言うところだ。そう考えると、良雄がやっているのは、鍵探しに関係することでは無い。もしかしたら、由美の戯れ言に近いことを、本当にやっているのかもしれない。直之と一緒に妄想だと笑ったはずなのに、こうして怪しげに書斎を漁っている良雄を見ると、友樹の中でその妄想が形になって、むくりと起き上がってくるように感じた。


想像と妄想が脳内で二人三脚を開始していたせいか、直之に肩を叩かれるまで、友樹は自分が扉の前で中腰の姿勢まま固まっていたことに気付いていなかった。直之が声を潜めながら指で階下を指し示す。

「由美が一旦下に降りたいってさ」

「喉が渇いたの」由美も小声で会話を参加する。

「先に降りてなよ。台所は階段を降りて突き当たりを右にある」

「了解」足音を忍ばせながら、由美は廊下を引き返していく。それを見送って、直之は友樹に問いかけた。

「どうする? 入っちまうか?」

「……やめよう。何の用意も無く問い詰めても、のらりくらりされるだけだろうし。それにこれ以上叔父さんとの関係に角を立たせたくない」

 直之は、それもそうだな、という風に頷くと、ゆっくりと振り返り、そろそろと元来た廊下を戻っていく。もう一度書斎の中の様子を確認し、友樹も後に続く。階段を半分ほど降りると、ようやく安心して普通に話せるようになった。

「にしても、叔父さんが何してたと思う?」

「多分だけど、様子を見た感じ、何かの本を探してた様に見えた」

「やっぱりか。俺もそんな感じに見えた。少なくとも、鍵を探してる訳じゃなさそうだな」

「本当に、何してるんだろうね。本を探してるのなら、葬式の夜に倉庫で何をしてたんだって話だし」

「そうか、そっちのこと忘れてた。本探すんなら、倉庫なんかいくわけ無いよな……あれ?」

 二人は一階の台所の前まで来ていた。当然その辺りに由美がいると思ったのだ。が、いない。

「台所の場所、分からなかったのか? あいつ」

「いや、多分ここに来た後、別の部屋に行ったんだと思う」友樹はシンクに置かれたコップを指さしながら言った。

「じゃあ、座敷かな。あいつ屏風に興味あるみたいだったし」


 何気なく、今由美は座敷に一人でいるのか、と友樹は思った。一人で、あの屏風と。なぜか胸騒ぎがした。凄く、嫌な予感がした。

 勝手に足が前に進む。直之が「おい、どうした」と言っていたが、構わずに友樹は座敷の引き戸に手を掛けて、気がついた。音がする。ひゅう、ひゅう、と一定間隔で。何の音だ?

胸のざわつきが最高潮に達し、友樹は一気に引き戸を開けた。


 友樹の目に飛び込んで来たのは、座敷の真ん中で棒立ちになっている由美だった。ひゅう、ひゅう、と掠れたような呼吸をしている。いや、立ってるだけじゃ無い。


 見ている。額にしわを寄せて、可能な限り瞼を見開いて、ただただ凝視している。何を。


 視線の先には、あの屏風があった。


友樹は弾けたように走り出し、由美と屏風の間に割り込んだ。両肩をつかみ、激しく揺さぶる。

「おい、しっかりしろ!」

 突然、由美の目の焦点が合った。ヒュー、と音を立てて息を吐くと、崩れ落ちるように座り込む。顔色がとんでもなく悪い。

「おいおい、マジでどうしたんだよ」数秒遅れて直之が座敷に入り、由美の様子に軽く目を見開いた。

「聞いてた話と、違うんだけど」小さく呟いて、両腕をこすりながら由美がフラフラと立ち上がる。大して冷房の効いていない座敷にいたはずなのに、シャツから覗く両腕は鳥肌がビッシリ立っていた。

「聞いてた話?」

「水を飲んだ後、暇だったからその屏風をもう一回じっくり観察しようと思って、それで、正面に立った途端に」

「あの『誰か』を、見たんだ」

「うん、その屏風の裏から、ずっとこっちを見てきた。正直滅茶苦茶怖かったけど、『これが友樹の言ってたやつか』って考えられる程には頭は回ってた。でも、その後に屏風の誰かが消えたと思ったら、なんていうか、白昼夢っていうの? 突然幻っぽいのを見たの」

「え」

 友樹は思わず声を漏らす。

「それで、どうなったの」

「内容はぼんやりとしか覚えてないんだけど、テレビの番組を切り替えるみたいに、一瞬暗転して、気付いたら誰もいない大通りを、誰かに追いかけられてた。で、私は裸足だった」

 まだ落ち着かないのか、由美は両腕をこすりながら座り込んだ。

「夢の中ではひたすら逃げ続けてたんだけど、突然肩を掴まれた感触があって、驚いて立ち止まった瞬間にまた暗転して、気付いたら友樹に揺さぶられてた」

「え、ちょっと待ってくれ。本気で言ってるのか」信じられない、といった口ぶりで直之が由美を見つめる。

「冗談とか、ドッキリとかじゃ無いよな」

「なわけないでしょ」ようやく平常運転に戻りつつある由美が、眉間にしわを寄せる。

「じゃあなんだ、本当にこの屏風には化け物が取り憑いてるのか」

「だからそうだって言ってるじゃん」

「分かった、一旦整理しよう」

 直之は一歩後ずさりして屏風から距離を取りながら、額に手を当てた。

「まず、友樹。お前は祖父ちゃんの葬式の夜に、例の怪異に出会った。それが初めてだったんだな?」

「そうだね。物心ついたときからこの屏風は座敷にあったけど、この手の体験は一度も無かったし、話に聞いたことも無い」

「そして由美。お前はお前でついさっき同じ怪異を目撃して、ついでによく分からん白昼夢まで見た」

「その夢について、他に何か覚えてることは無いの?」

 友樹の問いに由美は肩をすくめた。

「覚えてたら話してるよ、どんどん記憶が曖昧になってる気もするし」

「いや、やっぱりおかしい」

 直之は突き刺すように屏風を指さした。

「落ち着きすぎなんだ。そこまで恐ろしい思いをしたのなら、屏風のある座敷から出て行きたいってなるだろ、普通」

「……うーん。説明が難しいんだけど、別にこの屏風はそこまで怖くないの」

「矛盾してるじゃんか」

「下手かもしれないけど、例えるなら毒蛇は怖いけど、そいつを閉じ込めてるケージそのものは別に怖くない感じ。で、ケージが屏風ね。伝わるかな?」

 もどかしそうに由美が説明する。

「友樹もそうだったのか?」

「僕も上手く言葉に出来ないけど、大体そんな感じ」

 なんて言えばいいのだろう。友樹は歯がゆい気持ちで頭を掻いた。以前誰かがピッタリの例えをしていた気がするのだ。もうはっきりとは覚えてないけど。

「まあ、それを置いておいてもだ、なんでお前が幻を見て、友樹は何も無かったんだ。あと夢の中でお前を追いかけてたのは誰なんだ。それから」

「あーもう、私は分かんないって。こっちだって被害者なんだから」

 由美の声で一旦は押し黙ったが、未だに半信半疑といった表情で、直之は屏風と由美を順番に眺めている。友樹自身も屏風をじっと見つめていた。『あの誰か』は自分の妄想では無かった。しかし、分かったことはそれだけだ、とも言える。せいぜい悪夢が現実になっただけで、「なぜ、どうして」という疑問はそのままだ。そもそも友樹はこの屏風が一体いつからここにあり、誰が作ったのかさえも知らないのだ。



 ピンポーン、という極めて状況に合わない、脳天気な音が母屋全体に響いた。三人はビクッと体を動かし、同時に顔を見合わせ、つと上を向く。相変わらず二階からはまったく反応がない。

「これは、俺たちが行った方が良いのか」

「そうだね」

 という訳で三人は連れだって玄関に向かった。絶対に三人も必要無いが、誰も一人きりで座敷に残りたがらなかったのだ。

「あれ、友樹君と……お友達かな?」

 訪問者は長谷麻衣だった。友樹は自分達がここにいる理由を手短に説明し、直之と由美に彼女との間柄を話すと、逆に麻衣に質問をした。

「叔父さんに何か用ですか? 上にいるので必要なら呼んできますけど」

「ああ、もういいの。昨日の夜中に、土蔵の鍵が無くなった、って知らせが来て、正直私は明さんの親戚でも何でも無いけど、良雄さんが不慣れなお店に手間取ってたらいけないと思ってね。とりあえず来てみたんだけど、友樹君たちがいるなら安心だよ」

 良雄さんによろしく言っておいてね、と言い残して麻衣は帰って行った。車でわざわざやってきたようで、玄関越しに良雄のとは別のこぎれいな軽自動車が見える。

風のように到来し、風のように去って行った麻衣に、少々面食らった様子の由美が口を開いた。

「なんか、不思議な人だね」

「え、そうかな」

「だって歴が長いって言っても、所詮はバイトでしょ。すごく勤め先に献身的というか、私だったら無視だけどな」

「うん。『お前なら』、な」直之は鼻で笑った。それを見て友樹は、いつの間にか三人に纏わり付いていた、不気味な『誰か』による微妙な緊張がほどけたことに気がついた。麻衣さん、ありがとう。


座敷に戻って壁に背中を預けながら、直之は、ところでさ、と真顔になった。

「なあ、本当に見たんだよな」

「え、まだ信じてないの? 私も友樹も見たって言ってるじゃん」

 不愉快そうに由美は直之を睨め付ける。

「いや、もうお前らが嘘ついてるとは思ってない。さっきまで由美の顔真っ青だったしな」

「じゃあ良いじゃん」

「ただ、まだ俺は自分の目で確かめてない」

「この現実主義者め」友樹は直之を肘で小突く。

「それなら、ナオも見てみれば良いじゃんか。正直言って全くオススメしないけど」由美はあの不快感と嫌悪感を思い出したのか、顔をしかめて

「結構ろくでもないよ」と言った。

 友樹もその通り、と頷いてみる。

 直之は真剣な表情の二人を見て、一つため息をつき

「分かった、信じよう」と言った。

「なんだそのため息。気に食わないなあ」由美は少々不満げに呟く。

「まあ、とりあえず、座敷に一人で入るのは止めた方が良い。僕も由美も、一人で座敷にいたときにアイツを見てる」

「確かに、言われてみればそうだね」

「あと、何か特徴というか、条件ってあるかな」

「強いて言えば、良雄叔父さんがいっつも近くにいる、とかだろ」

「……まさかね」友樹は苦笑いした。確かにその通りだし、良雄は十分過ぎるほど胡散臭いが、この心霊現象と関わりがあるとは思えなかった。


「おーい。もしかして皆母屋にいるのかい?」二階から緊張感のない間の抜けた良雄の声が、二階から降ってきた。三人はお互いの顔を見て、いっせーのーで指をさす。友樹は直之に、直之と由美は友樹に。友樹は肩をすくめて廊下に出て、階段に向かって声を張り上げた。

「いますよー。皆座敷にいます」

「そっか。じゃあそろそろご飯にしよう。あ、そうだ」

「どうしました?」

「忘れてたよ。鍵って見つかった?」

 なるほど、こっちもすっかり忘れてたな、と友樹は思った。

「結構しっかり探しましたけど、店内には無かったです」

「そっかー、ありがとうね。お昼は炒飯だよ」

 果たしてこの「そっかー」は、『見つからなくて残念だね』なのか、『俺が隠したから見つかるわけないよね』なのか。声を聞く限り友樹には分からなかった。



 パキッと音を立てて、シャープペンの芯が折れた。折れた芯はそのまま机の上を低空飛行して、参考書のページの間に飛び込む。集中出来てないな、と友樹は思った。

「ねえ、誰か五十六ページの問題解けた?」由美の声がイヤホン越しに聞こえる。マイクと口の位置が近いのか、少々音量が大きい。

 集中出来てない原因は明白だった。「色々気になることもあるし、今夜三人で電話しよう。課題やりながらでも全然良いから」と寺島道具店からの帰り道で由美が提案したのである。軽く了解の返事をしたのだが、想像以上に通話しながらの夏休みの課題の消化は気が散る。もう三十分は経っているが、見開き一ページもワークが進んでいない。

「ちょっと、返事してよ!」反応の無さにしびれを切らした質問者が、まあまあな声量で助けを呼ぶ。

「はいはい、その問題はまずXを移項して……」直之が耐えかねた、といった様子で説明を始めた。

 昼ご飯を食べた後、三人は倉庫を探してみた。土蔵の鍵はもちろん、あわよくば葬式の夜良雄が何をしていたのか手掛かりを掴もうとしたのだが、残念なことにヒントらしい物をただの一つも見つけることなく夕方になり、良雄のねぎらいの言葉と共に帰路に着いたのだった。

 一応、昼食中に良雄に鎌を掛けてはみた。「書斎で何をやっていたんですか」と聞いてみたところ、盛大に咽せ、慌てて水を飲んでまた咽せ、肩で息をしながら「もちろん、鍵を、探してた、だけだよ」と言い、「電子レンジが壊れてたから、買い直さなきゃな」などと話題を逸らした。例に漏れず胡散臭い。

「なあ、本当に何もあの屏風について分からないのか?」どうやら由美に数学の問題を教え終わったのか、直之がおもむろに問いかけてきた。

「だから知らないって。土蔵の鍵の場所だって分かんないのに、影の薄い屏風の来歴なんて、親戚中に聞いたって無駄だと思うよ」

 倉庫を捜索中に、暇つぶしがてら例の屏風のことを話し合ったのだ。が、建設的だったかと言われると、やや苦しい。そもそも、友樹自身があの屏風について何も知らなかったからだ。

「何も?」由美が倉庫で木箱を棚に戻しながら、素っ頓狂な声で聞き返した。「そんなことってある?」

「いやいや、今ならあんなとんでもない屏風のことを、忘れてくれって言う方が無理があるけど、正直なところ、僕はあれのことを葬式の夜まで全く意識してなかったんだ」

 そう言われてもう一度屏風の見てくれを思い出したのか、由美は中空を見つめると、「まあ、確かに」と呟いた。

「僕から言えることといえば、せいぜい、気付いたときから有ったってことぐらい」

「それは、友樹の祖父ちゃんが店を引き継ぐ前から有ったってことか?」直之が棚から降ろした箱を慎重に開けながら、聞いてくる。中身は大きなひびの入った急須だ。

「あー、ごめん。そういう意味じゃない。ただいつから有ったかはっきり分からない、って言う意味。要するに僕の記憶がはっきりしてないぐらい昔から有るってこと。十年は確実に超えると思うよ」

「じゃあ、お祖父さんはあの『誰か』について何か言ってた?」ダメ元で、という感じの質問を由美が投げつけてくる。

「聞いたこともないな。僕に黙ってただけかもしれないけど」

 こんな感じで大して新しく分かったことなど何もなかったのだ。

「何も分からないってお前は言うけどな」直之の返事で友樹の脳味噌は現在に引き戻された。

「俺は帰ってから、ちょっと調べてみたんだ」少し自慢げに直之は言った。

「調べることなんて、あったっけ」音量がやや落ち着いた由美の声が問いかける。

「屏風に描いてあった、鬼ごっこみたいな遊びをしてる子供たちの絵があっただろ」

「ああ、あれね」

「あの遊び、盲鬼って言うらしい」

「メクラオニ?」友樹は思わず聞き返した。なんだそれ?

 直之曰く、盲鬼は現在の鬼ごっこの最も古い形らしく、特徴として仮面を着けた鬼が人の子を追い回すという設定があったらしい。正直、仮面を着けた鬼の役がいる、というところしか一致していない気もするが、逆に「仮面を着けた鬼ごっこ」に当てはまるのが、これしか無かったとも言える。

 直之の報告が完了してから数秒開けて

「……で?」と由美が言った。友樹も全く同じ気分だった。

「なんだ。反応が薄いな」

「内容の濃い報告をしてから言ってよ。それに多分、覗いてくるアイツと関係ないでしょ、その盲鬼ってやつ」

「そうか?」

 確かに、覗き魔と最古の鬼ごっこに大した関連はなさそうだった。

「そんなことよりさ、私今話してて気付いたことがあるんだけど」

「内容の濃い報告を頼むぞ」

「ナオ、うるさい」ドスの利いた声で直之を黙らせると、由美は

「ほら、店の商品の名前とかをまとめる、書類みたいなのってあるじゃん。なんて言うんだろ、『商品リスト』?」ともどかしそうに言った。

「うん、あるよ。祖父ちゃんパソコン上手くなかったから、紙媒体だけど」

「その商品リストにさ、屏風のこと載ってるんじゃない?」

「どうなんだろう。正直元商品じゃなかったら絶対載ってないけど、祖父ちゃんのことだから、売れ残りを母屋で使うぐらい平気でやりそうな気もする」

「言ってたもんな。友樹の祖父ちゃん、『道具』であることを大事にしてたんだっけ」

「で、商品リストはどこにあるの?」

 由美の問いに友樹は簡単に答えることが出来た。いや、答えようとした。けれど、出来なかった。なぜか。

「……母屋の二階の、書斎」

「え」

「は?」

 一拍おいて、直之が口を開いた。

「ってことは、良雄叔父さんが探してたのは、商品リストなのか」

「多分そうだと思う。あの部屋の貴重品類は遺品整理で全部片付けて有るはずだから、あの部屋にある物は祖父ちゃんの蔵書と商品リストぐらいしかない」

「それにわざわざ本を開いて確認してたこととも辻褄が合うね。叔父さんは商品リストの見た目を知らなかったんだろうな」


 友樹は考え込んだ。商品リストを探していた、ということは店の商品か在庫かについて知りたいことがあったと言うことだ。そして良雄は以前に倉庫を漁っていた。時系列にすると、①何らかの商品に用があり、まず倉庫を探した。②しかし目当ての物がなかったため、商品リストで確認しようと、取り敢えず本が大量にある書斎に目を付け、探した。……そうすると、鍵が無くなったのはなぜだろう。在庫の殆どが保管されている土蔵の鍵を、商品を探したい人間がわざわざ隠すだろうか。そうなれば、第三者が鍵を盗み出した、ということになる。

 数秒間友樹は思案した。が、全く分からない。第三者が登場した時点でもう理解不能だった。しかし、やらなければならないことは、はっきりした。まず、商品リストを探し出し、例の屏風について調べる。次に、良雄が何について知りたがっていたのか、同じく調べる。少なくとも、良雄はやましい何かをしようとしているのは確かなのだ。というわけで


「明日、もう一回僕一人で行ってみようと思う」

「え、また行くの?」由美は驚いたような声を出す。

「うん、早めにどうにかしないと手遅れになる気がするし、純粋に気にもなるんだ」

「また手伝いに来たってことにするのか?」直之が不安そうに聞いた。

「それでもいいんだけど、いざというとき邪魔が入るのは避けたいから留守を狙うつもりだよ」

「叔父さんがいつ店を空けるか分かるわけ?」

「今日の昼食中に『電子レンジを買いに行く』って言ってた」

「もし居たら?」直之が鋭い質問を投げる。

「諦める。近所の電気屋まで結構あるから、いるかいないかは、車があるかどうかで判断できる」

「どうやって入るつもり? 確実に母屋に鍵掛けて行くでしょ」

「縁側の窓の鍵が壊れてただろ」

 連投された質問に次々と答えた雰囲気に気圧されたのか、二人は「取り敢えず、気をつけろよ」とだけ言って、通話は終わった。

 静かになった部屋で、友樹は何故自分がこんなにも熱くなっているのか、つと考えた。厄介事や面倒事はお断りだったはずなのに。

 多分、と友樹は心の中で呟いた。多分、明の店が部外者に無理矢理変えられ、荒らされることをまだ許せていないのだ、あの古道具屋が悪意によってねじ曲げられるのを見たくないのだ、そう思った。

 友樹はまた、葬式の夜とは違った理由で、よく眠れなかった。

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