第三十二話 男の子の意地は女の子が破る


 不本意な可愛い認定されたあの日以降。ツギコとローズがお見舞いに来てくれた。


「お見舞いに来たよ、お兄ちゃん」

「よ、元気かいハジメ?」

「ツギコッ! あとローズ」

「なんだその付け足した感は?」


 ちなみに彼女は他のクラスメイト達と同様に、あの時のことをほとんど覚えていないらしく、林間学校へ行く途中にいきなり眠くなり、起きたら何故か家に帰っていたとのこと。

 それについては集団で特殊な高山病にかかり、バスが自損事故を起こしたという説明がされたらしい。いくらなんでも理由が雑過ぎないか、とも思ったが、この症状は前例がない為に精密検査が必要という名目をつけることで、拘束されていた全員の身体を確認することもできたそうな。


 上手いのか下手なのかよく分からない対応の仕方とはなったが、とりあえず生徒間から苦情は出なかったみたいだ。なお、キョウシは一身上の都合で急遽転任が決まった、という話になっていた。


「でもお兄ちゃんだけ重症だったなんて、本当に心配したんだからね?」

「ごめんなツギコ。でもほら、元気だからさ」

「にしても色々と力業だよなあ、これ」


 なお僕だけこうなったのは、高山病による自損事故で一番の被害を受けたからということになっているらしい。後方の窓側の席に座ってた僕がピンポイントで怪我をしているということで、バスもそのように壊されたのだとか。

 ローズもボヤいてたが、いくらなんでも力業が過ぎると僕も思っている。でもそういうことになっている辺り、我が子に余計なことを知られたくない、という圧力もあったんじゃないかと思った。


「じゃ、早く元気になってねお兄ちゃん。またクレハさんと四人で、ダブルデートしようねっ!」

「ああ、もちろんさッ!」

「じゃあオレも帰るな。あっ、あと見舞い代の支払いよろしく。ジャストナウ」

「誰が払うか、お見舞いに金銭が発生するなんて聞いたことねーよ」


 存分にツギコニウム(ツギコからしか取れない癒し成分)を摂取し、ローズと客以上友達未満のやり取りをした後で、彼らは帰っていった。その後に入れ替わるようにしてやってきたのが、ベルさんだった。


「調子はどうだい、クソガキ?」

「だいぶ良くなったよクソババア」


 白髪の前髪をかき上げた彼女は、相変わらず歳を感じさせない。


「よくクレハさんの採用を認めさせましたね」

「前々から打診はしてたからね。今回の事件で彼女も大いに手伝ってくれたことを、所々付け加えた証拠付きで提出してやったら、一発だったよ」


 書類偽装じゃないのかとも思ったけど、僕は何も言わなかった。絶対にベルさん、それ以外にも何かしらの力を働かせてると思うし。


「で、特殊な高山病はいつ治るんだい? 現場のアンタがいないとダメだってのに、早く林間学校の代替イベントを企画しろってせっつかれるんだけどね」

「生憎、この高山病は前代未聞だからね。ゆっくり養生させてもらうさ」


 話によれば、中止になった林間学校の続きをさせろと、生徒間から要望が出ているらしい。まあ、楽しみにしてた旅行が中止になれば、そりゃそういう意見も出るんだろうが。

 みんな揃って倒れたっていう割と大きな事件だった割には、神経の図太いクラスメイトだと思う。みんな金持ちのボンボンだし、ワガママって言う方が適切かもしれないけど。


「そうかいそうかい。なら医者に予定を聞いて、復帰後すぐに予定を入れてやるからね」

「あーあー、ちょっと肩が痛いなー。これはしばらく休んでないと、駄目だなー」

「このクソガキが」


 最後に、「今のうちに休んでおきな。また来るよ」とだけ言い残して、ベルさんは病室を後にした。ホント素直じゃない人だ。

 僕が退院できたのは、しばらくしてからのことだった。右肩も元に戻り、リハビリを終えてようやく普段通りに動けるようになったくらいの頃。休日だったから、クレハさんとツギコにローズ、ベルさんの四人が出迎えてくれた。


「お兄ちゃん、退院おめでとう」

「お疲れさん、ハジメ」

「やっと元気になったのかい。じゃあ早速、頼みたいことがあるんだけどねえ」


 ツギコ、ローズ、いきなり仕事を渡してきそうなベルさんと順番に声をかけてくれる中。僕の視線は、一つの物へと吸い込まれていく。クレハさんが手に持っている物が、どうしても見過ごせない。


「退院おめでとうハジメ君。元気になってくれて嬉しいわ」

「ありがとうクレハさん。その首輪、やっと取れたんだね」


 僕が見ていた物は、かつてクレハの首についていた銀の首輪だった。首を離れたそれは、今クレハさんの両手に収まっている。


「えっ、クレハさんのそれって首輪だったの?」


 あっ、しまった。ここには事情を知らないツギコがいるんだった。彼女がびっくりした顔をしていたが、クレハさんは調子を崩すことなく返事をする。


「いいえ、違ったわ。ちょっと壊れて外せなくなっちゃったから、ベルさんに手伝ってもらっただけよ」

「そ、そうだよね。もう、お兄ちゃんったら」


 そんなことがあったんだよ実は、とは言えないのが現実だ。適当に取り繕いつつ、僕はツギコに見えない位置でクレハさんにごめんなさいの手をする。彼女はニコっと笑ってくれた。


「ん? 違った?」


 僕は先ほどのクレハさんの言葉に違和感を覚えた。いいえ、違ったわ、って彼女は言ってた。違うのではなく違ったという、過去形。まるで前はそうだったけど、これからはそうであるみたいな言い方だ。


「あら、流石は私の許嫁君ね」


 クレハさんは、ふふっと笑った後に、手に持った首輪の内側を見せてくれた。僕はもちろんのこと、ツギコとローズにベルさんもそこをのぞき込む。


「なァッ!」

「ええっ!?」

「おいおいッ!」

「おやまあ」


 僕らは一斉に驚愕することになった。シルバーの首輪の内側に刻まれていた一文が、信じられないものだったから。


「は、は、ハジメ様の奴隷っ!?」


 ご丁寧にツギコが叫んでくれた。僕の目がテクニカルな支障をきたしていなければ、彼女が放った言葉は刻まれた文字とびったり一致する。驚愕する僕らを満足そうに見たクレハさんは、その首輪を自分の首につけてみせた。


「これで私はハジメ君の。いいえ、ご主人様の奴隷。大丈夫よ、危ないものは取り除いてあるから」

「どういうことなんだよこれはァッ!?」


 病院の前で、人の往来があるにも関わらず、僕は声を上げた。いや、おい。爆弾がないことは素直に喜ばしいんだけど、それはそれとして何故そんな誤解しか招かない文字を彫ったのか。もう一度、首につける必要があるのか。さっぱり分からない。

 すると僕に近寄り、耳元まで顔を寄せたクレハさんが、小さな声で囁いた。


「素直になれないあなたへの、い、や、が、ら、せ」

「なァッ!」

「あなたが幸せにならないって言うんなら、無理やりにでも幸せにしてあげる。まずはその彼女を作らないなんて意地を、徹底的に壊してあげるわ。みんなにもたーっぷりと見せつけて。言い逃れなんてできない、既成事実を作ってあげるんだから」


 彼女は耳元から離れると、僕の前にひざまずいて見せた。頬を赤く染め、うるんだ瞳を上目遣いで見上げてくる。


「どうか卑しい私めを可愛がってくださいまし、ご主人様」

「    」


 ごめん、絶句しちゃった。本気で言葉が出てこない。脳が眼前の光景を拒絶している。


「ハジメお前、そういう趣味だったのか」

「違うわァッ!」


 ドン引き、といった調子を隠しもしないままに、ローズが声を漏らしている。


「まあ。人の趣味にどうこう言うのは、野暮ってもんだねえ」

「こっち見て言えよこのクソババアッ!」


 自分は理解があるよ、みたいな雰囲気を出しているベルさんだが、露骨に顔を背けていた。おい、こっち見ろ。


「お、お……」

「ッ! ツギコッ! ち、違うんだこれは」


 俯いたままプルプルと震えているツギコだ。僕が弁解しようとすると、クレハさんから酷い追い打ちがなされる。


「私はご主人様の肉奴隷。虐められて喜ぶ豚」

「お兄ちゃんのバカァァァッ!」

「ブヘラァァァッ!?」


 クレハさんの一言で、ツギコは臨界点を越えたらしい。顔を上げた彼女は涙目のままに右手を振りかぶり、僕にビンタを見舞った。手首のスナップが効いた一撃は、僕の左頬を無慈悲に打ち抜き、右向け右を強制される。


「女の子になんてことしたのよっ! このバカっ、変態っ、お兄ちゃんのサディストぉぉぉっ! うわぁぁぁあああああああああんっ!」


 泣きながら、ツギコは走って行ってしまった。


「あーあー、行っちゃった。じゃ、オレはツギコちゃんの後を追うから、SMプレイも程ほどにしとけよ? んじゃな」


 ローズもツギコの後を追っていなくなった。


「盛るなら止やしないが、せめて場所くらい選びな。二時間くらいしたら、また連絡するからね。式には呼ぶんだよ」


 ベルさんも半笑いしながら立ち去った。頼みたい仕事があるんじゃなかったのか、二時間ってなんだ、式ってどういうことだ。問い詰めたいことを、一つも聞けないまま。


「うふふふふふっ」


 事の元凶であるクレハさんは、笑っていた。それはそれは面白そうに、笑っていた。


「大変なことになっちゃったわね」

「一から十までお前の所為じゃねーかァァァッ!」


 しかもこの言いぐさだ。まるで他人事。人が酷い目に遭っていることを笑う、その態度。この日、この時、この場所で、僕は確信を持った。


「僕は君のことが大っ嫌いだ」

「でも私は大好きよ、ご主人様」

「僕をご主人様って呼ぶなァァァッ! ツギコォォォッ! 戻ってきてくれェェェッ! 誤解なんだァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 その日はとても綺麗な青空が広がっていた。雲も少なく、太陽も燦々と輝いているような景色の中に、僕の悲鳴が木霊する。もう一度。もう一度僕は、確信を持って言おう。

 クレハさんなんか大っ嫌いだ。


――『トラウマノコイ』完。

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