第二十七話 人生とは選択の総和だ
「小柳津キョウシ。お前はもう完全に包囲されている。無駄な抵抗は止めて、大人しく降伏しなさい」
警察学校で習った極めて一般的な文言を、僕は言い放った。聞いた話ではローズが出入口のパスワードを握っている為に、脱出艇が発艦できないようにしているらしい。グッジョブ。
「無駄な抵抗だと? それはこちらのセリフだ」
忌々し気に顔をしかめていたキョウシだが、一度息を吐いた。銃口をこちらから倒れているツギコへと向ける。
「上運天ハジメ。こっちには人質がいる。言うことを聞かなければ、こいつの命はない。分かったら武器を下せ」
放たれたのは、これまた犯人の定型文だった。完全に僕への当てつけだろう。
「武器を下ろそう、クレハさんにローズ」
僕は左手を、クレハさんはハサミを、ローズはサブマシンガンを下した。ここで下手に刺激して、ツギコの身に危険が及ぶことだけは避けたい。
「聞き分けの良い子達だ。通信簿に花丸をつけてやろう」
「それはどうも。で、ツギコは離してくれるの?」
「まだだ、こちらからの要求はいくつかある。まずは樫宮君、ハッチを開けろ」
キョウシはローズが塞いだ脱出口の方へと、一度目線をやる。要求されたローズは、先ほどと同じように空中に画面とキーボードを映し出した。タイピングを終えた後で、ガチャリ、という鍵の外れた音がする。
「確かに開けたぜ。今なら脱出艇からも操作できる筈だ」
「よくやった。君はもう用済みだよ」
「ガッハッ!」
ローズはキョウシに撃たれた。胸に弾丸がめり込んだ彼は、その場に倒れ込む。
「動くなッ!」
彼を抱き起そうとしたが、キョウシの一喝が響き渡った。僕もクレハさんも動きを止め、ゆっくりとキョウシに視線を送る。
「私が良いと言うまで、大人しくしていたまえ。こちらの要望は、まだ終わっちゃいない。最も、この子の命が惜しくないというんなら、話は別だがね」
ニタニタと笑いながら、キョウシはツギコへと銃口を向けている。僕は舌を打った。
「それで? 後は何をご所望なのかしら、猿山の大将さん?」
「流石はその猿山の大将の下にいた雌猿。言うことが違うな。なあに簡単なことさ。上運天ハジメ」
クレハさんの嫌味をあっさりと返したキョウシは、僕を見て笑った。
「卜部君を撃ち殺せ」
「なッ!」
奴の要望は、信じられないものだった。
「何を驚いているんだね。君はプールサイドで、ウチの構成員に容赦なく弾丸を撃ち込んでいたじゃないか。やることは一緒だ」
「僕に、クレハさんを撃てなんて」
「そうだ、お前が撃ち殺すんだ。散々邪魔してくれたお前に、私からの嫌がらせだよ」
クレハさんと僕の叫び声に耳を貸さないまま、もう一度キョウシは言った。心底楽しそうに、奴は言い放った。
「選べ、上運天ハジメ。双子の妹か、偽りの許嫁かを」
選ぶ。僕が、選ぶ。ツギコか、クレハさんかを。僕は倒れているツギコを見た。
「ハジメ、君」
クレハさんにも視線を向けた。両腕を掴み、胸のあたりに持っている彼女の顔色は悪い。胃に重いものを感じている僕も、多分似たような表情をしているんじゃないかと思う。
「さあ、早くしろ。モタモタしているなら首輪の爆弾を起動させて、私が卜部君も殺す」
キョウシの言葉に、思わず僕は左手をクレハさんへと向けていた。ツギコだけではなく、奴はクレハさんをも殺すことができる。二人とも失うかもしれないと思ったら、居ても立っても居られなかった。
(この、光景は。あの日の)
僕には、この状況に見覚えがあった。父さんが錯乱してツギコを人質に取った、あの時のこと。向けた左手の人差し指が震えてくる。また僕は、選ばなければならなくなっていた。
「私を殺して、ハジメ君」
クレハさんが薄く笑った。
「どうせ、私は死ぬつもりだった。私はクラスメイト達の誘拐に加担した、薄汚い犯罪者。あなたと生きていく資格なんてないわ。なら、せめてツギコちゃん救出の一助となりたい。あなたの役に立って、死にたいわ」
「やめてくれ、クレハさんッ!」
彼女の声を聴きたくないと、僕は大きく口を開けた。
「君は僕の話を知っているんだろう? 僕はあの日、ツギコを選んだ。でもそれが正しかったなんて、これっぽっちも思っちゃいない。本当は父さんなんか撃ちたくなかった。ずっと、ずっと後悔してるんだッ!」
それは僕のもう一つの
「そんな言い方しないでくれ。それじゃ僕が納得しちゃうじゃないか。僕は、君のことが」
「だからよ、ハジメ君」
必死な声を上げる僕とは対照的に、クレハさんの声色は優しかった。
「家族のことで重荷を背負っているあなたに、私のことまで背負って欲しくない。私は私の意志で死ぬの。あなたが気に病むことなんてないわ。そもそもこうなったのって、私の所為なんだもの。悪い人間が一人死ぬだけ。あなたには、何にも悪くないわ」
クレハさんは、全部分かってたんだ。知った上で、こう言ってきてくれていたんだ。その優しさが、僕の胸を締め付けていく。臓器を丸ごと絞られているかのような心地に、顔が歪んだ。
「あ、あああっ。クッ、うううッ!」
「ハーッハッハッハッハッ。無様だな、上運天ハジメ」
キョウシは笑っていた。悩み苦しんで、片手で頭を抱えている僕を見て、笑っていた。
悔しかった。こんな奴の言いなりになって、悩みぬいている自分が、酷く情けなかった。やり場のない怒りを発散する方法も分からなくて、僕は左手を握り、自分の太ももへと振り下ろしていた。
「痛ッ!」
太ももに痛みが走った。いや、殴りつけたんだから当然なのではあるが、それにしても酷い痛みだった。まるで拳以上の固い何かが、太ももに刺さったような鋭い痛みが。
「ッ」
左のポケットに入れていたものがあったことに、僕は気が付いた。同時に、僕の中にここにいない彼女の顔と、閃きが駆け巡る。僕が選ぶべき、道が。
「クレハさん」
いつの間にか、海水は僕らのいる部屋にも流れ込み始めていた。また足元を薄く濡らす程度だけど、このままじゃ床に倒れているツギコが溺れるかもしれない。悠長にもしていられないと思った僕は、目の前のクレハさんに向けて口を開いた。
「僕を殺してくれないかい?」
彼女は酷く驚いた顔をしていた。
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