第二十六話 どんな奴にも事情はある


 小柳津キョウシは子どもの頃から身勝手な男だった。彼は反社会組織の数多いる後継者候補の一人ではあったが、ボスである親のお気に入りであった為、幼い頃から甘やかされて育ってきた。その為に自分のワガママは通るものだという認識があり、通らなかった時には癇癪を起こすような人間だった。


「クソッ、どいつもこいつも役立たずめッ!」

「あなた、お願い物に当たらないで」

「うるせぇッ!」

「きゃあァァァッ!」


 彼は大人になっても変わらなかった。歳を取り、黒い髪の毛が綺麗な親組織の娘を妻としてあてがわれたが、彼はそのままだった。

 裏社会の抗争は彼一人でどうにかなるものでもなく、辛酸を舐めさせられることも多い。日々のストレスを上手く発散できず、やがては髪の毛に白髪が交じり始める。彼はずっと不機嫌であり、少しでも気に入らなければ癇癪を起こし、家の物や妻に当たり散らした。


「もう限界です。あなたとは離婚させていただきます」

「は?」


 ある日の黄昏時。そのような日々に耐えられなくなった妻から、離婚を切り出された。キョウシは激高した。


「ざっけんなこのクソアマァァァッ!」


 彼は妻の髪の毛を掴むと、怒りのままに水を貯めた洗面台に叩きつけた。


「ごぼがぼ、あ、なた、ごぼぉ、やめっ」

「たかだか妻の分際でッ! お前までッ! 思い通りにならんのかッ!? 大人しく、言うこと聞いてりゃ、良いものをッ! このッ、このォォォッ!」


 キョウシは洗面台に、妻の顔を押さえつけていた。暴れる彼女を見て更に怒り狂い、強く強く押し付ける有様だった。少しして、彼女は全く動かなくなった。やっと静かになった、と彼が一息ついた次の瞬間。一気に現実がのしかかってくる。


「あっ、あっ」


 妻を殺したという事実。人殺し自体は日常的に行っていたので、そこまで忌避感はなかったのだが、問題はその相手だ。キョウシの妻は、彼が所属する親組織の幹部の娘である。彼の一存で生死を決めて良いような存在ではない。

 そんな妻を、彼は殺めてしまった。その後に起こるであろうことが、彼の頭の中に想起される。自身が組織から完全に見放され、報復として残虐に殺されるであろうことを。自分の、破滅を。


「ああああアあああぁあァアああああアアアあああァあああああぁぁあああアアッ!」


 一時の激情によって自分がやらかしたことが、彼の心的外傷トラウマとなった。自業自得なその絶叫は、形を成して現れる。彼の右腕に浮かんだ、白い人形のような紋章。そして。


「OOOOOOOOOOOOOっ!」


 彼の目の前に突如として現れた、女性の――いや、彼の妻の形をした、ゲル状の心的蓋章トラウマ。膨れ上がったその巨体を見て、彼は口角を上げた。力を得た、と。


「今日からこの組織は私のものだ。逆らう奴は皆殺せ、【傀儡伴侶ドールズワイフ】」

「ギャァァァッ!」


 キョウシは心的蓋章トラウマに目覚めた後に、自身が所属していた組織に対して反旗を翻した。彼の心的蓋章トラウマは強力であり、止められる輩はいなかった。親組織のボスすら葬り去り、全てを手中に収める。組織名を『黄昏の傀儡』と改め、彼は思うままに振る舞い始めた。


「力だけでは、やっていけん」


 組織の運営というものは、彼が思う程に簡単なものではなかった。取引をしていた他の組織にも心的蓋章トラウマ持ちはおり、彼一人で対処できるような、甘い世界ではなかったのだ。実績もない新興組織として、下に見られ続ける日々。早々に壁にぶつかった彼は、一つの賭けに出る。


「一つ大きな事を起こそう。狙うは将来学院の生徒だ」


 キョウシは冷静に計画を練り始めた。心的蓋章トラウマに目覚め、蓋章クレストが感情に蓋をしてくれた為に、怒りっぽい性格が緩和されたのだ。


「他組織からのバックアップも取り付けた。利益の折半は痛いが、実績作りと今後の取引への足掛かりになる」


 とある組織が、彼の思惑に乗ってくれたのも大きかった。後ろ盾を得られたことで、彼は計画を実行に移した。自分自身で将来学院に潜入し、内実を把握。真面目に働いて信用を得つつ、障害となりそうな警察のハジメとベル、情報屋を営んでいるローズ等について調べる。

 拾い物であったクレハを利用して警察の連中を撹乱しつつ、見事に一学年の生徒全員を誘拐することができた。後は追跡し辛い海上にて、バックアップをしてくれたとある組織の連中を接待しつつ、子ども達を売り捌いて逃げるだけ。全ては上手くいっていた筈であった。



 小柳津キョウシは忌々し気に、脱出艇の操縦席を叩いた。ハジメとクレハを傀儡伴侶ドールズワイフに任せ、一人で隣の部屋にあった脱出用の脱出艇に乗り込んだ彼。床には縛ったツギコが横たわっていて、未だに意識は戻っていない。

 必要最低限のものは積み込み終えている。後はこのまま大海へ出て行方をくらますだけではあるが、脱出艇が海中へ出る為の出入り口が、一向に開かないのだ。管理システムに入り、管理者権限でこじ開けようともしたが、何故かパスワード認証の段階で弾かれていた。


「何故ハッチが開かん。故障したか、この土壇場で? クソが。もう一度」

「無駄だぜ、キョウシ先生」


 すると脱出艇の外から声がした。キョウシが視線を上げてみると、窓の外には少し長い前髪を真ん中で分けたセンターパートの金髪に、サイドに隠しツーブロックを入れた髪型に黒目を持ったイケメン。不敵に笑っている樫宮ローズの姿があった。


「このシェルターの管理者パスワードは書き換えてやった。持つべきものは、プログラミングに強い友達ってね」

「樫宮、君? 君は確か、我が妻の一撃で倒れていた筈では?」

「ああ、あれアンタの奥さんだったのか。よくもまあ、あんな重たい一撃くれたよな? しばらくは動けなかったぜ。さってと。んじゃ、取引と行こうぜキョウシ先生」


 サブマシンガンを持ったまま、余裕の表情を崩さないローズに対して、キョウシは苛立ちが募っていた。


「アンタが持ってるツギコちゃんと、オレが持ってる変更した管理者パスワード。こいつを一対一でトレードと行こうじゃないか」

「状況が分かっているのかね?」


 キョウシは倒れているツギコを担いで脱出艇から出ると、足元に転がす。続けて懐から取り出した拳銃の銃口を、彼女へと突きつけた。


「何を勘違いしているかは知らんが、主導権は私にある。彼女の命が惜しくば、すぐにパスワードを教えることだ」

「いやいや。ここは手打ちにしとこうよ、キョウシ先生。欲張って捕まったら、元も子もないだろ? ここは命だけ拾って、さっさとトンズラすんのが賢明だと思うけどな」

「それは君の都合だろう? 私からすれば、君こそこちら側につくことが賢明だとは思うがね……君の家族の為にも」


 ローズがピクリと身体を揺らし、息を呑む。キョウシはニヤリとした笑みを浮かべた。


「調べたからね、君の家庭事情くらいは知っている。法外な金額で売られた家族を丸ごと買い取る為に、君は情報屋なんてやっているんだろう?」


 何も言わないローズに対して、キョウシは笑みを浮かべたままで続ける。


「大変だね。日本人の血を引いていて、なおかつ顔が整っているというのも。両親も兄弟姉妹も、みんな良い値段で売られていったんだろう? 今頃、彼らはどうしているんだろうね。運よく良い人間の元に買われた君みたいな境遇なら、まだ救いがあるが、下種な人間の元に行けば」

「黙れ」


 低い声でそう唸ったローズに対して、キョウシは一層の笑みを浮かべる。


「君程の情報屋が、家族の現状くらい解っていない訳がないだろう? 特に母と姉は、酷い有様の筈だ。あんな扱いを受けていれば、心が壊れるのも時間の問題」

「黙れッ!」


 響き渡ったのは、ローズの咆哮。整った顔に怒気を漲らせて、キョウシを睨む。


「そんなこと知っている。オレがこうしている間にも、父さんは、母さんは、兄弟姉妹のみんなは」

「ならば私につかないか? 家族を買い戻す金を、用意してやろう」

「ッ!」


 キョウシはローズの一番欲しいものを掴んでいた。売り込みに行ける、確信がある。


「邪魔されたとはいえ、私には人身売買の催し物が開ける程の伝手がある。君が本気で協力してくれるなら、いくらでも稼げるだろうさ。それくらいは解るだろう? 変な義務感なんか捨てたまえ」


 何も言わないローズに対して、キョウシは言葉を重ねていく。


「家族を買い戻すという目的が最優先。ならば、より金が出る方につくべきだ。契約破りの不義理なんか、どうでも良いじゃないか。君の仕事に対する体裁よりも、家族の安全という実を取るべきだ。違うかね?」

「そう、だな」


 重々しく口を開いたローズを見て、今度はキョウシが口角を上げた。


「オレは家族を取り戻す為に、情報屋を始めた。普通に生きて稼ぐだけじゃ、足りないから。危なくても、裏の仕事に手を染めるしか、なかった。オレには、金が必要なんだ」

「そうだろうそうだろう。ならばこの後どうするかは、当然解っているな?」


 キョウシのその問いかけに、ローズは答えない。その態度に、キョウシは苛立ちを覚えていた。早く脱出したいという思いが、彼を急かしていたからだ。


「何を躊躇う必要がある? 私は助かり、君は家族を取り戻せる。win-winの関係じゃないか。もたもたしている場合じゃ」

「だけどな」


 ローズがキョウシの言葉を遮ったその時、突如として天井付近から轟音が響き渡った。続いて聞こえてくるのは、大量の水が落下してくる音と、傀儡伴侶ドールズワイフのものと思われる絶叫だった。


「OOOOOOOOっ!?」

「ば、馬鹿なッ? 傀儡伴侶ドールズワイフの弱点が水だと、何故」


 驚くキョウシを後目に、ローズは再び笑みを浮かべる。


「いくら家族が大事とは言え、沈みゆく泥船に乗るような馬鹿じゃないんだよ、オレは」

「チッ、ならば貴様が死ね」


 キョウシは発砲したが、その間に一人の女性が立ちはだかる。


「【断罪少女セイバーレディ】っ!」

「卜部、君ッ」


 薄紫色の長髪を翻したクレハによって、キョウシが放った弾丸は切り裂かれた。歯噛みしながら彼女の名前を口にしたところでもう一人、彼が担任をしていた生徒がやってくる。


「ローズッ! ツギコはッ!?」

「あそこだ、まだ奴の手の内だッ!」


 その生徒と視線が合う。キョウシは顔をしかめながら拳銃の銃口を向け、向こうも左手の人差し指を向けていた。


「上運天、ハジメ」

「小柳津、キョウシ」


 キョウシはハジメを、ハジメはキョウシの名前を放つ。睨みつけ合いながらも、互いに胸に抱いていた感情は、奇しくも一致していた。

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