第十四話 嫌だと泣いてもどうにもならない
ハジメが行ってしまった後。残されたクレハはキョウシに連れられて、二年A組の教室まで来ていた。休日ということもあり、校舎内に彼ら以外の人の姿はない。
「何の用よ? わざわざ教室まで連れてきて」
「何の用か、なんて聞く必要もないことじゃないかね?」
「ああっ!」
するとキョウシは、クレハの頬を張り飛ばした。彼女は机を巻き込みながら、床へと倒れ込む。頬を抑えつつ顔を上げた彼女の目の前には、拳銃が突きつけられていた。
「言われたこともできない無能が。しかも先ほど、何を言おうとした? まさか情報を漏らすつもりだったか?」
「そんなこと、ないわっ」
「本当かね? 同じような境遇と分かって同情し、彼なら自分を助けてくれると、欠片も思わなかったのかね?」
「そ、それは。きゃあっ!?」
キョウシはクレハの黒いワンピースの胸元を引きちぎった。露わになった胸元に向けて、銃口を押し付けていく。
「ここだったな、お前の
「っ! い、痛っ」
「水曜日の林間学校での大一番、二年生を丸ごと誘拐する計画。一番の障害となるのは、警察。上運天ハジメだ」
キョウシの声は、押し付けられた銃口と同じく冷たい。
「その為にお前を派遣し、子組織の一つを切り捨ててまで信用を勝ち取り、奴の情報を抜く。可能であれば籠絡させ、殺害すらも視野に入れていたと言うのに。なんだ、あの体たらくは?」
今までの事件についても、全てはキョウシの計画であった。ハジメへの対処はその仕上げにかかる部分でもあったが為に、彼は口調を強める。
「断られようが、さっさとヤって骨抜きにしてやれば良かったものを。そういう時の為に、お前に仕込んできてやったんだろうが」
クレハは目を見開く。この男が自分に対して、散々何をしてきたのか。一瞬にして湧いた激情が彼女を突き動かそうとしたが、再度拳銃を突きつけられた。銃口が眼前にあることで、彼女は大人しくせざるを得なかった。奥歯を噛み締めつつ彼を睨みつけることで、何とかその感情を抑え込む。
「なんだその目は? お前の立場というものを、今一度教えておく必要があるな。見ろ」
キョウシは左腕にあったスマートウォッチを操作して連携させ、電子黒板に映像を映し出す。照らされた壁には、一人のおじさんが椅子に縛り付けられている光景があった。
彼女を海でマジックミラー号に誘ってマッサージをしてきた、あのおじさんであった。その首には、クレハの首元にあるものと同じ銀の首輪がつけられている。
『お、おい。なんだよこの首輪は? 俺は言われた通りにやっただけだぞッ!?』
おじさんは声を上げているが、周囲には誰もいないのか、彼以外に反応はなかった。今日あった一件も、キョウシが指示したものであった。狙いは今後の計画の為の、上運天ハジメの篭絡である。クレハも事前に来たチャットでその内容を知っていた為に、抵抗せずにおじさんについていったのだった。
「よく見ておけ。私に従わないのであれば」
『ぎゃぁぁぁああああああああああああああああああああッ!』
キョウシはスマートウォッチを操作した。続いて電子黒板に映し出されていた、おじさんの首輪が爆発する。血しぶきが舞い、画面の向こうが一気に赤く染まった。絶叫したおじさんは、カクンっと首を落として動かなくなる。
「こうだ。裏組織、黄昏の傀儡は私が長である限り、ぬるい真似はしない」
「~~~~っ!」
クレハは自分の首についているものを、必死で取ろうとした。しかし、銀の首輪はビクともせず、諦めを悟った彼女は膝をつくことになる。キョウシは、愉快そうに笑っていた。
「自分の置かれている状況を今一度理解したか? では改めて質問だ。上運天ハジメの
「分から、ないわ」
「使えないな。では、上運天ハジメの信用を勝ち取れたと、言い切れるか?」
「言える、わ」
喋っているクレハの唇は、震えていた。
「あんな風に、自分の一番言えないことを、言ってくれたんですもの。自分と許嫁になっているのは良くないって、心配まで」
(まあ最悪、卜部君を人質に取ればいい話だ)
クレハの話を聞きつつも、キョウシは頭を回していた。彼は今回の計画の為に二年近く潜伏し、学院での信用を得てきた。警察であるベル=シャーウッドの同行もなしに、林間学校の引率を任せられるまでに。
残った一番の障害が、上運天ハジメだ。彼の弱みでもある双子の妹のツギコを取れれば問題ないが、彼女には樫宮ローズという護衛がついている。情報屋の彼の方を襲えば、何処から計画が漏れるか分かったものではない。そこでキョウシは、最初からクレハをハジメの弱点に仕立て上げることも考えていた。
(盗聴していた限りでは、上運天ハジメは卜部君をかなり気に入っている様子だ。本人は素直ではないがね。百点満点でこそないが、収穫はあっただろう)
「なに、よ? 明日、ちゃんとやれば、私を解放してくれるって話なんでしょう?」
キョウシが何も言わない為に業を煮やしたのか、クレハは声を上げていた。そう言えばそんな約束もしたか、と彼は思い出す。
「そうだったな。なんなら退職金も出してやろうと、そういう話だったな」
「そ、そうよっ」
度重ねてクレハをこき使っていた結果、彼女の中で不満が溜まってきていたことはキョウシも把握していた。普段なら使えない奴と切り捨てるのであるが、それだけではもったいないとも彼は考える。
その結果、彼は一つの結論にたどり着いていた。クレハに任務と共に条件を出したのだ。今回の潜入任務が成功した暁には、首輪を外し、退職金までつけて彼女を自由にすると。彼は笑った。
「何が、可笑しいのよ?」
「なんでもないさ。では、本番は水曜日だ」
「ああっ!」
銃身を振るい、キョウシはクレハを叩いた。固く強烈な衝撃が頬に来て、彼女は再び床に倒れ伏す。
「当日までに、私が命じた仕込みをしておけ。本番もこの体たらくであれば、自由になれるなんて思わないことだ。ではな」
キョウシは教室を後にした。彼の足音が遠くなっていった頃、クレハは苦々しく言葉を漏らす。
「ハジメ、君」
握りこまれた手。殴られてズキズキと痛む頬。嗚咽に近いその声色。痛む頬を伝う雫が床を濡らし始めた頃、彼女の頭には一人の男子生徒の姿があった。
「もう、嫌よ。まさか、あなたも子どもが作れないなんて……もっと早く、知ってたら。私、は」
無理やり忠誠を誓わされたあの日から、心の中でくすぶり続けている思い。ようやく終わると思った矢先の、この仕打ち。そして、思わぬ光明。ハジメの事情を知って、彼女は初めて期待を抱いた。本当の意味で、自分のことを理解してくれのではないか、という期待。
「でも」
クレハは首元に手をやる。ずっと自分に巻き付いている、銀の首輪。芽生えた希望を、冷たい金属の感触が摘み取ってくる。そんなことできる訳がない、と。
「私は。私、はっ」
クレハはしばらくの間、その場から動くことができなかった。
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