第十一話 駆け込み寺の人からパワハラされる


 その日の放課後。クラスメイト達の帰宅を見届けた僕が一人で学生寮に帰ろうとすると、後ろからクレハさんが付いてきた。


「ハジメ君、そんなに怒らないでちょうだい。からかったことなら謝るから。ほら、ただの冗談じゃない」

「君は本当に冗談が下手なんだね、全然笑えないよ」

「なら通報されるレベルの血しぶきが舞う、ジョークグッズなんていかがかしら? 購買部で売っていたわ」

「どこで使うんだよそれ? 本物の無駄遣いだね」

「良いじゃない別に。ほら、機嫌を直してちょうだい」

「なら今すぐにツギコの誤解を解いたうえで、許嫁を解消して欲しいんだけど?」

「それは嫌。お断りよ」

「やっぱり僕は君が嫌いだ」

「でも私は好きよ」


 定番化しつつあるこのやり取りの後、クレハさんは僕の行く手を阻むように目の前に来た。


「ねえ、そろそろ聞かせてくれても良いじゃない」


 真っすぐに、僕の目を見つめてくる。


「あなたがどうしてそんなに私を。ううん。女の子自体を遠ざけているのか、教えてくれないかしら。何か理由があるんでしょう?」


 ピクリ、と僕の指が動いた。


「なんのことだい?」

「とぼけないでちょうだい。マギーさん達からも聞いてるわ。ハジメ君がツギコちゃん以外の女の子を、露骨に無視してることくらいは」


 諸々の手続きだなんだで忙しかった筈なのに、僕についてまで調べていたみたいだ。


「別に、君には関係ない話じゃないか」

「ええ、関係はないかもしれない。でも私は、あなたの力になりたいのよ」


 素っ気ない返事をしても、クレハさんは引き下がってくれない。


「私を助けてくれたあなた。だから今度は、私があなたを助けたいの。話を聞けば、力になれるかもしれない。もしかしたら、解決できるかもしれない。だから、聞かせてちょうだい」


 真剣な表情で僕を見ているクレハさん。対して僕は、あの日のことを、思い出す。


『なんたってお前はそんな身体で生まれてきたんだッ。クソッ、クソッ。この役立たずッ!』


 実の父親に暴言を投げられていた、あの時のこと。なんでと言われても、生まれつきこうなんだから仕方ないじゃないか。そう産んだのはお前たちじゃないか。


『彼女の一人もいねー癖に何気取ってんだよ、この男子失格』


 続いて思い出されるのは、テツヤ達につけられたこのあだ名。虐めが止んだ今、僕のことをこう呼ぶ輩は一人もいない。

 でもこの言葉は、僕の中に刻み付けられている。男子として役に立たない僕を表す的確な言葉として、頭の中にずっと、ずっと残っている。


「…………」


 僕の目の前にいるクレハさん。両親に売られて酷い目に遭わされた挙げ句、心的蓋章トラウマなんてものに目覚めて、ずっとこき使われていた彼女。詳しくは聞いてないけど、鼻にある横一文字の傷も、おそらくはその時の後遺症だろう。

 彼女の境遇は、僕の過去と重なる部分があった。似た者同士、なんていうのもあながち間違いじゃない。彼女になら、打ち明けても良いんだろうか。話してみても、良いのだろうか。僕が一人で抱えているこれを、彼女なら受け入れてくれたりするんだろうか。


「……クレハさん。一つ、聞きたいんだけど」

「何かしら?」

「劣っている男って、どう思う?」


 僕の言葉にクレハさんが固まる。予想外の質問が来た、って感じかな。


「急にどうしたのかしら?」

「答えて」


 若干困惑気味のクレハさんに対して、僕は目に力を込める。


「そう、ね。劣っているって、どういう意味?」


 僕はすぐに答えられなかった。いや、答えは持っているけど、素直に吐き出せない。


「言葉の通りだよ。普通の男性よりも能力的に劣っている奴、ってことさ」

「勉強とか運動とかの話?」

「好きに解釈したら良いさ」


 あまり突っ込まれても困るからと、思わず投げやりな言葉になった。


「そう。曖昧な話になっちゃうけど。私は別に、悪くないと思うわ」


 少し考えた後。クレハさんはそう口を開いた。


「劣っているから魅力的じゃない、なんてことはないじゃない。駄目な人ほど可愛いって思えることもあるし、弱点がある人の方が、親しみやすかったりするじゃない。そもそも劣ってない部分がない人間なんて、いないんだから」


 クレハさんの言葉は、間違ってなんかなかった。欠点を持っているなんて、当たり前のことだ。だからこそ、僕は更に聞かずにはいられなかった。


「その弱点が許容できないものだったら?」

「どういうことかしら? 身体的なハンデを背負っているとか、そういうお話?」

「まあ、そんなところだよ」


 クレハさんが顔をしかめている。具体的に言えない僕は、肝心な部分をボカした。まあ、間違いではないから。


「そういう話なら、私は別に気にしないわ」


 僕は思わず目を見開いた。


「人付き合いって、合うか合わないかってだけでしょう? 合わない人なら、例え五体満足でも合わないものだし。自分に合う人ならどんなハンデを背負っていようが、関係ないと思うわ」

「合うか、合わないか、だけ?」

「そういうものじゃないの?」


 立ち尽くしている僕に、彼女は続けていく。


「人として合うか合わないかに、身体的ハンデの有無は関係ないわ。要はその人といて、自然な自分でいられるのか、でしょ? それはそれ、これはこれよ。まあ、合わない人といなきゃいけないこともあるけれど」


 合うか、合わないかだけ。ならば僕にとって、クレハさんは一体どっちなんだろうか。彼女がもし合う人なら、僕は彼女に、全てを。


「……うん、ありがとうクレハさん。分かりにくい話なのに答えてくれて」


 でも、それだけじゃない。僕は幸せになるべき人間なんかじゃないんだ。一度揺れた心を、僕はもう喝を入れる。


「そう? 抽象的な話になっちゃったけど、ちゃんと答えられたのかしら」

「うん、十分だよ」


 それは僕の本心だった。クレハさんの話を聞いただけで、救われた心地がある。これ以上は、欲張りってやつだろう。


「じゃ、帰ろうか。もう日も暮れそうだしね」

「ねえハジメ君。結局は私の質問に答えてくれてないわよね?」


 僕はさっさと歩き出した。後を追ってきたクレハさんを適当にあしらい、そのまま目的の男子寮に到着する。彼女に手を振った後。上げられる抗議の声を背中に受けながら、僕は玄関の扉を閉めた。


「ちゃんとクレハちゃんの面倒見てるかい?」

「なんでいるんですかベルさん?」


 男子寮についた僕を待っていたのは、こちらに背を向けたベルさんだった。


「いつもの巡回と、あとは確認さね。ほとんどワタシの一存みたいなもんでここに置くことにしたんだから、アンタにはちゃんとしてもらわないと困るからねえ」

「別に彼女が社会復帰するのは良いと思うけどさ。通常業務に加えて世話係までさせるのは、業務量的に厳しいんだけど?」


 こちらを見ないままのベルさんはすこし屈んでおり、玄関にある花瓶の花の手入れをしているみたいだった。几帳面だよね。


「ちゃんと手当ては追加しておいただろう? 今さらグダグダ言ってんじゃないよ。仕事なら、あの子にも手伝ってもらえばいいじゃないか」

「まさかそれが狙いでクレハさんを?」


 振り返ったベルさんは、ニヤリと笑っていた。僕は頭をかく。


「このご時世、新人の獲得は容易なことじゃない。加えて彼女は心的蓋章トラウマ持ちだ。何処の部署だって、喉から手が出るくらい欲しい筈。先んじて手を打ったんだね?」

「人聞きの悪いこと言わないでおくれ。ワタシはちゃんと、最後には彼女の意志に委ねるっつってんだから」

「どうせ僕の時と同じでしょ。小さいことから手伝わせて、常態化させて。あとは好条件をチラつかせつつ、なし崩し的に引き込もうとしてるんだろ?」

「さて、なんのことかねえ」


 白々しさがマックスのベルさん。なまじ強制させた訳じゃありません、っていう逃げ道を用意しているあたりが、最高に忌々しい。


「兎にも角にも、クレハちゃんはアンタがちゃんと面倒見てやんな。それも仕事だよ。そうだ。今度の休日、デートにでも誘ってみたらどうだい? 彼女を日常に戻す一歩目として」

「嫌だね」


 ベルさんが提案を投げてきた。普通に嫌だ。ゴダゴダが片付き始めた矢先に、なんでまた彼女と関わらなきゃいけないんだ。僕だって疲れてるんだ。第一、次の休日が明けたら水曜日から林間学校じゃないか。ただでさえ学校行事は浮き足立つみんなの監視が大変だってのに、その前の貴重な休みを仕事で潰してたまるもんか。


「じゃあ上司命令だよ。クレハちゃんの社会復帰に係る心のケアの為に、彼女とデートしてこいクソガキ」

「職権乱用って何処に訴えたら良かったっけ?」

「生憎、今のパワハラ相談窓口はワタシなのさ。諦めな」


 駆け込み寺にいる人からパワハラされるって、詰みの形としては最悪なのでは。


「あとはワタシとしても引き取った以上、ちゃんと社会復帰の為に色々してますって報告しなきゃならないんだ。ごちゃごちゃ言ってんじゃないよ」

「それが本音かクソババア。誰が行くか」


 要は報告書に書くネタが欲しいからデートしてこい、ってことか。うん、ますます行く気が失せたね。何を言われようが、お断りだよ。


「これ以上ゴネるってんなら」

「何、脅迫するつもり? 悪いけど減給や有休の取り上げくらいなら」

「またツギコちゃんに、あることないこと吹き込んでやる」

「行きます行きます喜んで」


 僕は喜んでクレハさんとのデートに行くことに決めた。彼女の社会復帰の為にも、日常生活に触れるというのは、とても大切なことだ。こんな大事な任務の為なら、休日の一つや二つ惜しくないさ。


「だからツギコには余計なこと言わないでくださいお願いします」

「最初からそう言ってれば良かったんだよ、ったく」


 ため息つきたいのはこっちだっての。以前このクソババアがツギコに吹き込んだ際には、僕が大自然に対して性的興奮を覚える変態だと勘違いされた。オーガニックじゃないと勃たないんだよ、とクソババアが言った時のツギコの顔は、今でも忘れられそうにない。

 信じるツギコもツギコだが、彼女は人を疑うことを知らない天使なんだから仕方がない。ただし、滅茶苦茶よそよそしくなった彼女の誤解を解くのに、ひと月もかかった。


「ちなみにデート代って経費で落ちるよね?」

「何言ってんだい? 自腹に決まってんだろ」

「オメーが報告の為にやれっつったんだろうが、いい加減にしろ」


 こうして僕は、全く好きじゃない許嫁と強制的にデートさせられることになった。このクソババアは、いつか絶対に痛い目に遭わせてやる。僕は心の中で固く誓った。

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