第七話 お誘いは口パクで


 その日の午後。授業と授業の合間の休み時間に、クレハさんが歩み寄ってきた。


「ねえハジメ君。明日から一緒にお昼を食べない?」

「お昼? うん、良いよ。一緒に食べよっか」


 まあ、許嫁らしいこともしないと駄目だよな。面倒くさいけど。


「良かったわ。せっかくだから私がお弁当を用意したいのだけど……」


 僕が頷こうとしたら、クレハさんの唇がまた動いた。


「(ハジメ君って読唇術は心得ているのかしら?)」


 声に出さず、唇の動きだけでそう伝えてきたクレハさん。僕の身体が強張る。彼女は続けて首についている銀の首輪を、右の人差し指でチョンチョンと突いてみせた。


「……お弁当かー。嬉しいね。僕さ、恋人とかいなかったから、手作り弁当とか憧れてたんだ……(解るよ。で、どうしたのさ急に?)」


 僕は察してしまう。おそらくクレハさんの首輪には、盗聴器が仕掛けられているということを。彼女がその向こう側にいる人間に悟られないように、何かを伝えようとしていることを。喋った後、僕も口パクで返事をした。


「あらそうなの。じゃあ腕によりをかけて作らないとね。何かリクエストはあるかしら……? (一週間後、私の組織がウチのクラスの子の誘拐を企ててるわ)」

「お、おかずかあ。個人的には唐揚げとか好きなんだけど、やっぱり大変だったりする……? (冗談じゃないよね?)」

「油ものは後始末が大変なのよ、ベタベタしちゃうし。でもあなたが望むなら、頑張っちゃおうかしら……(もちろん。冗談をお望みなら、豚のように鳴いて跪いてあげましょうか、ご主人様?)」

「そうなんだ、知らなかったなあ……(その冗談は笑えないから、絶対に止めてね)」


 互いに会話の後に、口パクを入れる。唇の動きで伝えられてくる情報に、僕は驚きしか覚えない。ここまでひた隠しにしておいて、いきなり全ブッパされるとは思っていなかったからだ。あとは笑えないジョークも。


「なんか僕の為にって考えると、緊張してきちゃうね……(にしても、どういう急激な心変わりだい?)」

「私達、いずれ夫婦になるのよ? 夫のワガママを、今の内から聞き慣れておかなきゃね……(あなたなら、私を助けてくれると思ったから)」


 クレハさんの唇は、間違いなくそう動いていた。


「昔は、妻は夫の為に一歩引いて支えるのがあるべき姿だ、なんて言われてた時代があったのよ? 今じゃ男尊女卑だ、なんて言われてるけど……(私はもう嫌なの、解放されたいの。だから、これはテストよ)」

「へー、そんな時代があったんだ。今はどっちかって言うと、何でも一緒に頑張って当たり前、みたいな風潮だからね……(テスト? 何を試すっていうのさ)」

「でも私、陰であなたの支えになって尽くすのも、悪くないかなって思えるわ……(私の役割はあなたの足止め。このくらい乗り越えてもらわなきゃ困るの)」

「男としては、とっても嬉しいね。ただ無理はしないでね……(僕が君の妨害を超えてクラスメイトを助けられるか、ってことなんだね?)」

「まあその辺は、本当に夫婦になったら考えましょう……(そういうことよ。ただ私も、本気で行かせてもらうから)」


 表面上のやり取りと並行して、クレハさんの真意を読み取ろうとする。ローズの情報にあった通り、彼女は何かしらの裏組織に加担しているみたいだ。今、そこから逃れたいとも思っている。しかし監視されている以上、安易なことはできない。こうして情報を流すだけでも、綱渡りなのだろう。


「うん。じゃあ、明日のお弁当は唐揚げで。他は特に指定しないから……(腑に落ちない点は多いけど、とりあえず了解したよ。もう少し具体的な情報をくれない?)」

「任せてちょうだい。ほっぺが落ちるのを覚悟しておいてね、あなた……(これでもギリギリなのよ。あとはそっちで何とかしてね、あなた)」

「まだ結婚はしてないんだけどなあ。ああごめん、友達からチャットが……(嘘だったら容赦しないからね?)」

「(あら怖い)」


 口頭と口パクの両方であなたと呼ばれるとは思ってなかった、誰があなただ。

 兎にも角にも、まずはこの情報の真偽を確かめなければならない。僕はスマートウォッチを構えて、早速ベルさんとローズに連絡を取ることにした。ったく、なんたって通院の日に限ってこんなことになるんだよ。ベルさんの後には、病院にも連絡入れなきゃ。


「うふふふふ。明日から楽しみね」


 クレハさんは楽しそうに笑っていた。

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