第八話 トカゲの尻尾は遠慮なく切れ


 卜部クレハが登校すると、教室には既に上運天ハジメの姿があった。あれから一週間が経ち、今日は彼女が言っていた計画の実行日だ。


「おはようハジメ君」

「んんっ!? お、おはようございます。卜部さ、クレハさんっ!」


 返事をしたハジメに、クレハはすぐに違和感を覚えた。目の前にいるのは、間違いなく上運天ハジメである。黒髪碧眼で冴えないモブ顔の中肉中背。

 しかし、何かが決定的に違っている気がしている。いつもの飄々とした返事ではないことも引っかかっていた。加えて昨日まではなかった、何処からかの視線も。


「ハジメ君、どうかしたのかしら? いつもと様子が違うみたいだけど、具合でも悪い?」

「そ、そんなことないよっ!? めっちゃ元気だし、わた、僕は上運天ハジメだからっ!」


 目の前にいるハジメは必死に首を振っていた。クレハは首を傾げる。


「ほら、ホームルーム始まっちゃうよっ!」


 少しして小柳津先生がやって来たので、クレハは腑に落ちないままに席につく。その日はマギーが企業訪問の為に午後から学外へ出る等の情報があったが、彼女は既に知っていたので話半分にしか聞いていなかった。ホームルームが終わり、一限目は数学の授業が始まる。肝心のハジメは。


「すぴー」


 自分の机に突っ伏して、盛大に居眠りをしていた。クレハの内側に、なんとも言えない気分が湧き上がる。授業中に寝ていること自体は、珍しいことでもない。他の男子だと先生の目の前で平然と寝ているような輩もいる。

 問題は、寝ているのがハジメだという点だ。今まで見ていた限り、彼は授業中に寝ていることなどなかった。かと言って熱心に授業を聞いているのではなく、いつも他事を気にしているように見えた。おそらく授業中に襲撃が来た場合に備えていたのだろうと、彼女は想像している。そんな彼が今、何もしないままに睡眠をむさぼっているのだ。彼女の中での疑念が、更に深まっていく。


「はうっ! や、ヤバ。ノート取って、ない。く、クレハさーんっ!」


 授業終了後には、いきなり自分へと泣きついてくる始末だ。


「ノート取るの忘れちゃってたのっ! お願い、さっきのノート写させてっ! 後でジュース奢るからっ!」

「え、ええ。良い、けど」


 喜怒哀楽全開。表情がコロコロと変わっているハジメを、訝し気に見ているクレハ。様子のおかしい彼との時間は過ぎていき、気が付くとお昼休みになっていた。


「さあっ! クレハさん、今日もお弁当だったよねっ! 聞いてるよ~」

「聞いてる? 私以外に、誰か喋ってたのかしら?」

「あっ。ち、違うよっ! 覚えてたよ~って言おうとしてたの、本当だよっ!?」


 一緒になって、食堂に併設された共用スペースへと足を運んでいく。そこは机と椅子がたくさん並べられた、フードコートのような場所であった。ウォーターサーバーもあり、お弁当を食べたり課題をしたりと、学生が自由に使える場所である。その一角に腰を下ろしたクレハは、早速作ってきたお弁当を取り出した。


「はい、ハジメ君の分。今日も頑張って作ったから、是非食べて欲しいわ」

「す、すごーい。唐揚げに卵焼きにブロッコリーに。美味しそうなだけじゃなくて栄養バランスまで良さそう。わーい、いっただきまーすっ!」


 無邪気にお弁当箱を受け取って蓋を開け、パクパクと食べ始めたハジメを名乗るこの子。右手で頬杖をついていた彼女は、ほぼほぼ真実に気が付いていた。


(この子は上運天ツギコ。ハジメ君の双子の妹さんね)


 クレハには確信があった。何せ今朝から昼までの半日間で、今までの彼ではあり得なかったようなことだらけだったのだ。加えて、この無警戒で豪快な食べっぷり。


「あ、あれ? なんだか、眠く、なっ」


 程なくして、目の前の彼女はパタンと机に突っ伏した。クレハが弁当に入れた睡眠薬が効いてきたのだ。クレハが学ランの隙間から身体を確認すると、胸元に女性ものの下着が見える。ため息をついた彼女は、スマートウォッチを起動させた。


「こちらクレハ。ターゲットはこの通り、沈黙したわ」

『ご苦労、死体の始末は任せる。こちらも終わり次第、また連絡する。それまでに終わらせておけ』


 専用チャットアプリを起動させ、今回の上司に報告を上げた。目の前で爆睡しているツギコを薬で殺したと映像付きで適当に言うと、あっさりと信じられた。適当に返事をした後に通話を切り、彼女は椅子にもたれかかる。


「そんなんだから切られるのよ」


 クレハは今日、所属する裏組織の作戦の一環で、ハジメを足止めするのが役割であった。狙いは四井財閥の娘、マギーの誘拐である。

 最初の目的は情報収集であった。マギーと仲良くして、行動パターンを掴む。加えて、学内の警備システムや警備員の配置。密かにクラスメイトを守護している、上運天ハジメという警察の存在。全てをまとめて報告を上げた後に、組織から下されたのが彼の足止めだった。心的蓋章トラウマ持ちの彼女で足止めをしつつ、他の構成員で誘拐する。下準備も滞りなく行われ、作戦成功は現実になりつつあった。


(ま、いいわ。切られるトカゲの尻尾なんて、どうでも良いわね。彼がどうやってくれるのか。お手並み拝見といきましょうか)


 もちろんそれは、クレハが真面目に仕事をしていたらの話である。実際にはハジメに情報を流し、目の前で寝ている影武者のツギコについて目こぼしをした。


「で。そこにいるあなたは誰かかしら?」

「うーわ、やっぱ解るのかよ。美人なのにこえーな」


 もう一人彼女が報告しなかったのは、朝から絶えず視線を送ってきていた輩だ。クレハが声をかけると、背の高いイケメンが観念したかのような調子で現れた。


「私は卜部クレハ。あなたは?」

「樫宮ローズ。ケチな情報屋さ」


 ローズは喋りつつも、丁寧にツギコの身体を起して確認している。


「あなたがこの子のボディーガードってこと。随分と愛されているのね」

「ああ、お得意様の大切な人だからな」

「その割には、あっさりとお弁当食べるのを許してたわね」

「混入させたのが組織から支給された毒物だったら、偶然を装って叩き落としてたさ。でもアンタが入れてたのは、ただの睡眠薬だったからな」


 クレハはピクリと身体を震わせる。まさか自分が入れた薬を特定されているとは、思っていなかったからだ。


「随分と詳しいのね」

「気を付けないと駄目だぜ? 何処で誰が見てるか、わかんねーんだからな」


 クレハは彼を見つつ、ゆっくりと立ち上がった。目の前のこの男は、油断できない相手だと。


「【断罪少女セイバーレディ】」

「おおっと、勘弁してくれよ。オレはアンタみたいに心的蓋章トラウマ持ちじゃないんだからな。何かするつもりなら、この場にいる他の生徒も巻き込んで大騒ぎにしてやるぜ? それはアンタにとっても、不本意なんじゃないのかい?」


 ハサミを生成して武力をチラつかせてみると、ローズはあっさりと降参してきた。タダでは引き下がらない、と言いながら。


「下手なことはせず、オレはこの子を抱えて、はいさようなら。アンタはそのまま仕事なりなんなりをしてもらえば、それで良いじゃねーか。そんなに見つめないでくれよ。惚れちまったらどうするんだ?」

「軽い男は趣味じゃないの。悪いけど、生まれ直してきてくれるかしら?」

「うっへー、フラれちまった。ま、オレにはこの子がいるからいっか」


 そそくさとツギコをおんぶした彼は、じゃ、と手を振った。


「隣のクラスだし、同学年だからな。また会った時はよろしくー」

「ええ。さようなら」


 さっさと歩き出したローズの背中を、残されたクレハはじっと見やる。彼女は悟った。もしこのままなりふり構わずに襲ったとしても、おそらくは逃げられるであろう、ということを。


「羨ましいわね」


 彼らが共有スペースから出て行って姿が完全に見えなくなった頃。生成したハサミを消したクレハは、座りながらそう零した。


「ハジメ君に加えて、あんなボディーガードまでいるなんて。対して私は。あの日からずっと、一人ぼっち」


 目じりが下がった彼女は、少し顔を伏せた。

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