第一話 恋愛は国民の義務です


 朝の青い空を遮るビルが立ち並んだ、歩行者天国。時の総理大臣がビルに設置された大型モニターの向こう側で熱弁している中。その下ではガタイの良い外国人男性二人による、性質の悪いナンパがあった。


『自由恋愛奨励法から少し経ちましたが、わが国の合計特殊出生率は、わずかばかりですが回復へと転じております。恋愛は国民の義務です。さあ、皆さん。恋、しましょう』

「なー、付き合えよねーちゃん?」

「いやっ! 離してくださいっ!」


 信号が変わって歩き出す人混みの中。OLと思われる紺色のタイトスカートの女性は必死に抵抗していたが、タンクトップから覗いている彼らの筋肉には勝てないみたいだ。


 他の人々は見て見ぬフリ。立ち番をしている中東系の男性警察官に至っては、腕についたスマートウォッチを見てニヤニヤしている始末だ。いくらか貰ったな、あれは。

 応援を頼まれたので外泊し、今から学校に戻ろうと思った矢先にこれだよ。僕はため息をつきながら尻ポケットに差したライトニングホークをこっそりと抜いた。目立たないようにこっそりと、彼らに銃口を向ける。この人混みなら、バレないでしょ。


「――【心的蓋章トラウマ弾丸凱旋バレットパレード】」

「わざわざこの国に来てやったんだから、協力させろってガフッ!?」

「お、おい。どうしガハッ!?」


 僕が引き金を引くと、モデルガン特有の乾いた音と共に、弾丸が放たれた。サイレンサーもつけているので、音はそこまで響かない。

 弾丸はナンパ野郎二人を撃ち抜き、彼らが倒れ込む。ちなみに撃ったのは注射筒タイプの麻酔弾だ、殺してないよ。状況が飲み込めずに困惑していた女性も我に返り、遠くへと駆けていく。これで一安心だな。


「あっ、今さらやってきた」


 ライトニングホークをしまった時、知らん顔していた警察官がようやく動き出していた。僕は左手のスマートウォッチでその警察官を写真に収めると、上司であるベルさんにメッセージを飛ばしておいた。現行犯を無視、賄賂受け取りの疑惑あり、と。これでしかるべき処分が下されるだろう。


「ねえソこの若いお兄さん、日本人でしょ? アタシと気持ちイイことしな~イ?」


 歩き始めたら声をかけられた。チラリと目をやると、そこには豊満な胸元を大きく開けた服にミニスカート姿の女性がいた。片言の日本語からして、来日した日本人狙いの街娼か。僕はそれを無視してタクシーを拾い、一言も発しないまま乗り込んだ。


「ヤベ、コンタクトするの忘れてた」


 タクシーが発車したと同時にポケットからケースを出して、コンタクトレンズをつける。危ない危ない、バレちゃうじゃないか。ケースをしまい、窓辺に肘をついて外に目をやる。先ほど総理大臣を映していた大型モニターが、過去にあった数千万の着服事件について報道していた。犯人は未だ逃亡中らしい。僕はため息をついた。


「なーにが恋しましょうだよ、ったく。先に治安を考えろっての」


 自由恋愛奨励法。少子高齢化の深刻化によって労働人口と僕ら子どもが激減してしまった現代に、政府がその対抗策として打ち出した法律だ。通称、恋愛法。一定以下の年代の国民は、恋愛をすることで税金が免除されたり、補助金を受け取ったりすることができる制度だ。同時に憲法が改正され、国民の義務は三つから四つに増えた。教育、勤労、納税。そして恋愛。これによってこの国に住む以上、恋しなければならなくなった。

 最初こそ反発があったものの、手当や税金免除の各種制度が充実していて。子どもを作る方が得であるということが分かった瞬間、一気に広まっていった。今や第三次ベビーブームの到来とも言われている。なお、この制度がフル活用できるのは、日本人の血が入っている国民だけである。


「最初の移民・難民政策でコケなきゃ、こんなことしなくても済んだのにねえ」


 ボヤきつつ、僕は窓の外の光景を確認した。街を歩いている外国人の方々。タクシーの運転手は、おそらく中華系だね。

 実は少子高齢化の対策として最初に取られたのは、移民政策だ。条件を一気に緩和し、大規模な外国人の受け入れを行った。その結果巻き起こったのは、治安の悪化。次々と押し寄せた移民や難民を、取り締まれる人員が足りなかったのだ。お陰でさっきみたいな性質の悪いナンパや街娼すらも、日常茶飯事だ。


 そんな世の中に思いをはせていたら、塀に囲まれた郊外の学校についていた。僕はスマートウォッチをかざして決済を終えて降りると、固く閉ざされている学校の正門へと近づいていく。学生用出入り口で各種の認証を終えるとアナウンスが流れ、敷地内へと続く扉が開いた。そのまま高等部の校舎を目指して、敷地内の巡回バスに乗る。

 僕が足を踏み入れたここは、国立将来学院。治安の悪化に伴って一般の公立や私立学校が一気に荒れ始めた結果。政府要人や大企業、芸能人等の子どもが安心して通えるようにと建てられた、小中高一貫の学校だ。学校の周囲は壁で覆われており、掃除は専門の業者が行う。巡回バスの中から見える景色には、コンビニやカラオケまで見えるくらいの充実っぷりである。


 校舎にたどり着いた僕は玄関で上履きに変え、教室を目指す。その途中で尿意をもよおしたので、先にトイレを済ませてくることにした。


「あっ、上運天さんじゃありませんこと? おはようございますわ」

「ッ」


 道半ばのところで、僕に声をかけてくる女の子がいた。同じクラスの四井よつい=マグノリア=ヴィクトリアさんだった。金髪碧眼でスタイルの良いフランス系のハーフの彼女。愛称はマギーさんで、国内外にその名を馳せる四井財閥の娘さん。良いとこのお嬢様だ。男女分け隔てなく仲良くしようとしてくれている、とても良い子でもある。


「…………」

「ちょ、ちょっとっ! 返事くらいしてくださいましっ!?」


 僕は彼女の挨拶を無視して、お手洗いに向かった。良い子なんだけど、余計なお世話だよ。ごめん。


「そういや今日は病院だったっ、けッ!?」


 個室に入って一息ついた僕の頭上から、大量の水が降ってくる。ずぶ濡れになった。


「ワリーなあ、男子失格ぅッ! 先生から掃除を頼まれちまってなあッ!」


 全身ずぶ濡れになった僕がドアを開けてみると、そこには空になったバケツを持った、クラスメイトの塩々崎しおじおざきテツヤの姿があった。肩まである茶髪の毛先を切り揃え、前髪は真ん中分けにしている、内閣を構成する国務大臣の一人息子。クラスのカースト上位にいる、所謂イケイケ系男子だ。

 その取り巻きである、政府官僚の息子である黒髪七三分けで黒縁メガネの谷長村たにながむらジュンヤと、有名プロ野球選手の息子である坊主頭でガタイの良い鳴川なりかわノブもいる。三人は僕の姿を見て、ゲラゲラと笑っていた。


「そー言えば聞いたかテツヤ。今日転入生が来るんだってよー」

「マジかよノブ。コイツどーすんの? ずぶ濡れじゃねーか」

「別に良いのでは? 男子失格がびしょ濡れだろうと、気にしてくれる彼女もいませんし」

「ジュンヤの言う通りだな、ギャハハハハハ!」


 言いたいことだけ言って、彼らはさっさとトイレを出ていった。僕は一つため息をつくと扉を閉め、濡れた学ランやシャツを絞っていく。うわ、中のチョッキまでベタベタじゃんか。

 こんなこともあろうかと、左腕にあるスマートウォッチは完全防水のやつだ。まあ万が一壊れたりしても、身体に埋め込んであるスマートチップで代用できるんだけど。


「男子失格、ねえ。ったく」


 便器に絞ったシャツから滴る水を流しながら、僕はまたため息をついた。男子失格、恋人のいない僕につけられた蔑称だ。恋愛が国民の義務になって以降、恋人を作らない独り身に対しての風当たりが強くなった。恋して当たり前、恋人がいて当然、いない奴は非国民と、こんな調子。恋人の一人もいない僕は、虐めの対象になったって訳だ。にしても男子失格だなんて。こっちの事情も知らない癖に、的を射たあだ名だよ。

 上下の服を絞り終えた後、僕はようやく外に出た。水を含んでぐちゃぐちゃ言っている上履きのまま、自分のクラスである二年A組に向かう。教室に入ると、テツヤ達が僕を見てまた笑ってきた。釣られて笑っている者、関わり合いになりたくないと無視している者などが居る中を横切って、僕は窓際の一番後ろの自分の席へと向かった。


「席についてください」


 担任の小柳津おやいづキョウシ先生が来て、ホームルームになった。白髪交じりのオールバックの黒髪。白いワイシャツに赤いネクタイ。ダークスーツに黒い革靴を履いている壮年の教師。優しそうな雰囲気を持ち、生徒受けは悪くない。数学の先生なのに身体付きが良く、特に水泳が得意らしい。

 先生はクラスを一瞥し、濡れている僕の所で一度視線を止める。そのまま目を手元のタブレットに移して、何も言わないままに話を始めた。

まあ、仕方ないよね。各学年のA組は政治、経済、芸能界といった各所の大物の子ども達や成績優秀者ばかりが集う特級クラス。下手なことをしてしまえば親に言いつけられて、首を切られることも容易に想像がつく。触らぬ何かに祟りなし、ってやつだ。


「今日は谷永村君が企業訪問の為に、二限目から学外に出られます。では最後に。今日は転入生を紹介します。入ってきてください」


 先生が最後に出したのは、聞いていた通り転入生のことだった。クラス内が色めき立つ。扉が開けられ、入ってきたのはモデルかと見間違うくらいの美少女だった。腰まである薄紫色の髪の毛。高い身長に抜群のスタイル。凛とした雰囲気も相まって、クラスの男子達が声を上げそうになる。


「初めまして、卜部クレハと言います。今日からよろしくお願いします」


 彼女は丁寧にお辞儀をする。クラスメイト達は一拍を置いてから拍手することになった。何故なら彼女の鼻には頬にかけて横一文字の傷。首には銀色に鈍く光る首輪がされていたのだから。


「ふふっ」


 更には僕の方を一瞥して、微笑んだようにも見えた。気のせいだろうか。

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