トラウマノコイ

沖田ねてる

序章 齢十七歳のプロポーズ。もちろんNO


 僕が齢十七歳にして受けた人生初のプロポーズは、喉元にハサミを突きつけられながらだった。


「私の許嫁にならない?」

「ならない。僕は君が嫌いだ」

「でも私は好きよ」


 高校二年生になり、新学期が始まって少し経ったある日。夕焼けのオレンジ色の空が広がる下。人気がなくなったこの校舎裏には僕と彼女、先の戦闘で倒れたおじさんと、気を失っているクラスメイトのテツヤがいる。

 僕、上運天かみうんてんハジメは強気だった。何故なら僕も戦闘後に乱入してきた目の前の彼女、卜部うらべクレハさんの眉間に、モデルガンであるライトニングホークの銃口を突きつけていたからだ。


「求婚するなら、せめてそういう雰囲気を作ってからにしてよね」

「あら。ムードを気にするなんて、意外とロマンチストなのね」


 黒髪碧眼で平均身長に平均体重。学校指定の黒い学ランに身を包めば、何処の高校にも一人はいそうなモブ顔である自分。

 一方で、モデルかと思うくらい高い身長に大きな胸、細い腰回りに張りのあるお尻という抜群のスタイルを持つ彼女。薄紫色の長髪は腰くらいまでの長さがあり、パッツンの前髪の下にある同じ薄紫色の細目。好悪は置いとくにしても、美人だと言わない人の方が少ないだろう。白基調のセーラー服に赤いパータイ、紺色スカートも良く似合っている。鼻から両の頬にかけて横一文字の傷があるけど、それも一つのチャームポイントなのかもしれない。


「でも心的蓋章トラウマ持ちのあなたと私には、お似合いの雰囲気だと思わない?」

「思いたくないね」


 心的蓋章トラウマ持ち。世界的なウイルス蔓延以降に発現するようになった、異能力を持つ者の総称だ。

 共通点は過去に強烈な心理的ストレスを経験した者。僕はこのライトニングホークにまつわるもの。彼女は突きつけてくるこのハサミが、思い出したくない記憶(トラウマ)であり心的蓋章トラウマなんだろう。何せ彼女、虚空からこのハサミを創り出してきたからね。


「つれない返事。私のこと、気に入らないかしら?」

「見た目とスタイルに関して言えば、一部を除いてとても高得点だよ」

「お上手。と言いたいけど、一部って何かしら?」

「君の首にある銀の首輪と、やっぱり心的蓋章トラウマかなあ」


 視線を彼女の首にある銀の首輪にやった。ネックレスじゃないよ、首輪だよ。流石に飼い主の名前が彫ってあったりはしないけどさ。アクセサリーなんて言ってたけど、僕にはそうは思えない。まるでデスゲームの参加者につけられた爆弾入りの首輪、みたいでさ。

 トドメが喉元に突き付けられたこのハサミ、心的蓋章トラウマ。今の世の中、この異能力の存在は公になっていない。ということは僕みたいな警察関係の組織の一員か、あるいは。


心的蓋章トラウマ持ちってことはさ。卜部さん、その筋の人なんでしょ?」

「許嫁を名字呼びなんて、つれないじゃない。ちゃんと名前で呼んでちょうだい」

「その筋の人って部分は否定しないんだね、クレハさん」


 非合法が跋扈する裏社会の人、ってことになるね。あと許嫁を了承した覚えもない。僕の身分証でもあるパーソナルカード(通称、Pカード)の許嫁の欄も、まだ空白の筈だしね。


「そうね。警視庁治安維持部心的蓋章トラウマ課のあなたを騙せるとは思ってないし」

「随分調べてきたんだね」

「私の許嫁のことだもの」


 だからまだ了承した覚えはないだけど。


「それにハジメ君、今クラスで浮いてるじゃない。恋愛は国民の義務よ。なのに恋人の一人もいないなんて、信じられないわ。私みたいな許嫁がいる方が、色々とお得よ?」


 僕は顔をしかめる。憲法が改正された今の世の中において、独り身の肩身は酷く狭い。


「……別にいいじゃん、そんなの。個人の自由だよ。恋人がいないのは、君だって一緒じゃなかったっけ?」

「そうね。ただ、昔はどうだったのかしら。聞きたい、私の昔話?」

「是非とも」

「だーめ。簡単には話してあげないわ。でも許嫁になってくれるなら、考えましょう」


 クレハさんは目を細めて口角を上げる。それはとても妖艶な笑みだった。


「私の事、知りたくない?」


 スタイル抜群でミステリアスな美少女の秘密。これだけならとても官能的な響きだが、喉に当たってる冷たいハサミの感触が、僕をそんな気分に浸らせてくれない。この刃が動けば、僕の喉は皮膚の下の血管諸共、切り裂かれるだろう。まあその時は、僕もクレハさんにしこたま弾丸をご馳走してあげるけどね。


「知りたいね」


 彼女の問いに対する答えはイエスだ。クラスメイトの守るという僕の仕事の面から考えても、彼女の正体は掴まなければならない。ぶっちゃけ、ここで取り押さえておきたいくらいだ。

 しかし今は、状況がそうさせてくれない。倒れているおじさんの連行に、同じく倒れているテツヤの保護。更には先の戦闘から鑑みた時に、彼女を取り押さえてるのは容易ではないという見積り。仕事は秘密裏に行えというクライアントの要望もあり、あまり騒ぎを大きくしたくない。


(ただ僕は彼女なんか、ましてや許嫁なんか欲しくもない)


 個人的な感情にさえ目をつむれば、向こうの思惑に乗るのが得策だと思う。ここで我儘を言って、彼女と関わる機会をみすみす失う訳にもいかない。ならば。


「わかったよ。僕の許嫁になってくれないかい?」

「その言葉が聞きたかったわ」


 右手のハサミを下ろしたクレハさんは、左手を差し出してきた。握手がしたいという意思を受け取った僕もライトニングホークを下ろし、自分の左手を持っていく。


「よろしくね。生まれて初めての、私の許嫁君」

「よろしく。生まれて初めての、僕の許嫁さん」


 互いに武器を離さないままの握手。その手はどちらからともなく、すっと離れた。


「じゃあ早速、端末で許嫁申請をしてきましょう。すぐに済むわ」

「僕、こういう申請初めてなんだけど、何か必要なものはあるのかい?」

「Pカードが出せるスマートウォッチがあれば、あとは身一つで大丈夫よ」

「そう。あと倒れてる彼らだけ何とかしたいからさ。先に行っててくれない?」

「分かったわ。じゃあ、職員室前の端末の所で待ち合わせをしましょう」


 会話だけなら、初々しい高校生同士の青春の一コマにできそうだ。でも相変わらず、僕らの手には武器がある。互いに警戒を解いていないことは、火を見るよりも明らかだ。

 こうして僕はクレハさんと許嫁になったんだけど、どうしてこんなことになったんだろう。テツヤを起こしながら、僕は彼女が転入してきてからのことを思い出していた。

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