無気力の少女

三鹿ショート

無気力の少女

 同じ学校の同じ学級で隣に座っている彼女からは、気力を感じなかった。

 生徒たちが騒いでいたとしても、まるでその光景を絵画のように眺めているだけで、自身は無関係を装っている印象を受ける。

 他者の不始末によって己に不利益が生じた状況に対しても、機嫌を損ねることはなく、常に相手を許していた。

 沈着冷静であり、神秘的なその態度に、憧れを抱いている人間は多い。

 何を隠そう、私もまた、彼女に好意を抱いている人間の一人である。

 だが、彼女は自らが望んでそのような人間と化したわけではなかった。

 その理由を知ったのは、道端で彼女がとある女性と向かい合っていた場面に遭遇したときである。

 女性は怒りを露わにしながら一方的にまくし立てているが、彼女は耐えるように俯き続けていた。

 やがて女性は、彼女の頬を平手で打つと、手にしていた飲料水を彼女の頭部に注いだ。

 思わず私が声を出すと、女性は驚いたような表情を見せ、その場から足早に立ち去った。

 衣嚢に入っていた手巾を手渡そうとするが、彼女は首を左右に振り、

「これでいいのです。私が受けるべき、当然の仕打ちですから」

 本人が良かったとしても、私が心配だった。

 自宅が近所であったため、私は彼女の手を引いていった。

 彼女は抵抗する素振りを見せることなく、私にされるがままだった。

 風邪を引いては困るとして、着替えを手渡すと、彼女は黙って濡れた衣服を変えていく。

 温かい飲み物を渡すが、彼女は私の顔面を見つめるだけで、それを口にしようとしなかった。

「冷める前に飲んでくれなければ、用意した甲斐がない」

 私がそう告げると、彼女はようやく飲み物に口をつけた。

 一息ついたところで、私は彼女に先ほどの女性について尋ねた。

 答えたくなければ答える必要は無いと前置きをしたが、彼女は素直に答えてくれた。


***


 彼女の父親は、罪を犯した人間だった。

 事件の内容を伝えられても、私はそれを聞いたことがなかった。

 ゆえに、それほど大きな事件ではなかったのかもしれない。

 しかし、他人の目から見る事件の大きさは、被害者が受けた苦痛とは大きく異なる。

 被害者は先ほど彼女に暴力を働いた女性の母親だったが、事件が起きてからしばらく経過した後、自ら生命を絶ったらしい。

 当然ながら、女性は彼女の父親が起こした事件が原因だとして、毎日のように彼女の自宅を訪れては、彼女とその母親を糾弾し続けた。

 だが、幾ら加害者の家族であるとはいえ、同じ罪を犯したわけではない。

 ゆえに、彼女たちを責めるのは筋違いではないか。

 そう考えたが、加害者である彼女の父親は、女性の母親が自殺をしたことを知ると、罪の意識に押し潰されてしまい、同じようにこの世を去ったらしい。

 怒りの矛先を失ったからこそ、彼女たちが狙われたのだろう。

「私は父親の代わりに、罪を背負い続けなければならないのです。そんな人間が、人生を楽しむことなど、許されるはずがないのです」

 彼女がそのように語ったとき、私は彼女の普段の態度に得心がいった。

 話は終わりだとばかりに、彼女は私に感謝の言葉を告げて頭を下げると、私の自宅を後にした。


***


 夜道を歩いていると、偶然にも彼女が反対側からやってきた。

 しかし、その姿を見て、私は衝撃を受けた。

 着用している衣服は切り刻まれ、裸足で歩き、顔面は痣や傷だらけだったのだ。

 私は羽織っていた外套を彼女に与えながら、事情を尋ねた。

 彼女は何も語らなかったが、身体が震えていることから、覚悟を決めている彼女ですらも受け入れることができないような事態に遭遇したのかもしれない。

 私は再び自宅まで彼女を連れて行き、何度も話を訊こうとした。

 やがて根負けしたのか、彼女は口を動かし始めた。

 いわく、例の女性が、彼女に対する仕打ちに変化を加えたらしい。

 それは、女性が自身の知り合いである異性に彼女を紹介し、その代わりに金銭を得たというものである。

 苦痛に耐える彼女に対して、女性は嬉しそうに紙幣を数えていたようだ。

 その話を聞いたことで、私は怒りを覚えた。

 幾ら被害者の娘と加害者の娘とはいえ、事件に関していえば、当人同士ではない。

 その当人同士がこの世を去ったため、その代わりとして娘同士で争うのならばまだ理解することができるが、他者を使って苦しめることは、違うのではないか。

 勢いよく立ち上がった私を見て、彼女は何かを察したのだろう、私の手を掴むと、首を左右に振った。

 だが、私はその手を振り払い、自宅を飛び出した。


***


「何故、私のためにここまでのことをしてくれたのですか」

 学校の屋上に張り巡らされた柵に寄りかかっている私に、彼女は問うた。

 私は例の女性を殺めた己の手を眺めながら、

「あの女性が一線を越えたからだ。被害者家族として晴らすことの出来ない無念さを和らげようとするわけではなく、己の利益を優先するようになった。それは、罪人の行為に他ならない」

 彼女は私の隣に腰を下ろすと、こちらの顔を見つめながら、

「だからといって、あなたが犠牲になる必要はありませんでした。私のために、あなたは自分の人生を棒に振ったようなものなのですよ」

 まるで自分のことのように、彼女は涙を流していた。

 私は彼女に手巾を渡し、わざとらしく口元を緩める。

「罪人同士ならば、仲良くすることもできるだろう」

 その言葉の意味を理解したのか、彼女は目を見開いた。

 私の手巾に顔を埋めると、その身を震わせ始める。

 私は彼女の肩に手を置きながら、天を仰いだ。

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無気力の少女 三鹿ショート @mijikashort

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