おそれている事2

都市シュタットは、大きな街だ。


夜になった今でも、シュタットは所々で大きな賑わいを見せている。商店街、大図書館、貴族の大きな家、庶民の小さな家と建造物も様々で、見ていて飽きない。その都市の中にある、小さな小さな一軒家に、アリエッタ達は案内された。先頭を歩いていたムートが扉を躊躇いなく開けても、中からは誰の声も聞こえない。


「ご家族は?」


甘い声でノビルニオが訊ねると、ムートは淡々と呟いた。


「とうちゃんもかあちゃんも、5ねんまえじこでしんだ。おにいはずっとねたきり」


そう言いながら、ムートは部屋の灯りを付けた。蝋燭の火が、頼りなさげに揺らめく。


「子供二人しか住んでない訳?どう生活してるのよ」


アストロが問うと、またムートは口を開く。


その瞳は淋しげだった。


「とうちゃんたちがのこしたおかねで、やりくりしてる」


ムートという少年は、予想以上にしっかりした人のようだった。五年もの間、親という頼っていた者がいなくなって、それでも生活していたというのだから。


アリエッタとアクアは関心する。


ムートは灯りを持って、部屋の中にあるもう一つの扉を開けた。


「おにい、おそくなってごめん。ただいま」


明るい声でムートが言うと、もぞりと動く気配があった。灯りで照らすと、ベッドの上に人が横になっているのが見えた。


十二、三歳程の少年だった。黒灰色の髪は寝たきりの所為かボサボサで、身体は哀れな程痩せ細っている。喉からはヒューヒューと笛のような呼吸音が漏れていた。


「……ムー、トか…。おかえり……」


弱々しい口調で、ベッドの上の少年は言った。そしてムートの後ろにいるアリエッタ達を見て、上体を起こそうとする。しかし力が入らないのか、上手く起き上がれない。


「おにい!ねてないとだめだ!」


ムートが少年をベッドに寝かせると、くるりとアリエッタ達に振り返った。


「こいつがおれのおにい、ユーニ」


そして再びユーニの方へ振り向くと、明るい声で言う。


「おにい、まほうつかいがきてくれたんだ。おにいのびょうきも、すぐよくなるからな」


「まほう……つかい………?」


ムートと同じ碧の瞳をうっすらと開いて、切れ切れにユーニは呟く。が、次の瞬間げほげほと激しい咳をした。ムートが慌てて彼の背中を撫でてやる。暫くすると落ち着いたようなので、アクアが前に出て、朗らかな声で言った。


「治せるかどうかは判らないけれど、とりあえず、彼を見せてくれる?」


最初はムートのお願いに反対していたアクアだが、此処まで来て諦めたらしい。ムートがその場から離れると、アクア達はユーニに近づいた。


「!……これは…」


アクアが呟く。近くに来て理解した。ユーニの顔には、黒い斑点模様が所々に浮かんでいる。


「はいはいどいてー。ちょっと失礼」


するとノビルニオがユーニの前までやって来て、彼の服を脱がし始めた。胸や肩、腹等にも、黒い斑点が浮かんでいる。一番酷いのは、不器用に包帯が巻いてある左腕だった。左腕は人間の肌とは思えない程、真っ黒だった。


ノビルニオは包帯を解いて良いかムートに確認すると、慣れた手つきで包帯をほどいていった。包帯に隠されていた腕は、鋭い物で切りつけられたような裂傷があった。それが化膿し、組織液で濡れている。それを見て、アストロはきゃっと小さく悲鳴を上げた。


「どうしてこんなになるまで放っておいたの!?医者には見せた!?」


「そんなおかねないから、みてもらえなかった」


ムートが悔しげに呟いて口をつぐむ。泣きそうなのを我慢している様子だった。アリエッタはユーニのあまりの酷さに、声すら出せなかった。


アクアは難しい顔で考えて、口を開いた。


「裂傷は治す事が出来る。でもこれは……」


「"魔病"ね」


アクアの声に、ノビルニオの声が重なった。


「まびょう?」


ムートが首を傾げるので、ノビルニオはムートに向き直った。


「ムート、お兄ちゃんは魔物に襲われて怪我を負ったでしょ」


「あ、ああ。1かげつまえ、はかまいりにいったとちゅう、おにいはまものにおそわれて。それからずっとねたきりだ」


ノビルニオは何かの本を音読するかのように、言葉を紡いだ。


「魔病というのはね、ごく稀に魔物が持つ毒に侵される病気の事よ。傷口から黒い斑点が身体を覆いつくし、終いには……」


「………しぬの?」


怯えたように問うムートに、彼女は首を横に振った。


「魔物になるの」


ぎょっとムートが目を剥く。しかし彼はすぐ悲しげな、縋り付くような目で彼女達を見た。


「な、なおせるよな。おまえらまほうつかいなんだろ?なおせるよな!?」


するとアクアが、ユーニの左腕に手をかざした。仄かな光で傷が塞がっていく。ムートとノビルニオは驚いた様子で、その光景を見つめていた。


「あなた達、本当に魔術師なのね……」


そして、自分も恐らく。


ノビルニオが複雑な表情をしている間に、裂傷は薄い線になった。しかし、黒い斑点は消えない。


「アストロ、貴女もやってみて」


「え、ええ」


同じようにアストロも手をかざすが、斑点は消えなかった。


「……無理ね」


「斑点が左腕だけならば、切り落としてしまえば良かったのだけれど」


アストロとアクアが呟くと、ムートは今にも泣き出しそうな顔で叫んだ。


「むりとかいうな!おまえらまほうつかいなんだろ!?なおせよ!なおしてくれよ!!」


「私達は魔法の極一部が使えるだけで、本当の魔法使いとは言えないわ。治して欲しいのなら、本当の魔法使いを探す事ね」


アクアがいつもより厳しげな声で言うと、それきり部屋は静まり返った。ヒューヒューと、ユーニの呼吸音だけがやけに耳に付く。


その沈黙を破ったのは、ずっと黙っていたアリエッタだ。


「……じゃあ、魔法以外の方法を探せば良いじゃないか。例えば何かの薬とか……」


「薬!」


するとノビルニオがぽんと手を打つ。皆が注目する中、彼女は頭に手をかざした。


「確か、どんな病気でも治す万能薬がある筈だわ!」


「それは今作る事が出来るもの?」


アクアが訊ねれば、ノビルニオは難しい顔で唸った。


「うーん、出来ないかも……」


「そんな!」


アリエッタが嘆くが、でも、と彼女は呟く。


「でも、わたしの家にその万能薬がある筈」


「ほんとうか!?」


ムートが表情を輝かせる。しかしノビルニオは悲しそうに、顔を伏せた。


「でも、肝心のわたしの家が判らないわ……」


「……?なんでだよ?」


ムートの疑問に、彼女は曖昧に笑うだけだった。


「これで、ノビルニオの記憶が戻れば解決するのに……」


「まあ、思い出すのを待ちましょ。それしかあたし達には出来ないんだから」


アリエッタとアストロが、どこかほっとしたように言う。


「……間に合えばの話だけれどね」


そんな中アクアが厳しげに、苦しそうに呼吸をするユーニを見つめていた。


「そういえば、ノビルニオって物知りね。そういう関係の仕事でもしていたの?」


アストロが問えば、ノビルニオは困ったように笑った。


「────判らない。憶えていないの」







アリエッタ達はその日、ムート達の家に泊まった。ベッドもソファーもないので、四人は床に毛布を敷いて眠る事となった。


アリエッタは朝起きると、身体の節々が痛み、辛い思いをした。ユーニの体調は裂傷が治った分、楽になったと思っていたが、苦しそうな呼吸をする一方で、回復した兆しを見せない。心配そうなムートに気分転換を勧めたのは、アクアだった。


「ユーニの事は、私が治癒術を掛けて様子を見て見るわ。アリエッタ達はその間、自由に行動していて構わないわよ」


優しい声に言われて、アリエッタとアストロ、ムートは頷いた。ノビルニオは一人でぼんやりしていたが、やがて独りになりたいと言って先に家を出ていった。




そして、シュタットの商店街。


「いろんな物があるのねー」


アストロが関心したように呟いて、辺りをきょろきょろと見回している。野菜や肉屋、魚屋、洋服やアクセサリー屋など、其処にある店は様々だ。


アリエッタも同様に物珍しく見回しているが、ムートだけが浮かない顔で俯いている。そんな少年の様子に、アリエッタとアストロは顔を見合わせた。


「……どうしたのよ、ムート」


「ユーニの事が心配?」


ムートは暫く俯いたまま、何の反応も見せなかった。そして服の端をぎゅっと握り、ぽつりと声を漏らす。


「……おまえらが、さいごののぞみだったんだ」


普通の人間が異端者を庇う事は、禁忌に近い。


それでもムートは、ただ兄の病気を治して欲しいから、その禁忌を破った。


「それでも、むりだった。……もう、おにいのびょうきはなおらないのかな…?」


今にも泣きそうな顔をしたムートに、アストロは慌てた。


「泣くんじゃないわよ、男の癖に!」


「それはへんけんだ、きんぱつ」


「煩いわねっ。とにかく、ノビルニオが万能薬を持って来れば、あんたの兄は助かるのよ、安心しなさい」


アストロは慣れない様子でムートを宥めている。ムートは暫く鼻を啜っていたが、ふと、顔を上げた。吸い込まれるように、アリエッタはムートの視線の先を見た。


其処は小さな、アクセサリー屋だった。その中の一番目立つ所に、金色の、何の模様も施されていない指輪が並べられている。それはどこか、アリエッタが嵌めている指輪を連想させた。二人の少年の視線に気付いたアストロは、呆れたように鼻を鳴らした。


「もしかして"金の指輪"の事も知らないとは言わないでしょうね、アリエッタ?」


アリエッタはむっとして、アストロの方を向いた。


「知ってるよ。金の指輪には神様が眠ってる、って奴だろ?」




昔々、とある一つの金の指輪には、どんな願いも叶えてくれる神が眠っていたという。


だから金色の物には、神の加護があるという。


ある物は願いを叶えるとか、お守りになるのだとか。




どこか羨むような目で指輪を眺めているムートを見て、アリエッタはアクセサリー屋へと近付いた。


「指輪を一つ」


そして、金の指輪を購入する。驚いたように彼を見つめるムートに、アリエッタは買った指輪を差し出した。


「はい、ムート」


「……なんで?」


純粋に問うムートに、アリエッタはにっこりと笑った。


「ユーニの病気を治したいんだろ?不安なら、神様に願えば良いんじゃないかな」


するとムートはみるみる表情を輝かせると、アリエッタから指輪を受け取った。


「ありがとう、みどりあたま!」


「……アリエッタって名前があるんだけどね、一応」


くるくると踊り出しそうな程喜ぶムートに、アリエッタは苦笑する。しかし、お礼を言われたのは、悪い気がしない。そんなアリエッタをアストロが小突いて、にやりと笑った。


ムートは貰った指輪を握りしめて、目を閉じる。


そしてお願いをする。




「───おにいが、もうくるしまないですみますように」


どうか、楽になりますように。







──────頭が、痛む。


それは記憶を辿ろうとする度、まるで拒絶するかのように、思い出さない方が良いと訴え掛けるかのように、ずきずきと痛む。それでも彼女は無理矢理に、記憶を思い出すよう頭を巡らす。彼女は、知っているからだ。


彼女、ノビルニオは、どこか上の空な様子で、都市シュタットを徘徊していた。見覚えのある風景と覚えのない風景がごちゃ混ぜになった都市は、今日も平穏に賑わいを見せている。


彼女はぼんやりとしたまま、ふらふらと何処かへ進む。商店街を通り抜け、住宅街を通り過ぎ、徐に足を止めたのは、大きな図書館の前だった。


「………………」


ノビルニオは、その大きな建物をゆっくりと見上げた。その墨色の瞳に、懐かしむような色が滲む。


わたしは、此処を、知っている。


それは此処で働いていたからか、または此処の常連だったのか、それは思い出せない。


頭が痛む。


それは鈍器で後頭部を殴り続けられているような痛みだ。あまりの痛みに、頭を手で押さえる。


すると。




「────ノビルニオさん?」




声のした方に視線を送ると、其処には彼女と同い年位に見える、見知らぬ女性が立っていた。厚い唇が、妖艶に開く。


「今日も朝から、熱心にお勉強?偉いわねぇ」


その声はどこか刺々しく、馬鹿にしている響きがある。女性の声は止まない。それは頭痛のする頭にとって、ただの苦痛でしかなかった。女性は底意地の悪い瞳で、ノビルニオを舐め回すように見る。ふと、女性の言葉が頭に飛び込んだ。


「でも、家の事は放っておいて良いの?ノビルニオさんももう大人なんだから、しっかりしてはどう?」


「………家の、事……」


ノビルニオはぽつんと、呟く。


再び頭が激しく痛む。


その事に肌が粟立つ。


彼女は、知っている。


「家、家……。わたしの、家……」


ふらふらと、ノビルニオは歩き出す。様子が可笑しい事を察したのか、女性が困惑した声で話し掛けてくるが、頭に入らない。危なっかしい足取りで歩いていたノビルニオだが、暫くするとしっかりとした足取りになり、早足になり、終いには走り出す。痛む頭を堪えながら、ノビルニオは恐怖に怯え走る。




彼女は、知っている。


何も知らない事、判らない事。


それがどれだけ愚かで、恐ろしい事を。



日は高く昇り始めていた。

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