第参譚

おそれている事1

わたしは。


わたしは、知っている。


何も知らない事、判らない事、


それがどれだけ愚かで、恐ろしい事を。







─────ガサッ


草むらから、小さな獣が顔を出す。大きさは兎のそれと同じで、体は不自然な程黒い。獣はキョロキョロと辺りを見回していて、動きが忙しない。


─────ガサッ


今度は別の草むらから、緑の頭が飛び出した。獣はそれに気付くと、まさに脱兎の如く逃げ出す。


「いたっ!」


若草色の髪が、その獣の後を追う。


童顔の少年だった。活発そうな燻し銀の瞳が輝き、その両手には短剣が握られている。ガサガサガサガサと草むらを掻き分けて、獣と少年は駆け抜ける。やがて獣はばてたようにスピードを落としていき、地面の出っ張りに躓いてごろごろと転がった。それを狙って、少年の短剣が振り上げられる。短剣で獣を切り裂こうとした瞬間、別の草むらから、長い棒のような物が飛んできた。


「!」


少年が驚いて目を見開く。それは白い杖のようだった。その淡く発光している杖の先端が、獣の頭を潰したきゅっ、と短い悲鳴を上げた獣は、無惨な姿となる。


やがて、それはさらさらと砂のように溶けていき、その中から"C"の形のチャームが現れた。少年は暫く固まってその光景を見つめていたが、やがてきっと眉を吊り上げて、草むらの方を睨み付けた。


「アストロ!」


草むらを掻き分けて出てきた少女は、勝ち誇ったようににっと笑った。金髪を頭の高い所でツインテールにし、勝ち気な瞳は、夕焼けのように朱い。


少女がチャームを拾いあげると、それは仄かに光り消えていった。対する少年はわなわなと震えて、少女の事を指差して叫んだ。


「アストロッ!あれは僕の獲物だったのにっ!」


「でも、仕留めたのはあたしよ」


少年の叫びをものともせずに、少女は地面に突き刺さったままの杖を引き抜いた。それは光の粒子となって、消えていく。少年も手から武器を消し去ると、その場に踞った。


「…アストロにどんどん先を越されていく……。武器もすぐ出せるようになるし…」


じめじめとし出した少年を呆れたように見つめて、少女は溜め息をつく。


「どうしてそんな落ち込むのよ、アリエッタ。アクアの話じゃ、チャームの魔物は二体いるって言ってたんだし、また探せば良いでしょ」


「そっか、そうだよね!」


「立ち直るの早っ」


「アストロも手伝ってよ」


「何であたしも……!?」




─────ガサッ




すると再び、草むらから獣が顔を出した。二人の視線が、交差し、獣を見つめて、きらりと光る。


「「いたっ!」」







日の傾いた、黄昏時。


「そう。二人共チャームを手に入れられたのね」


カラカラカポカポと馬車ななる音に、朗らかな声が重なった。


ケインから離れた、森の中。其処にアリエッタ達はいた。


薄い青色の足元まで伸ばした髪の、柔らかい美貌の女性は、少し困ったように微笑んだ。彼女の隣には、アリエッタとアストロが馬車に乗っている。何故か、アリエッタの身体は泥と擦り傷に塗れていた。


「それは良いんだけどさ、アクア……」


アクアとアリエッタの間を陣取るように座っているアストロは、げんなりしたように口を開いた。


「その追い掛けてた魔物が、う───っざい程素早くて、小さい穴に隠れるわ、高ーい木に登るわ、最後には崖の端まで逃げちゃって、捕まえるのにす───っごい苦労したんだから!」


「それを捕まえたのは、僕ね……」


対するアリエッタは疲れたように、乾いた笑みを漏らす。しかしその手に嵌められた指輪には、チャームを倒した証に、模様が更に刻まれていた。対するアクアは困ったようにするも、どこか微笑まし気に笑って、そんな二人を眺めた。


日の傾いた、黄昏時。


草木の生い茂った森を、赤い夕日が照らしている風景はひどく幻想的だ。アリエッタ達の乗る馬車も馬も、僅かに赤く発光している。アリエッタ達は、星の街ケインから離れた都市、シュタットへと向かっていた。其処に次の指輪の気配があるという。シュタットへ向かうと言ったアクアを見た途端、アストロは露骨に嫌そうな顔をした。


「都市って言ったら"グレイプニル"の本拠地がある所じゃない!危険よ、行かない方が良い!」


アリエッタは彼女の怒り様よりも、別の事が気になり首を傾げた。


「グレイプニル?」


するとアストロは呆れたように、アリエッタを見つめた。アクアも「知らないのか」と言わんばかりに、首を傾げ返す。アストロは言った。


「はあ?あんた知らないの?グレイプニルって言うのはね、異端者ーーあたし達ーーを捕らえて罰する役人の事よ。最近じゃ小さな子供だって知ってるわ」


その言葉にアリエッタは口を尖らせる。


「しょうがないじゃないか。僕は僕の生まれた街から出た事がないし、学校でも習わなかったんだから」


アストロひそんなアリエッタを見て、何故だかふふんと自慢気に無い胸を張った。


「言い訳は醜いわ、アリエッタ。学校へ通ってなかったあたしでさえ知ってるのよ」


また言い訳しそうになり、悄気るアリエッタを一瞥した後、アストロは再びアクアの方へ振り返った。


「……で、アクアはそれでもシュタットに行くって言うの?」


「其処に指輪を持った人がいるのだもの、行くしかないわ」


「"もしも"の時は……?」


アストロの問いに、アクアは静かな水面のような瞳を僅かに細めた。


「私が"どうにか"するわ」


その声が酷く冷たく、何の感情も入っておらず、アストロは空恐ろしくなって無意識に肩を震わせた。


まるで人を殺してもどうとも思わない冷酷さ。


それをアクアから感じ取った。


しかしそれも一瞬で、アクアはすぐに柔らかな微笑を浮かべる。


「……まあ、黒いフードの集団に正体がばれなければ良い話だわ。二人共、気を付けてね」


「え、ええ」


アストロは気丈に返事をして、再度アリエッタへ振り返る。


「アリエッタはっ!?聞いてたのっ!?」


「聞いてるよ」


アリエッタも負けじと言い返した。







森を通り過ぎ、墓地の横を渡る。


墓地の周辺は何処と無く、薄暗く恐ろしい。辺りは既に暗くなりかけていたが、墓地は輪を掛けて暗い、気がする。


「───アストロ」


「な、何よ」


「身体、震えてるよ」


「ばっ!馬鹿じゃなななないの!?あんただって怖いんでしょ!?だから声掛けたんでしょ!?」


「誰も怖いかなんて言ってないじゃないか……。あとアストロ、ラントさんの鍵握り締め過ぎ」


「だだだだから怖い訳じゃ───!」


顔色の悪いアリエッタと、祈るように鍵を握り締めているアストロの横で、アクアだけがいつも通り馬車を走らせている。


「大声を出すと幽霊は吃驚して逃げるって、聞いた事があるわ」


小さく微笑みながらアクアが呟くと、二人はギャーギャーと喚き出す。二人の素直な行動にアクアはくすくすと笑うが、すぐに眉を寄せた。




───確かに、此処だけ暗過ぎではないだろうか。




森を抜ける所まで、こんなに暗くはなかった筈だ。森を抜けて墓地に行くまで、そんなに時間はかからない。ここまで暗くなるのは、些か可笑しい。それに、指輪の気配も強くなっている。


アクアは目を凝らして辺りを見回すが、辺りが暗過ぎて見え難い。


そこで、異変に気付いた。


馬車を止める。


「────アクア?」


それに気付いて叫ぶのを止めたアリエッタが呟くのと同時に、




─────ドン!




と何かが爆発するような音が響き渡った。


辺りが一層と暗くなる。


「な、何!?」


驚き過ぎて声が裏返るアストロに、アクアは馬車から降りながら言った。


「アストロ、光を!これは闇の魔法だわ。光で打ち消せる!」


「わ、判ったっ」


アリエッタとアストロも急いで馬車から降りる。アストロは前に手をかざし、意識を集中させた。すると手の辺りから眩い光が漏れ出し、閃光する。辺りを光が埋め付くし、アリエッタは手をかざして目を瞑った。辺りから闇の靄が消え、通常の薄暗さに戻っていく。


「………凄い」


素直にそう思った。


まだこの力を使い始めて、数日しか経っていない。なのにこれ程の力が扱えるアストロは、才能があったのだろう。魔術に才能やあれこれあるかは判らないが。


関心している間に、墓地から闇の靄は晴れていった。アリエッタはゆっくり目を開けると、薄暗い墓地が見渡せる。


「アクア、アリエッタ!」


すると、アストロの声が右手の方向から聞こえてきた。何故だかその声は、少し困惑している。


「どうしたの?」


「人がっ、人が倒れてるっ!」


その科白にはっとして、アクアとアリエッタはアストロの方へ駆け出した。アストロが指差す方向、一つの墓の前に、一人の女性が倒れ伏している。


アリエッタ達は、その女性の元に駆け寄った。アクアが上体を膝に抱えるようにして、抱き起こす。女性に怪我をした様子はなく、身体は温かい。


女性は二十代位に見える。綺麗に切り揃えた銀髪を首の後ろで一纏めにし、燕尾服を動き易いようにした様な服を着ていた。その左手の中指には、銀の指輪が嵌まっている。紫色の小さな石が、微かに輝いた。


「大丈夫!?」


アリエッタが何度も呼び掛けると、女性は小さく呻き、ゆっくりと目を開いた。垂れ目がちで墨色の瞳が現れる。女性は暫く、アクアの顔を見上げていた。


「大丈夫ですか?」


アクアが優しく問うと、女性はぼんやりとしたまま、一人で上体を起こした。頭が痛むのか、頭に手をかざしている。


「──────ええ、大丈夫」


花のように甘く溶ける、声が鳴った。女性がアリエッタ達を順繰りに見回して、不思議そうに言う。


「あなた達が、助けてくれたのね?最初、凄く綺麗な女の人がいるものだから、天国にでも行ったのかと思ったわ」


どこかおっとりした口調で女性は言って、そして漸く、辺りを見回した。


「────あら?此処は、何処かしら?」


「何処か判らない?記憶を取り戻していないの?」


訝しげにアストロは問うた。


闇の靄を作りだしたのは指輪の力。


それをしたのがこの女性だとしたら、記憶は取り戻した筈だ。


「記憶?」


首を傾げる女性に焦れたように、アストロは言う。


「じゃあ、名前は?あんた、自分の名前言える?」


「名前………」


女性は暫く頭に手をかざしていたが、甘い声でその問いに答える。


「────ノビルニオ。わたしは、ノビルニオっていうのよ」


そして、人懐っこい笑顔を浮かべた。


「────なら、ノビルニオ」


墓地には静けさが戻っていた。難しい顔で唸るアストロとアクアに、ぽかんとしているノビルニオとアリエッタが向かい合う。


「って、何であんたまでぽかんとしてんのよ、アリエッタ!」


突っ込むアストロに、アリエッタはえーとと呟いた。


「だって、状況が読めなくてさ」


「あたしだって読めてないわ!それを今から確かめるのよっ!」


そうしてアリエッタがアストロ側に移動して。


「ノビルニオ。貴女はどうして墓地に来たのか、憶えている?」


アクアが気を取り直して問うと、ノビルニオはうーんと考えた。暫くして手を打ち鳴らす。


「そうだわ、わたし、兄さんの墓参りに来たのよ」


しかしノビルニオはそこで再度考え、


「───でも、"兄さん"って誰の事かしら?」


そう言って首を捻った。


「家族構成は?」


「母さんとわたしだけよ。───でも、母さんって誰の事かしら?」


この繰り返しだった。


どうやら彼女は、所々記憶が欠落しているらしかった。ある事はしっかり憶えていても、ある事は曖昧で思い出せない。


リア・ファルの力の影響だろうと、アクアは結論付けた。


「暫くすれば、治って記憶も元通りになる筈よ」


「ノビルニオには一緒に旅をさせるの?」


アリエッタが訊ねれば、アクアは頷いた。


「ええ。だって彼女が私達の探していた人だもの」


「……旅?」


アリエッタの科白に、ノビルニオは首を傾げる。そしてすぐに嫌々と首を振った。


「駄目よ。わたし、早く家に帰らなきゃいけないもの」


「でも貴女は、自分の家が何処だか判るの?」


アクアの問いにノビルニオな俯き、判らないと小さく呟いた。アクアは淡く微笑む。


「では、決まりね。グレイプニルのいるシュタットには行かなくて済むし、探し人は見つかった。一石二鳥ではないかしら?」


「そう言われればそうだけど……」


「アクアがそう言うなら……」


アストロとアリエッタは頷くが、ノビルニオだけが浮かない顔をしている。


当然だろう。


突然、見知らぬ人達と一緒に旅をすると、半ば一方的に決められてしまったのだから。


ノビルニオが何か言い出そうとした時、


「まてっ!」


子供の声が、墓地に響き渡った。


四人がはっとして振り返ると、草むらの中から、ぴょこんと白灰色の頭が飛び出した。ガサガサと草むらを掻き分けて、小さな子供が現れる。


十歳にも満たない位の、幼い少年だった。葉や小枝のついた白灰の髪を気にせずに、大きな碧の瞳は、純粋に輝いている。少年は右手に持った木の棒をアリエッタ達に突き付けて、大きな声で言った。




「おまえら、異端者だろ!」




突然の発言に、四人はぎょっとした。


「おれ、みてたんだぞ!きんぱつがてからひかりをだして、くろいもやをけしたのを!あれはぜったい、まほうだった!」


その科白に、アリエッタとアクアを腕で引き寄せ、アストロはさっと顔を青ざめる。そして小声で怒鳴る。


「言った傍からばれたじゃない!どうするのよ!?」


「あの位の子供の発言なら、グレイプニルは信じないかもしれないわ。───それとも」


冷静に言うアクアは、すっと瑠璃色の目を細める。


ぞっとする程冷たいものが、その目に宿る。


「────この場で片付けるか」


アストロはぞっと背筋を凍らせた。


「ちょっ、あんな子供を殺すっての!?それこそ非道よ!」


「でも、それしか方法がないのなら、私はそれを実行するわ」


淡々と言うアクアに恐れを覚えて、アストロはアリエッタの服を引っ張った。


「ア、アリエッタも何か言ったらっ」


「僕?」


アリエッタはぽかんとしていたが、暫く考えて、


「このままじゃグレイプニルに見つかって殺され兼ねないし……、アクアがそう言うなら」


「殺しても良いっての!?」


カッとしたアストロをアリエッタが宥める。


「もしもの時だって!そうでしょ、アクア?」


「ええ」


柔らかい表情に戻ったアクアは頷くと、視線をずらした。つられてアリエッタとアストロもそちらを見る。


そこでは、


「坊や、こんな時間に一人で出歩いたら危ないでしょ?」


ノビルニオが少年に近寄り、目線を合わせる為しゃがみながら話し掛けていた。少年が飛び跳ねて憤慨する。


「こどもあつかいするな!あぶなくないったら、あぶなくない!」


そう言って木の棒を振り回す少年に、ノビルニオは人懐っこい笑みを浮かべた。


「わたし、ノビルニオ。坊や、あなたのお名前は?」


その笑顔に気圧されたように、少年は黙りこくる。そして暫くすると、


「……………ムート」


そう呟いた。


「そう。ムート、夜道は危ないわ。家まで送ってあげる」


ノビルニオは立ち上がって少年、ムートの手を引こうとするが、


「ま、まてっ!」


ムートはその手を払い、アリエッタ達を睨み付けた。その碧の瞳は何処までも真っ直ぐで、濁りがない。


「おれは、おまえらをグレイプニルにほうこくするきは、ない!」


意外な言葉に、アリエッタとアクア、アストロは眉を寄せる。ムートの表情は、どこか切羽詰まっているように見えた。


「おまえら、まほうがつかえるんだろ?なら、おねがいだ!まほうでおにいのびょうきを、なおしてくれ!」

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